多層的な時間が折り重なる地で、午前3時から始まる一日
築地という街には、ひとつの時間だけが流れているわけではない。 午前2時にはもう働き始めている人がいる。 昼過ぎには閉める店もある。 観光客でにぎわう午後の築地しか知らない人もいるだろう。 それぞれ違う時間を生きながら、どこかで同じ街の空気を共有している。
築地場外市場のそばに鎮座する波除(なみよけ)神社は、そんな築地の時間を、長いあいだ静かに見つめてきた。 今回お話をうかがったのは、13年前、2013年にも撮影をした波除神社の宮司・鈴木昭樹さんと禰宜・鈴木淑人さん。12代目、13代目として、この場所を守り続けるお二人だ。
古くから、「災難を除き、波を乗り切る」 波除稲荷様として信仰を集めてきた波除神社。荒れた海を一声で威伏させるのが「獅子」の存在だといわれ、境内には巨大な獅子頭が奉納されている。毎年6月にこれらの獅子頭を担いで街を練り歩く祭礼「つきじ獅子祭」が行われ、築地の風物詩ともなっている。
「今でも毎朝3時に起きるんですよ」
「仲買人さんでもない宮司さんがなぜそんなに早起き? なんですか?」
宮司のその言葉に、最初は思わず聞き返してしまった。 きっかけは、まだ若かった頃。 50年ほど前までは宮司は朝5時に起きて、それより少し早く起きていた母親が本殿の扉を開いていた。ところが父親が倒れて眠れずにいた夜中、午前3時に扉を開けるために外に出てみたところ、それまで接点のなかった築地市場の仲買人たちと、自然と挨拶を交わすようになった。
「おはようございます」
その積み重ねが、いつしか習慣になった。 宮司は今でも朝3時に起き、静かな時間の中で本を読んだり、仕事をしたりして過ごす。 そして5時になると妻の○○さんを起こして一日が始まる。
宮司・鈴木昭樹さんの一日
- 午前3時 起床 読書や仕事など、自分だけの静かな時間
- 午前5時 家族を起こし、一日が始まる。 ゆっくりをコーヒーを淹れるのが日課
- 午前8時45分 職員全員で朝拝
- 午前9時〜午後5時 祈祷、来客対応、祭礼準備など
- 午後6時頃 晩酌と共に夕食
- 午後9時頃 就寝
築地の人間は、時間が早い
波除神社の朝礼は8時45分。 職員全員で本殿に参拝し、その日の祈祷や予定を確認する。祈祷は9時から16時20分まで20分おき。合間には御朱印や授与品の頒布など社務所での対応、祭礼ほかさまざまな事務作業、お正月の授与品づくりなどの作り物……と細かな仕事が絶え間なく続いていく。
一方で、13代目となる禰宜は、宮司とは少し違う視点で築地を見つめている。幼稚園から大学まで私立に通い、実は子供の頃は、そこまで“街の中”で育った感覚はなかったという。神輿を担いだのも高校生の頃が初めてだった。 しかし大学時代、若睦(わかむつ)の手伝いを始めたことで、祭りや町会との関わりが深まり、大人になってから築地という街を知っていった。
「こんなに人との距離が近い街なんだなって」
町会同士のつながり。 祭りの準備。 いくつになっても「◯◯ちゃん」と呼び合う関係。
築地は、街全体がどこか親戚のようでもある。
禰宜・鈴木淑人さんの一日
- 午前8時頃 出勤
- 午前8時45分 朝拝・打ち合わせ
- 午前9時〜午後5時 祈祷、事務作業、御朱印準備など
- 昼食は職員で交代しながら
- 終業後は家族との時間
- 深夜11時〜12時頃 就寝
神社へ導かれるように
驚いたことに宮司自身は、最初から“神社の人間”として育ったわけではなかった。 幼い頃は、実母が出産の際に病を患ったことから、しばらく新潟の親戚のもとで育てられていたが基本的に東京で育った。大学時代、テニスサークルの後輩とお付き合いすることになったが、その女性がなんと波除神社直系の三姉妹の末っ子。長女は京都の神社へ、次女は江島神社へ嫁ぎ、末っ子と結婚した宮司は波除神社に婿養子に入ることになった。
「みんな神社なんですよ」
そう笑いながら話す姿に、偶然だけでは片付けられない“ご縁”のようなものを感じた。
「まさか自分がこうなるとは思ってなかったんですけどね」
宮司は午後5時に仕事を終えると、風呂に入り、午後6時には夕食。 「築地の人間は、みんなもっと早くから晩酌が始まるね」と笑う。 宮司も夕食の時には、毎日お酒を飲む。「365日のうち、364日は飲んでますね」そう言ってちょっと恥ずかしそうに笑う表情が、とてもチャーミングだった。
ただし、唯一飲まない日がある。 それが12月31日から1月1日にかけての大晦日だ。波除神社では、年越しから朝まで参拝客の対応が続く。 仮眠を取りながら、一晩中神社を守るため、その日だけは酒を口にしない。
「朝まで飲まないで、ようやく終わると“今年も終わったな”って思うんですよ」
その言葉には、長い年月、祭りや正月を守ってきた人だけが持つ重みと、どこか築地らしい軽やかさが同居していた。
空の上の歴代に、叱られないように。
宮司は、今後についてこう話してくれた。「長年関わってきた獅子頭のこととか、この街がどう変わっていくかを、ちゃんと見守っていきたい」。
「つきじ獅子祭」の神輿は昨年2025年で100年。社殿は神輿より後の昭和12年(1937)に建立された。 再開発が進み、築地の風景は少しずつ変わっている。 それでも、この街で受け継がれてきた祭りや人のつながりを、次の世代へ手渡したいという思いがある。
そして最後に、少し笑いながらこう付け加えた。 「歴代の人たちは、もう空の上なんですけどね。 自分が行った時、“ちゃんと見てきたのか”って叱られそうだから」 。
その言葉を聞いた瞬間、波除神社という場所が、単なる観光地の神社ではなく、“つなぐ時間を預かる場所”なのだと感じた。
築地には今も、こうして街の時間を守り続けている人たちがいる。
つきじ獅子祭
URL:https://www.chuo-kanko.or.jp/blogs/event/2604171254
取材・文・撮影=yOU





