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散歩の達人 2026年6月号
散歩の達人 2026年6月号
『散歩の達人』30年の歴史の中で、いちばん多く特集した街「鎌倉」。12回目となる今回のテーマは、何度訪れている人でも“また散歩したくなる”。夏の気配とともに、また鎌倉を歩こう!

海風薫るよこすか海岸通りを歩く

京急本線横須賀中央駅に着き、東口の改札を出ると「中央Yデッキ」と呼ばれるY字型のペデストリアンデッキが広がる。デッキの中央部分が円形に空いていて、その周りはベンチになっている。腰かけている人も多く、待ち合わせ場所としても利用されているようだ。デッキを降りて若松通りを進み、今日の最初の目的地である三笠桟橋を目指す。

横須賀中央駅東口。
横須賀中央駅東口。
市役所前公園の手前から丘陵の方向を望む。
市役所前公園の手前から丘陵の方向を望む。

横須賀市役所の前を国道16号沿いに少し歩くと、よこすか海岸通りが見えてくる。三笠公園やうみかぜ公園などを結ぶ、文字通り海沿いを走る道路だ。通りの中央にヤシの木が植わっていて、海沿いの雰囲気を演出している。

通り沿いにはマンションも多く、通りに面したエントランス側のデザインが凝っていて楽しい。海が近くなってきたという開放感もあり、ちょっとしたリゾート地に来たようだ。

よこすか海岸通り。
よこすか海岸通り。
おしゃれなマンションが多い。
おしゃれなマンションが多い。
柱がかっこいい。
柱がかっこいい。

三笠桟橋からかつての首都防衛の拠点・猿島へ

よこすか海岸通りを左に逸れてしばらく進むと、三笠ターミナル/猿島ビジターセンターの建物が見えてくる。その目の前の桟橋には「NEW KUROFUNE」と書かれた猿島へ行くフェリーが停まっている。今日はこのフェリーに乗って、東京湾に浮かぶ無人島、猿島へ向かう。

NEW KUROFUNE。右奥に猿島に猿島が見える。
NEW KUROFUNE。右奥に猿島に猿島が見える。
フェリー乗り場の横は三笠公園。戦艦三笠が展示されている。
フェリー乗り場の横は三笠公園。戦艦三笠が展示されている。

定刻にフェリーが出発すると、桟橋からも見えてきた猿島の姿がみるみるうちに大きくなってくる。三笠桟橋を出て10分ほど、船酔いする間もなく猿島桟橋に着いてしまった。

猿島が見えてきた。
猿島が見えてきた。
猿島桟橋。
猿島桟橋。

猿島に到着し、事前に予約していた〈無人島・猿島「探検」ツアー〉(60分アドバンスコース)に参加するため、猿島ウェルカムセンターの受付に向かう。桟橋を降りて少し進んだところには砂浜もあり、子供たちが拾った貝殻を並べていた。

今回訪れた猿島は、幕末から第二次世界大戦まで首都防衛の拠点として台場や砲台などが築造された「要塞の島」だった。終戦まで一般人の立ち入りが禁止されていたため、比較的多くの自然環境が残されているという。

砂浜。バーベキューもできる。
砂浜。バーベキューもできる。

ツアーでは各時代の軍事施設の遺構と島内の自然を、ガイドによる解説とともに見て回ることができる。受付でイヤホンガイドを受け取り、簡単な注意事項を聞いたら、ツアー出発だ。元気なガイドさんの案内に従って、石畳の坂を登っていく。

電気灯機関舎(蒸気機関発電所)の煙突。その向こうは海と横須賀中心市街地。
電気灯機関舎(蒸気機関発電所)の煙突。その向こうは海と横須賀中心市街地。

坂を登ると、やがて道の両側に石垣が迫る「切通し(第二砲台塁道)」エリアに入る。弾薬庫や兵舎の出入り口がある東側(写真右側)は明治10年代、西側は明治30年代後半に建設されたとされ、どちらもが用いられている。東側は石垣が下の方に行くほど手前に反っていて、西側は垂直に立ち上がっていて、時代によって積み方が異なっていたそうだ。

