ピーヒョロ、ヒョロロ〜。

心地よい笛の音が源氏山の麓に鳴り響く。「笛に呼ばれてきましたという方、先日もいらっしゃいましたよ」と笑顔を向けるのは裸足で車を引く“はだしのケン”こと、清水謙次さんだ。学生時代、ヒッチハイクで全国を巡り、旅先で出会った人の「人力車に向いてる」という言葉で浅草にて修業を開始。そこで、鎌倉にレジェンド車夫がいると知った。それが鎌倉人力車『有風亭』の青木登さんのこと。早速、弟子入り志願するも門前払い。それでも粘り、「地元出身なら」とようやく認めてもらえた。

けれど「師匠は昨年、77才で引退したんです」。ところがある日、取材班は偶然、白足袋に豆絞りの捻(ねじ)り鉢巻が粋な老車夫を目撃した。青木さんだ。「引退しましたが、お得意さんに限り、やれるだけ続けています」と、時折、車を引いているという。

左から、『鎌倉人力車 有風亭 飛車』清水謙次さん(通称、はだしのケン)、『鎌倉人力車 有風亭』青木 登さん。
左から、『鎌倉人力車 有風亭 飛車』清水謙次さん(通称、はだしのケン)、『鎌倉人力車 有風亭』青木 登さん。

青木さんは1982年、35才の時に飛騨高山の人力車の記事を目にして脱サラ。当時、東日本に観光人力車は1台もなく、「歴史と文化のある昔から好きな街」鎌倉で操業を開始した。信条は「鎌倉の品格を保つ」。礼儀正しく、客引きをしない姿が認められ、円覚寺門前で唯一客待ちできる車夫にもなった。

1万1000組もの新郎新婦の門出を祝い、七五三、成人式などの慶事に呼ばれ、親子3代にわたるお得意さんは数知れず。生涯現役を誓い、筋トレに勤(いそ)しんだが、70歳を超えた頃から古傷が痛みだして引退を決意。「これからは弟子の清水くんに託します」と笑う。

「笛の音が聞こえたら声をかけてください」。
「笛の音が聞こえたら声をかけてください」。

放浪したケンさんも「俺がいるべき場所は鎌倉でした」と白い歯を見せる。「好奇心を誘う楽しい人たちにたくさん出会えますし、何よりとても気持ちいい。風の中、車を引くと解き放たれるんです」。

師匠と弟子、2人のスタイルは一見違う。けれど、軽妙な語り口とともに「人力車は鎌倉の風景の一部」と思い、街の人たちと親しみ深くあいさつを交わす姿は師匠から弟子に受け継がれている。そんな車上から、目線を変えて鎌倉を眺める風流を味わうのもオツだ。

住所:神奈川県鎌倉市佐助2-16(銭洗弁財天入り口付近)/営業時間:12:00ごろ~17:00ごろ/定休日:不定/アクセス:JR横須賀線・江ノ電鎌倉駅から徒歩18分

取材・文=林 さゆり 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2026年6月号より