この連載の読者の方と知り合った
エゴサーチをしないので、自分が書いたエッセイの感想を目にする機会がほとんどない。だからこの連載『東京チェン飯diary』も、「本当に読んでいる人いるのかな?」と思いながら書いている。
しかしこの春、私のXのポストを引用するかたちで、ずいぶんとこの連載を褒めてくださる方がいた。毎回欠かさず読んでくれているらしい。それをきっかけに、相互フォローになった。
その方とは、文芸評論家兼脚本家として活動している大田栄作さんである。大田さんは私の文章を「吉玉さんの文章は皮膚に来る。なにかを食べている描写では、読んでいるだけで本当に喉が熱くなる」と評してくれた。私の書くものは出来事を淡々と書くだけで心理描写が少なく、そっけない。そう自覚しているだけに、リアルな読み心地を感じてもらえているのは嬉しかった。
その後、大田さんが企画人をしているZINEに誘われ、エッセイを寄稿した。そのZINEはまだ発行されていないが、納品した原稿はこれまたずいぶんと褒めていただいた。
それでこのたび、私のPodcast番組『この話はオフレコで』にゲストとして出ていただくことになった。実際に会うのははじめてだ。前からDMで「飲みに行きましょう!」と誘われていたので、Podcast収録のあとに飲みに行くことにした。
大田さんは29歳で、うつ病で生活保護を受給していることを公表している方だ。Xではよく「お金がない」「食べるものがない」とポストしている。苦しみ、もがきながらも懸命に生きている印象だ。私も若い頃、うつ病の症状が重くて働けなかった時期があるので、陰ながら応援している。
なので、「おごらせてください」と提案した。
「その代わり、そのときのことをチェン飯diaryに書いてもいいですか? 原稿は公開前に確認していただきますので」
そう提案したのは、「ネタを提供していただくお礼としてのおごり」にしたほうが、大田さんも気を遣わないだろうと思ったからだ。
すると、「もちろんです! 美化することなく、正直に書いてください!」と快諾していただいた。
人に食事をおごるのははじめての経験だ。友達とは割り勘だし、お付き合いする男性にはおごってもらうことが多い。そもそも低収入なので、自分が人におごる立場になるなんて思ってもいなかった。はじめて後輩芸人におごることになった先輩芸人ってこんな感じなんだろうか。
さて、大切なのはお店選びだ。チェン飯diaryのネタにするためにはチェーン店でなくてはならないし、大田さんは偏食で、お肉以外は食べられないものが多いという。それならば、と鳥貴族を提案した。鳥貴族なら基本的にお肉だし、お財布にもやさしい。
そんなわけで、大田さんとはじめて会うことになった。
人はどんなときに自分の話をしたくなるのか
予約したレンタルスペースは普通のマンションの一室で、ソファとテーブル、テレビが置かれていた。
大田さんは少し遅れて到着した。イメージしていたよりも普通の人だ。もっと風来坊のような、昔の文豪のような人をイメージしていた。
私のPodcast番組は、ゲストが私にインタビューをする形式だ。大田さんは過去にインタビューライターの経験があるとのことでゲストをお願いした。テーマはゲストにお任せしている。
2本録りで、大田さんは「人はどんなときに自分の話をしたくなるのか」と「お酒」というテーマを考えてきてくれた。
「人はどんなときに自分の話をしたくなるのか」とは面白いテーマだ。
私のエッセイを読んだ人が、「自分の場合はこうだった」と自分語りを始めることがよくある。知人には「吉玉さんの文章は読んだ人の自分語りを誘発する。読み手が『私の話も聞いてほしい』と感じる文章」と言われた。
SNSでは、他人の発言に自分語りをかぶせる行為は嫌われがちだ。しかし、自分の文章によって読み手の心から「言いたいこと」が湧き上がったのなら、それは光栄だなと思う。かといって、そうやって発された自分語りを書き手が受け取る必要はないとも思っているので、長文の自分語りDMが届いても返信はしない。
話してみてわかったが、大田さんはよく自分の話をする。もともと話し好きなタイプなのか、それとも、私の対応が自分語りを誘発しているのか。私は(インタビューライターのくせに)決して聞き上手なほうではないので、相手が自発的にたくさん話してくれると嬉しい。聞き上手になった気分だ。
大田さんは明るくておしゃべりな人だが、それは意外ではなかった。私自身、うつ病だけれど性格はわりと明るいし、どちらかといえばしゃべるタイプだからだ。
似たところがある人だな、と思った。
コメントを求められていないとき、ただ黙って話を聞く
2本の収録を終え、近くの鳥貴族へ行った。鳥貴族はいつぶりだろう。若い頃はずいぶんお世話になったが、かなり久しぶりだ。そもそもチェーンの居酒屋で飲むこと自体が最近は減っている。
いつも一杯目は生中を頼む。しかし大田さんが迷わずメガジョッキを頼んだことで、「そうだ、トリキにはメガジョッキがあるんだ!」と思い出した。
注文はタッチパネルだ。大田さんは嫌いな食べものが多いそうなので、私は「トリキのチャンジャ」と「北海道産蛸わさび」だけ注文し、あとはおまかせした。
「私、焼き鳥は塩派なんですよ」
「あ、僕もです」