切通しの石垣。
切通しの石垣。

切通しを抜けると、煉瓦造りのトンネル(隧道)の出入り口が見えてくる。「フランス積み」と呼ばれる、レンガの長手と小口を交互に積む方式で建造されており、国内に残るフランス積みの大型建造物として大変貴重なものだという。

トンネル内部。
トンネル内部。
フランス積み。
フランス積み。

煉瓦造りの史跡と原生林が同居する、ある種神秘的な光景のためか、コスプレイヤーの人がトンネル付近で写真撮影を行っていて、皆さまざまな目的でこの島を訪れているのだなと思った。

島内の展望台からは、横須賀市の中心市街地から横浜みなとみらい、本牧埠頭、川崎方面まで望むことができる。このまま砲台や弾薬庫などを見学しながら島を一周してツアーが終了した。次のフェリーまで時間があったので、人が多くてゆっくり見られなかった場所などを再び見てまわり、結局島内を2周してしまった。

横須賀市街地を望む。
横須賀市街地を望む。

再び市中心部へ。「境界」を目の当たりに

猿島からフェリーに乗って三笠桟橋に戻り、再び市内を歩く。三笠公園通りの歩道と車道の間には繋留用のボラード(係船柱)が並んでいて、港町らしい。

公園沿いには十字架を掲げた横須賀学院の校舎が立つ。かつてこの土地には海軍機関学校があり、芥川龍之介や内田百閒が教鞭を執っていた。戦後、青山学院が土地を取得し青山学院横須賀分校として使われたのち、1950年に横須賀学院として開校した。

三笠公園通り。
三笠公園通り。
横須賀学院小学校・中学校・高等学校。
横須賀学院小学校・中学校・高等学校。

三笠公園通りから国道16号方面へ進むと、右手に米海軍横須賀基地(横須賀海軍施設)のウォンブルゲート(Womble Gate)が現れる。「在日米海軍施設 関係者以外 立ち入り禁止」と書かれた看板がゲートの中央に掲げられていて、日常の中で基地を目にすることがないせいか、ゲートの前を通るだけなのに少し緊張してしまう。

ここにもアメリカがある。
ここにもアメリカがある。

国道16号を渡りそのまま西に少し歩くと、歩道橋の向こうに米軍基地の正門が見える。文字通りの「門」があり、先ほどのゲートよりも「境界」であることを意識させられる。正門から16号を挟んだ道沿いには英語の看板が並び、不動産屋や両替商、自動車販売など、基地関係者がよく利用する店が揃っているようだ。

市内中心部を歩いていると、街なかのマンションから基地関係者と思われる若いアメリカ人(おそらく)が出てくるのを何度か見かけた。海軍基地内にも居住施設はあるが、市内の「外国人向け」マンションに居を構える人も少なくないという。英語の不動産屋はそうした需要に向けたものなのだろう。

歩道橋の向こうに見える、米軍基地の正門。
歩道橋の向こうに見える、米軍基地の正門。
正門横の「CLUB ALLIANCE」。1階の日米文化交流センターは日本人でも入場許可なしで入ることが可能。
正門横の「CLUB ALLIANCE」。1階の日米文化交流センターは日本人でも入場許可なしで入ることが可能。
正門の前の通りには英語の看板が並ぶ。
正門の前の通りには英語の看板が並ぶ。

16号沿い横須賀本港に向かって歩いていると、遠くからでも目立つ特徴的なデザインのビルが立っている。「ベイスクエアよこすか」という2009年に開業した複合施設で、丹下健三の設計だ。

