ケービン? 沖縄県営鉄道とは

沖縄本島にはモノレールの「ゆいレール」が那覇空港~てだこ浦西間を結び、県内唯一の鉄道として活躍しています。が、81年前の1945年3月頃まで、762mm軌間の軽便鉄道、沖縄県営鉄道が存在していました。

この鉄道は那覇を起点にして大正3年(1914)開業の与那原線、大正11年(1922)開業の嘉手納線、翌12年開業の糸満線の3路線があり、一例として昭和9年(1934)の那覇発旅客時刻表では、与那原線は6:10発~21:36発の計15本、嘉手納線は6:00発~21:00発の計12本、糸満線は06:30発~21:13発の計12本、その他にサトウキビや沿線の物資を輸送する貨物列車が運行されていました。

また別会社では那覇市内を走った沖縄電気軌道や、那覇~糸満間の糸満馬車軌道、与那原~泡瀬間の沖縄軌道(これも馬車軌道)が存在していました。

戦前の沖縄の鉄道を現代風にアレンジした路線図クリアファイル。那覇を中心にしてケービン、馬車鉄道、電気軌道、バスの路線網が延びていた。『与那原町立 軽便与那原駅舎展示資料館』にて購入した。
戦前の沖縄の鉄道を現代風にアレンジした路線図クリアファイル。那覇を中心にしてケービン、馬車鉄道、電気軌道、バスの路線網が延びていた。『与那原町立 軽便与那原駅舎展示資料館』にて購入した。

沖縄県営鉄道は人々から「ケービン」と呼ばれました。“軽便”が訛(なま)ってできた呼び名です。小さなSLが客車と貨物を牽引して沿線のサトウキビ輸送に活躍し、ガソリンで動くガソリンカーが導入されていました。

ケービンは地域の足として活躍しましたが、太平洋戦争が始まり軍需輸送にも使用され、輸送中の弾薬が爆発し、大勢の犠牲者を出した痛ましい事故もありました。そして、ケービンは沖縄戦の激化によって運行できなくなり、そのまま廃止同然となって消えていきました。戦後に米軍統治下となった沖縄は、鉄道の復活も検討されましたが叶わず、ゆいレールの開業までは鉄道のない県でした。

2005年に訪れた糸満線の廃線跡。長い年月により畑へと土地改良されて痕跡の消えた廃線跡もあれば、農道や道路となった箇所もある。
2005年に訪れた糸満線の廃線跡。長い年月により畑へと土地改良されて痕跡の消えた廃線跡もあれば、農道や道路となった箇所もある。

私がケービンの遺構を目の当たりにしたのは、90年代後半のこと。写真大学の授業の一環で初めて沖縄へ行き、沖縄戦についての撮影で訪れたときです。ほとんどの遺構は見つけきれなかったものの、畑の中にあった遺構に弾痕らしきものがあり、共に行動した糸満出身の友人と「これ弾痕だよね」「そうだね」と確認したのを記憶しています。

2005年撮影。糸満駅トイレの土台部分で見つけた弾痕らしき穴。モルタルをえぐるような穴がいくつかあった。弾痕ではないかもしれないが、場所が激戦地であったためにそう考えてしまう。
2005年撮影。糸満駅トイレの土台部分で見つけた弾痕らしき穴。モルタルをえぐるような穴がいくつかあった。弾痕ではないかもしれないが、場所が激戦地であったためにそう考えてしまう。

2004年にその友人宅へ宿泊した際、ふと戦前生まれのお父さまが呟きました。

「ケービンがあったのは子供のときだった。学校のところに駅があった。裏に糸満駅のトイレが残ってる」

なんですと。

「トイレだ。明日教える」

思いがけない話に、目を丸くしたのをいまでも覚えています。翌日教えられた裏道へ訪れると、家々の間の僅かな空間にブロック塀で組まれた汲み取り式の古いトイレがあり、この一帯だけ区画が不思議な空間となっていました。

2005年4月5日に撮影。糸満駅跡に残っていた駅のトイレ跡。跡と言っても住宅地内の共同トイレとして使用されていたらしい。
2005年4月5日に撮影。糸満駅跡に残っていた駅のトイレ跡。跡と言っても住宅地内の共同トイレとして使用されていたらしい。

トイレはよくある汲み取り式便所という形状で、鉄道施設であった印や文字などは見当たりません。糸満で生まれ育ち、ケービンの記憶もあるお父さまが言うのだから間違いないだろうと納得しました(念のため、周囲の方々にも聞き込みしたような気もする)。

2005年4月5日に撮影。トイレは上側のブロック塀ではなく土台のモルタル部分が糸満駅トイレのものだったらしい。住宅地内の空間にポツンと存在していたのも不思議な光景であった。
2005年4月5日に撮影。トイレは上側のブロック塀ではなく土台のモルタル部分が糸満駅トイレのものだったらしい。住宅地内の空間にポツンと存在していたのも不思議な光景であった。

翌2005年、今度は雑誌の取材でライターさんと沖縄県営鉄道の廃線跡を全線訪れました。そのときも糸満のトイレは変わらず残っており、おおかたの遺構と足跡は追えたのですが、嘉手納線の終点嘉手納駅跡の手前は、米軍嘉手納基地の敷地内のために追えず、沖縄の現実を目の当たりにしました。

