[妻籠宿]歴史が降り積もる静寂の宿で 『旅籠 松代屋(まつしろや)』【長野県南木曽町】
長い歴史の中で商売を鞍替えすることはよく聞く話だけれど、ここは200年以上前の創業時からずっと宿屋。文化元年(1804)、江戸時代後期に造られたという建物は、9代目に襷がわたったいまも往時の風情を残している。
千本格子の外には妻籠の町並みが静かに広がり、屋根の向こうと山の稜線が重なって見える。この一帯は、とにかく“歩く”人が多いことから、宿では何をするでもなく“明日また歩くため”に体を休める人が多いそうだ。
かつて中山道を行き交う旅人たちがここで疲れを癒やしたように。馬に揺られ、峠を越えて、ようやく辿り着いた旅人が、きっとここで肩の荷を下ろしたのだろう。
テレビも時計もない、しんと静まり返った空間に身を置いていると、江戸時代の旅人の姿がふと思い浮かんでくる。夕食は鯉の甘露煮や鯉の洗い、川魚の塩焼きといった川の幸が中心。地の食材でもてなしてくれる。
夜になると宿の静けさはさらに増し、歩くたびに小さく鳴る廊下の床板が長い歴史を語りかけてくるようだった。
ここでは時間が進むのではなく、ゆっくりと積もっていくように感じられる。静けさに身をゆだねる至福のひとときが、また歩く力をくれる。
『旅籠 松代屋』詳細
[奈良井宿]一日一組にだけ許された、200年の時を味わう贅沢『ゑちごや旅館』【長野県塩尻市】
創業から200年あまり。『ゑちごや旅館』は、江戸時代から旅籠としての営みを絶やすことなく続けてきた。間口三間半、奥行き二十二間という細長い造りは奈良井宿の町家の典型的なそれで、当時の姿をいまに伝えている。
土地の傾斜を抱え込むように立つため、1階から入ったはずなのに、奥へ進むとなぜだか2階のような眺めになっているのも、この町特有の風景といえる。
鳥居峠という難所が控える奈良井宿は、かつて旅人が必ず足を止めた場所だった。江戸と京都を行き交う人々が情報や文化を交換した町。行商人や御嶽講の一行が行き交っていた頃は、襖で仕切った部屋に複数の旅人が泊まり、隣室の声が筒抜けになるのも当たり前だったそうだ。
旅籠とは、旅人同士が同じ空気を共有する場所だったのだろう。ゑちごやの玄関にずらりと残る講の招き看板は、その歴史の証しともいえる。
一日一組限定の宿となり、空間を贅沢に使えるようになったいまも、100年以上使われてきた漆塗りの座卓やお膳は健在。重厚な猫脚の座卓はおそらくもう作れる人がいない希少な調度品だ。
ここは江戸の旅気分を体感できる場所。旅のスタイルこそ変われども、『ゑちごや旅館』にはいまも静かに200年前の時が流れている。
『ゑちごや旅館』詳細
[下諏訪宿]代々受け継がれる脇本陣の矜持(きょうじ)『御宿まるや』【長野県下諏訪町】
下諏訪宿の中心部のなかで、ひと際目を引く白漆喰壁と立派な格子戸。江戸時代末期の古文書の間取りや絵図を参考に、当時の建築様式が復元されている。江戸時代中期から仮脇本陣を務め、文化10年(1813)からは正式に脇本陣となった。
「入口に江戸時代から残る看板を掲げているのですが、小さく脇御本陣という文字が書かれているんです。自ら“御”をつけるほど、脇本陣が誇らしいことだったということが伝わりますね」とは、13代目となる大久保昌志さん。
「宿賃の代わりに書や歌などを残す習慣があったので貴重な品々が多く残っていますが、経営は苦労が多かったそうです。お泊まり中に倒れたり、病気になったりして亡くなられた方を葬った客墓が近くの来迎寺にあるんですよ。当たり前のことだと思っていたのですがよく驚かれます。むかしの心の余裕を感じますね」
その思いやりあふれる心遣いは一日3組限定のおもてなしにつながっているのかもしれない。夕食は部屋で地のものをいただき、広々とした湯船の温泉に心がほぐされる。下諏訪宿の風情に浸りながらゆったり過ごす時間は、なんとも贅沢だ。
『御宿まるや』詳細
取材・文=松井さおり(旅籠 松代屋、ゑちごや旅館)、井島加恵(御宿まるや)
撮影=平松マキ(旅籠 松代屋、ゑちごや旅館)、yOU(河﨑夕子)(御宿まるや)
『旅の手帖』2026年5月号より