もともとこの敷地には海軍下士官兵集会所があり、戦後は米軍に接収されEMクラブ(Enlisted Men’s Club)として利用されていた。当時の写真を見ると、塔状の部分など、現在の建物にもイメージが引き継がれていることがわかる。
https://www.yokosuka-lib.jp/c1/bib/jpg11799.jpg(横須賀市立図書館デジタルアーカイブ/資料バーコード 7000009576)

EMクラブにはダンスホール、レストラン、映画館、銀行などがあり、ルイ・アームストロング、グレン・ミラー、フランク・シナトラなどの著名なミュージシャンたちが米国から招かれて公演を行ったという。

ベイスクエアよこすか。
ベイスクエアよこすか。
旧海軍下士官兵集会所跡の碑。
旧海軍下士官兵集会所跡の碑。

基地の横に、日常が

ベイスクエアよこすかから16号を挟んだ向かいには、ショッピングモール『Cosca Bayside Stores(コースカ・ベイサイド・ストアーズ)』が立つ。

コースカ自体は2020年にオープンした新しい商業施設だが、それ以前はショッパーズプラザ横須賀(1991年開業)というショッピングモールがあり、もともとは住友重機械工業横須賀分工場(旧横須賀海軍工廠)の敷地だった。工廠時代に設置された巨大なガントリークレーン(1975年に解体)は、長い間軍港横須賀のシンボル的存在でもあった。横須賀市立図書館デジタルアーカイブでも当時の写真を見ることができる。
https://www.yokosuka-lib.jp/c1/bib/jpg12026.jpg (横須賀市立図書館デジタルアーカイブ/資料バーコード 7000009675

歩道橋ベイウォーク上からコースカベイサイドストアーズ方面を望む。チェーン店の看板の向こうに米軍の艦船が見える。
歩道橋ベイウォーク上からコースカベイサイドストアーズ方面を望む。チェーン店の看板の向こうに米軍の艦船が見える。

ここらでちょっとお昼でもと思い、コースカ内のフードコートに立ち寄ってみるも、週末の昼ということもあってどこも席がいっぱいで、諦める。基地関係者と思しき人たちの英語が飛び交い、まるでアメリカのフードコートに来たようだった。

そのままコースカの西側に隣接するヴェルニー公園に向かうことにする。横須賀製鉄所建設に貢献したフランス人技師ヴェルニーの名を冠した公園で、海沿いのボードウォークからは横須賀本港を一望できる。

ヴェルニー公園。
ヴェルニー公園。
軍艦山城之碑、国威顕彰記念塔、軍艦長門碑などが並ぶ。
軍艦山城之碑、国威顕彰記念塔、軍艦長門碑などが並ぶ。
海沿いのボードウォーク。
海沿いのボードウォーク。

ボードウォークから海を見ていた小さな子供が、「エイがいる!」と大きな声をあげて指差していたので、そちらの方を見ると本当にエイが泳いでいた。

エイ。
エイ。

公園内に西洋館のような建物があったので入ってみると『よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸』という横須賀製鉄所の歩みなどを紹介する展示施設だった。建物は横須賀製鉄所副首長ジュール・セザール・クロード・ティボディエの暮らしていた官舎を再現したもので、館内にはティボディエ邸から移設した実物の壁やトラスなども展示されている。

市内に点在する歴史・自然・文化のスポットを周遊し、街全体をミュージアムのように楽しむという「よこすかルートミュージアム」(https://routemuseum.jp/)の拠点施設になっていて、市内各地の遺産や観光スポットの情報を得ることもできる。

よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸。
よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸。

展示を見て再び公園を散策していると、ピアノの鍵盤をランダムに弾く音が聴こえてきた。音のする方をみると、洋風のあずまやにピアノが設置されていて、子供が弾いて遊んでいるようだった。周囲にはフランス式花壇が整備されていて、背後には海に迫る丘陵が見える。