起点の那覇駅前跡地から出土した遺構

それから21年後の夏、台湾から帰国する際に寄り道をして、かなり久しぶりに那覇へ降り立ちました。私の記憶は2005年でストップしているので、廃線跡はどこまで変化したのか、あるいは変わらないのか、はたして糸満のトイレはどうなったのか気になっていました。

那覇空港からゆいレールで旭橋駅へ。ケービンの那覇駅があった地点です。那覇駅跡は那覇バスターミナルとなっており、以前訪れたときは平面のバスターミナルが広がっていましたが、那覇市の施設を複合した商業ビル『那覇OPA』へと生まれ変わっています。バスは1階から発車し、旭橋駅と直結しているため便利なターミナルになりました。

2005年4月4日に撮影。ゆいレールの旭橋駅と平面時代の那覇バスターミナル。撮影当時は「ここに那覇駅があった」という雰囲気で撮影したが、実際に遺構が現れるとは思ってもいなかった。
2005年4月4日に撮影。ゆいレールの旭橋駅と平面時代の那覇バスターミナル。撮影当時は「ここに那覇駅があった」という雰囲気で撮影したが、実際に遺構が現れるとは思ってもいなかった。

その光景にただ一人驚いていると、旭橋駅のペデストリアンデッキからレンガの丸い構造物が保存されているのが見えます。近年発見された那覇駅構内の転車台跡です。デッキから見下ろす転車台跡はレンガ積みの土台が完璧な正円で、「ここに鉄道があったのだ」と静かに語りかけているかのように感じます。

現在の那覇バスターミナル(左手)。再開発された高いビルに囲まれたなか、出土された転車台遺構は「ここに鉄道があって戦争で消えていった」と静かに物語っている。
現在の那覇バスターミナル(左手)。再開発された高いビルに囲まれたなか、出土された転車台遺構は「ここに鉄道があって戦争で消えていった」と静かに物語っている。

転車台跡の周囲で休む人々はこの遺構のことなど気にする素振りもなく、どうやら遺構は日常に溶け込んでいるようです。転車台跡へ近づき、しゃがんだり背伸びしたりして観察していると、真夏の炎天下で何やっているのだろう?と周りの人は訝しげに思ったのかもしれませんが、そういう視線は慣れています。

転車台遺構はしっかりと守られており現役当時の写真も掲示されているので、転車台と駅構内の位置関係が容易に想像できるのが嬉しい。
転車台遺構はしっかりと守られており現役当時の写真も掲示されているので、転車台と駅構内の位置関係が容易に想像できるのが嬉しい。

転車台跡は、2005年の訪問時にはバスターミナルの地中に眠っていました。バスターミナル再開発の際、解体作業中に地面を掘ったら、レンガの遺構が複数箇所で出土されたのです。那覇OPA内には立派な図書館も併設され、ケービンの足跡を巡った後に訪れて、発掘調査時の資料が閲覧できました。遺構のすぐ隣に調査できる施設があるのって良いですね。

転車台遺構は近づいて観察できる。レンガ積みの土台は二段構造で、下段には桁を旋回させるための車輪受けのレールが固定されていたので、固定用の鉄筋が残っている。円の中心部にあるのは、転車台の桁を支える回転軸の土台だ。
転車台遺構は近づいて観察できる。レンガ積みの土台は二段構造で、下段には桁を旋回させるための車輪受けのレールが固定されていたので、固定用の鉄筋が残っている。円の中心部にあるのは、転車台の桁を支える回転軸の土台だ。

転車台跡は2015年12月から4カ月間調査されました。転車台は久茂地川に沿った地点で発掘され、その他に点検ピットと思われる長細いレンガの遺構が並んでいる状態で発掘されました。点検ピット遺構は中心部が凹んで人が潜り込める構造で、古代遺跡の棺のような形状にも似ており、機関庫があった位置と合致したそうです。残念ながらこの遺構は記録保存の上に解体となり、資料を閲覧するしかありません。

転車台跡と点検ピットは、近年になって新たに発見されたケービンの貴重な遺構となりました。幸いにも転車台跡が旭橋駅と那覇OPAに挟まれた空間に保存されているため、現役時代の那覇駅構内図と照らしあわせ、転車台跡を基準に駅の位置を把握できました。

構内図では、転車台の横から久茂地川を渡って那覇港の桟橋へ至る貨物線がありましたが、その跡は当然消滅しているけれども、久茂地川を渡る国道330号の旭橋付近に橋梁があったようです。

次回は中編として、与那原線を巡ります。

那覇駅から那覇港の桟橋まで貨物線が延びていて、久茂地川を渡っていた。その個所は国道330号の旭橋になっている。
那覇駅から那覇港の桟橋まで貨物線が延びていて、久茂地川を渡っていた。その個所は国道330号の旭橋になっている。

取材・文・撮影=吉永陽一

二カ月にわたって池島の遺構をお伝えしてきました。締めくくりとして、島の空撮を紹介します。ドローンではなく飛行機という機動力を生かして、蟇島(ひきしま)も捉えました。
前回までは池島炭鉱関連の遺構を訪ね歩きました。今回からは違う視点として、「坑内探検ツアー」と「島内観光ツアー」を紹介します。ツアーと言えども、ヘルメットを被って炭鉱施設を巡るので本格的です。
長崎県池島、その島内の団地群は室内立入禁止で外観からのみ観察できますが、島内観光ツアーではそのうちの一棟に入って室内を体験できます。
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