本当だろうか。気を遣って合わせてはいないだろうか。
自分から先に「塩派である」と言ってしまったことを小さく後悔した。先に大田さんに聞けば、彼がたれ派だった場合、合わせることができたのに。そういうところが不器用というか、気が利かない。
大田さんは「豚バラ串焼」を注文した。初手で豚を選ぶとは見どころのある青年だ。
「今、豚バラ高騰してるので。これが一番コスパいいと思って」
豚串は大好きだ。私の地元の北海道では、「焼き鳥屋の豚串」が市民権を得ている。子どもの頃、母がテイクアウトしてくる焼き鳥は必ず豚肉だった。札幌で人気の焼き鳥チェーン「串鳥」では、豚肉のメニューも充実している。しかし、一般的に豚串はそこまで浸透していないようだ。東京出身の元夫に「好きな焼き鳥は?」と聞かれ「豚串」と答えたら「焼き鳥じゃないじゃん」と言われたことを思い出した。
途中でトイレに行ったら、自分の席がどこかわからなくなり、そこまで広くもない店内で道に迷った。席番号は覚えていたので、近くにいた店員さんに席まで連れて行ってもらった。恥ずかしい。
その後、大田さんは「もも貴族焼(塩)」「むね貴族焼(塩)」「ささみ塩焼―わさび粗おろし添え」 「トリキの唐揚」を注文した。お若いのにずいぶんとあっさりしたラインナップだ。
特にむね貴族焼とささみ塩焼はあっさりしていて、すっかり脂に弱くなった中年の胃にやさしい。もも貴族焼と唐揚も、お肉の旨味はしっかり感じられるけれど重くはない。
大田さんは貴族焼を串からはずし、ねぎをよけて肉だけ食べていた。貴族焼(ねぎま)は、ねぎの甘みとジューシーさがいいのに。
飲みながら、いろいろな話をした。年齢は一回り違うし、性別も職業も出身地も違う。それでも、話題には事欠かなかった。
ジェネレーションギャップもあまり感じなかった。唯一、「ズッコケ三人組シリーズで何が一番好きですか?」と尋ねて「僕は『ズッコケ中年三人組』から入っているんですよね」と言われたときは、「そんな世代か!」と思った(『ズッコケ中年三人組』が刊行されたとき、私はすでに専門学校生だった。買って読んだけど)。
大田さんは1聞けば10答えてくれる人なので、私は自然と聞き役になる。自分が話すのも好きだが、人の話を聞くのも好きだ。それに、話が面白くないという自覚があるので、相手が話してくれたほうが楽しい時間を過ごせる。
そもそも、お酒の席ってそんなに面白い話や芯を食った話ばかりしなくてもいいと思っている。おいしいものを食べて飲んで、時間を共有するだけで十分じゃないだろうか。若い頃は「面白い話しなきゃ」と肩に力が入っていたが、中年になってからは、ただその時間と料理を楽しむようになった。
二人とも、ぐいぐい飲んで何杯かおかわりをした。
飲んでいるうちに、大田さんは育った家庭や母親について語りはじめた。彼の育った家庭はいわゆる機能不全家庭で、母親は毒親と呼ばれる類の人だったそうだ。けっこうショッキングなエピソードも出てきた。
他人である私がそれを「不幸な話」と断定するのは傲慢だが、それはどこからどう聞いても不幸な話だった。
しかし、大田さんはあっけらかんと話す。あくまで彼自身が話したかっただけで、私に聞いてほしいわけではなさそうだ。端から共感を求めていないことが、話しぶりから伝わってきた。
誰かの人生の根幹に関わる話を聞くとき、それについて自分がコメントするのはおこがましいと感じる。だから、ただ頷いて話を聞いた。別に「傾聴しよう」みたいな意識はないのだけれど、他の聞き方を知らない。コミュニケーションが不器用かもしれない。
2時間くらい飲んで、お互いのジョッキが空になったタイミングで店を出ることにした。けっこう飲んだのに、お会計は6000円台だった。
私が払うと言っていたのに、大田さんは半額をテーブルの上に置いた。「私が払いますよ」「いやいやいや」みたいなやり取りを経て、2000円をいただいた。
店を出ると、夏の蒸し暑い空気に包まれた。改札前で「体調に気をつけて」と言い合って別れた。特に大田さんは調子を崩しやすいので、社交辞令ではなく心から体調に気をつけてほしい。
私は今現在も軽度とはいえうつ病だし、過去には不登校やニートを経験している。だからといって、似たような境遇の他人の苦しみを「理解できる」とは思っていないし、思ってはいけないと考えている。その人の苦しさは、その人だけのものだ。勝手にわかった気になるのは失礼だと思う。
経験者や年長者としてのアドバイスは、相手から求められれば言うけれど、求められなければ特に言わない。「言わない」というより「言えない」が近い。単純に、他人にアドバイスできるほどの成功体験を持ち合わせていないのだ。
だから、話を聞くことと、その人の幸せを願うことしかできない。
大田さんが、他の大勢の悩める若者が、悩みから解放されて心穏やかであればいい。お腹を空かせてなければいい。心からそう思う。
さほど混んでいない上りの横浜線の中、ビールとレモンサワーでぼんやりとした頭で、すべての若者たちが健やかであることを願った。
追記:この原稿を書き上げてすぐ大田さんに読んでもらったら、とても喜んでいただけた。私でも書くことで人を喜ばせることができるのか、と嬉しく思った。
文・写真=吉玉サキ(@saki_yoshidama)