あずまやとヨコスカ街なかピアノ。
あずまやとヨコスカ街なかピアノ。
週末なので地元住民、観光客でにぎわっていた。
週末なので地元住民、観光客でにぎわっていた。
米軍横須賀基地/海上自衛隊横須賀地方総監部の標識。横須賀ライオンズクラブ寄贈と書かれている。
米軍横須賀基地/海上自衛隊横須賀地方総監部の標識。横須賀ライオンズクラブ寄贈と書かれている。

洋風あずまやや花壇を見ていると、いかにも週末ののどかな公園といった光景だが、横須賀本港の方に目を向けると右手に米海軍横須賀基地、左手に海上自衛隊横須賀地方総監部があり、係留されている艦船・潜水艦が目に入る。

ボードウォークを歩く子供たちと、その向こうに見える艦船と潜水艦。
ボードウォークを歩く子供たちと、その向こうに見える艦船と潜水艦。

公園を西に歩くと、港に面して展示された巨大な砲台が見えてくる。旧横須賀海軍工廠で建造された戦艦「陸奥」の主砲だ。主砲の前のベンチでは地元に住むと思しき人たちがくつろぎながら談笑しており、公園をよく利用する人たちにとっては巨大な主砲も係留された艦船も、日常の風景に過ぎないのだろう。

戦艦「陸奥」の主砲。
戦艦「陸奥」の主砲。

ヴェルニー公園の西側にはJR横須賀駅がある。中心市街に位置する京急の横須賀中央駅や汐入駅に比べると、JR横須賀駅の前にはバスのロータリーとマンションくらいしかなく、どこか寂しく感じる。

もともと海軍関連施設と東京方面との連絡を円滑にするための「軍事鉄道」として計画され、明治22年(1889)に開業した。現在の駅舎は昭和15年(1940)に改装されたとされる3代目で、どこか古風な雰囲気をまとっている。

横須賀駅舎。
横須賀駅舎。

取材の前に、横須賀を舞台にした映画『豚と軍艦』(今村昌平監督、日活、1961年公開)を見たのだが、この駅舎も何度か登場している。1961年の映画に映っていた駅舎が当時とほとんど姿を変えず使われていることに、少し感動してしまった。

また、昭和館のデジタルアーカイブで公開されている映像「本州の横須賀への最初の占領軍の到着 1945年8月」には、終戦直後の横須賀駅ホームと駅舎の映像が収められていて(3:11くらいから)、空襲を避けるためか黒っぽく塗られている駅舎を確認できる。https://search.showakan.go.jp/search/video/detail.php?id=90148851

駅舎内部。
駅舎内部。

ドブ板通り商店街から若松マーケットへゆく

横須賀駅から国道16号に出て、先ほど通り過ぎてしまったドブ板通りを目指す。16号から京急汐入駅を通ってベイスクウェアよこすかの裏手に出ると、駐車場の背後に聳えるコンクリートで固められた崖が目に入った。

海岸まで丘陵が迫り平地が少ない横須賀中心部は、江戸時代より埋め立てによって土地を拡張し、開発を進めてきた。崖にくっつくように立つビルは、そのような制限のある地形の中で発展してきた横須賀の歴史を表している。

崖!
崖!

直角の崖を左に曲がると、ドブ板通りが始まる。ベイスクエアよこすか(EMクラブ)から東に延びる道に、スカジャンを扱うお店やショットバー、ハンバーガーショップなどが並んでいる。

ここからドブ板通り。
ここからドブ板通り。

その範囲と名前の由来について、ドブ板通り商店街のウェブサイトにはこう書かれている。

「どぶ板通りとは、京急汐入駅から米海軍ベースにかけての一帯の商店街のことを指します。正確には横須賀市本町という住所なのですが、ほとんどの地元の人が「どぶ板」という名前で呼び親しんでいます。

どぶ板通りの名前の由来ですが、もともと本町一帯は明治時代以降、帝国海軍の軍港街として栄えました。その頃、本町一帯の通り(現在のどぶ板通り)には道の中央にドブ川が流れていました。そのドブ川が人の往来やクルマの通行に邪魔なので、海軍工廠より厚い鉄板を提供してもらい、ドブ川に蓋をしたことから、いつの日からか「どぶ板通り」と呼ばれるようになり、現在でもその呼び名が定着しているのです。」

“All-aboutどぶ板”.どぶ板通り商店街,https://dobuita-st.com/all-about ,(2026年5月20に日参照).

DOBUITA STREET 手形マップ。
DOBUITA STREET 手形マップ。

通りの名前にもなったドブ川がどこから流れていたのか気になるが、緑ヶ丘女子高校のある山の湧水を源流とする説や、汐留川の分流が流れていたと推測する説もあるようだ(高山英男・吉村生「3 横須賀市 暗渠で味わう「ドブ板通り」」『全国暗渠観光ガイド』p36)。開渠時代の写真があれば見てみたいところだが、昭和20年代にはすでにアスファルトになっていたらしく、現在の風景からその様子を想像するしかない。

ドブ板通り。明治時代のドブ川の幅は1.5mほどあったとか。
ドブ板通り。明治時代のドブ川の幅は1.5mほどあったとか。

上の写真右手のミリタリーショップ『FUJI』は映画『豚と軍艦』にも一瞬映っていたので、歴史のあるお店のようだ。週末だったので、私のような観光客や基地関係者と思われるアメリカ人が通りを行き来し、にぎわっていた。

『FUJI』の脇の道。『豚と軍艦』では小沢昭一ら演じるヤクザたちがこの道から登場する。
『FUJI』の脇の道。『豚と軍艦』では小沢昭一ら演じるヤクザたちがこの道から登場する。

観光地として有名なこともあって、横須賀名物の「ネイビーバーガー」が食べられる飲食店や、スカジャンを並べる店などが目立つ。一方ではお客や店員のほとんどが基地関係者と見られるバーなどもあり、店の前を通ると英語の会話しか聞こえてこない。昨年アメリカに行った際に訪れたバーの雰囲気を思い出した。イメージとしての「アメリカ」と駐留する現実の「アメリカ(軍)」がひとつの通りに同居している、横須賀の風景だ。

横須賀名物「ネイビーバーガー」を扱うお店。
横須賀名物「ネイビーバーガー」を扱うお店。
店頭にスカジャンが並ぶ。
店頭にスカジャンが並ぶ。
ドブ板通り裏手の住宅地に掲示されたOFF LIMITSの看板。
ドブ板通り裏手の住宅地に掲示されたOFF LIMITSの看板。
「警察緊急通報」も設置されている。
「警察緊急通報」も設置されている。

横須賀中央駅まで戻り、再び駅前のYデッキに登ると、提灯の並ぶアーチが見えた。この向こうに「若松マーケット」という飲食店街がある。

若松マーケット。
若松マーケット。
若松マーケットMAP。三つのストリートに分かれている。
若松マーケットMAP。三つのストリートに分かれている。

若松マーケットは戦後の闇市を起源とする飲屋街で、通りにはスナックや居酒屋が並ぶ。ブランデーをジンジャーエールで割った「横須賀ブラジャー」が名物で、各店舗によって異なる味を楽しめるそうだ。

私は全くの下戸なので取材を終えてふらっとお店に入る、といったことはできなかったが、紅白の提灯がともる若松マーケットの雰囲気は魅力的で、お酒が飲める人と一緒に改めて訪れたいと思った。

若松マーケット。暗くなる前だったので、にぎわうのはこれからといった雰囲気。
若松マーケット。暗くなる前だったので、にぎわうのはこれからといった雰囲気。
スナックの看板も良い。
スナックの看板も良い。

横須賀の時が詰まった坂と貝塚

若松マーケットを後にして、今度は横須賀中央駅の反対側へと出る。Yデッキのある東口には平坦な市街地が広がるが、モアーズのある西口の方には急な坂道が続く。これまで歩いたのが海の横須賀なら、これから向かうのは山(丘)の横須賀だ。

三崎街道。
三崎街道。
急な坂道。
急な坂道。

坂を上っていると、左手に小さな公園があり、その一角に「平坂貝塚」と書かれた標識が立っていた。標識には〈この上の丘陵地帯には「平坂貝塚」が残されており、九千年前のものとされる一体の人骨「平坂人骨」が出土しています〉と書かれている。

公園には他にも「横須賀風物百選 平坂」と書かれた説明板があり、それによるとこの坂は平坂といい、幕末に横須賀製鉄所(後の海軍工廠)が開所したことで横須賀村の人口が増大、住宅地が上町方面(台地側の地域)に求められ、平地と台地の往来が増えたことから、その不便を解消するために明治10年(1877)に開通したという。

駅へと続く坂道と小さな公園に、9000年前から150年前に至る横須賀の歴史が凝縮されている。

平坂貝塚。
平坂貝塚。

平坂から左の脇道に入り、さらに傾斜を上りながら歩くと、住宅地の中に大きな公園が見えてくる。マップを見ていたら台地上に眺めがよさそうな場所があったので来てみたのだが、平和中央公園という、よこすかルートミュージアムのサテライトにもなっている公園のようだ。

園内に入ると、猿島で見た史跡のようなものがあり、「米ヶ浜砲台跡」と書かれた解説板が設置されている。

明治時代この場所には、旧陸軍の東京湾要塞として米ヶ浜砲台が設置され、関東大震災による被災で演習砲台へと改変、戦後は中央公園として市民に親しまれてきたが、2020年にリニューアル工事を行い、2021年に平和中央公園として新たに開園したという。

米ヶ浜砲台跡。
米ヶ浜砲台跡。

園内には芝生広場で犬を遊ばせる人や、シートを引いてくつろぐ人、基地関係者と思われる家族などがいて、思い思いに過ごしていた。展望広場からは横須賀中心部と東京湾、先ほど訪れた猿島が一望できる。

猿島が見える。
猿島が見える。

横須賀に来て横須賀らしいものを何も食べていないことに気づき、16号沿いにある『HONEY BEE』に立ち寄り、「レギュラーネイビーバーガーコンボ」を注文する。

カウンター席でに店員さんが肉を焼く様子を見ながら、今日の行程を反芻していた。出てきたネイビーバーガーは顔が隠れるくらいの大きさで、つなぎなし100%牛肉のシンプルな味がおいしい。ハンバーガー1個でも夕飯として十分な満足感だ。今度来た時はトッピングも試してみようと思う。

『HONEY BEE』。
『HONEY BEE』。
ネイビーバーガー。
ネイビーバーガー。

帰りは16号からドブ板通りを経由して京急汐入駅へ向かった。京急線一本で都内に帰れてしまうので、近い。それにしても今回は猿島をメインに行程を組んだため、「水を歩く」という連載にも関わらず、走水水源地や馬堀海岸など他にも市内にある水関連スポットを訪れることができなかった。また改めて横須賀の別の場所も訪れてみたい。

帰りの電車の中ではヴェルニー公園で見た、子供が指差したエイと、その向こうに艦船が停まっている風景のことをずっと考えていた。

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取材・文・撮影=かつしかけいた

【参考文献・URL】

高村聰史.『〈軍港都市〉横須賀』,吉川和文館,2021年7月.

栗田尚弥編.『米軍基地と神奈川』,有隣堂新書,2011年11月.

塚田修一・西田善行 編.『国道16号線スタディーズ 二〇〇〇年代の郊外とロードサイドを読む』,青弓社,2018年5月.

柳瀬博一.『国道16号線 「日本」を創った道』,新潮文庫,2023年4月.

塚田修一.『<基地文化>とポピュラー音楽 : 横浜・横須賀をフィールドとして』,三田社会学会,2014年7月,慶應大学学術情報リポジトリ,https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AA11358103-20140705-0080 ,(2026年5月20日参照).

『歴史と自然の宝庫 猿島オフィシャルガイドブック』,株式会社トライアングル,2020年12月.

『かつて日本の中心がここにあった!横須賀製鉄所』横須賀市文化スポーツ観光部文化振興課.

“横須賀市観光情報”.横須賀集客促進・魅力発信実行委員会.https://www.cocoyoko.net/,(2026年5月20日参照).

“東京湾要塞跡(猿島砲台跡)”.横須賀市.https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/8120/bunkazai/kuni15.html,(2026年5月20日参照).

“ベイスクエアよこすか(横須賀芸術劇場と隣接)”.メルキュール横須賀,https://www.mercureyokosuka.jp/ja/https-www-mercureyokosuka-jp-ja/baysquareyokosuka/,(2026年5月20日参照).

“戦後ジャズ発祥の街 横須賀 協会発足、イベント展開|話題”.カナロコby 神奈川新聞.https://www.kanaloco.jp/news/life/entry-71744.html,(2026年5月20日参照).

“戦後ジャズ史振り返る、「横須賀 JAZZ物語」一県立歴史博物館でトークイベント”.横須賀経済新聞.https://yokosuka.keizai.biz/headline/802/,(2026年5月20日参照).

よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸.https://thibaudier-yokosuka.com/,(2026年5月20日参照).

“よこすか近代遺産ミュージアム ティボディエ邸”.横須賀市.https://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/2150/la_residence_thibaudeir.html,(2026年5月20日参照).

“豚と軍艦|映画”.日活.https://www.nikkatsu.com/movie/20503.html,(2026年5月20日参照).

“ヨコスカネイビーバーガー|ヨコスカグルメ”.横須賀市観光情報.https://www.cocoyoko.net/gourmet/yokosuka_navyburger.html,(20206年5月20日参照).

通っていた高校がJR水道橋駅のすぐそばにあったので、御茶ノ水や神保町にはよく行っていたのだけれど、神田川の北側に位置する本郷や湯島の方はほとんど歩いたことがなかった。当時は書店やレコード屋にしか関心がなかったが、今あらためて地図を見てみると『東京都水道歴史館』や元町公園など、気になる施設がある。高校時代に知っておきたかったという後悔とともに、今からでも訪ねてみたいと思い、思い出の街の思い出がない場所を巡る取材へと向かった。
これまで月刊『散歩の達人』本誌の連載「水と歩く」では、ある街を訪れ、その土地の水にまつわる場所を歩いて巡ってきた。連載も1年が過ぎたということで、そろそろ趣向を変えてみるのも良いかと思い、今回は「井の頭恩賜公園」というひとつの場所だけをじっくり見て回ることにしてみた。23区東部に住んでいるとなかなか吉祥寺に行く機会がなく、井の頭公園を訪れるのも十年ぶりくらいかもしれない。いざ公園を歩いてみると、自分の知っている井の頭公園は池の周りのほんの一部でしかなかったことに気づいた。
私の住む東京23区東部から23区南部にある大田区大森や蒲田といった街までは、京成線、都営浅草線、京急線が相互に乗り入れる一本の路線でつながっていることもあって、その距離ほどには遠く感じない。もう10年ほど前のことになるが、建築史・都市史の研究者に「火災保険特殊地図」を元にJR蒲田駅周辺を案内してもらう機会があり、はじめて蒲田をゆっくり歩いてまわった。“火保図”と目の前の風景を比較しながら街並みの変遷を解説してもらうという、とても貴重な経験だったのだが、それだけでなく蒲田駅周辺の雰囲気が私の地元の23区東部とどこか似ているように感じたことも印象的だった。工業によって栄えた低地の街に共通する空気があるのだろうか。今回はその時歩いたJR蒲田駅周辺ではなく、京急蒲田駅から六郷まで、大田区の低地を歩いてみることにした。