「下北沢らしさ」を築いた先人
1999年3月号の下北沢特集で案内役をしたのは、シモキタ歴19年のフリーター(38歳・独身)。彼が見た「シモキタ」は、再開発の波がまだそこまで及んでいない、ちょっとヒリヒリした夢追い人の街だった。ここは、駅を中心とする半径約1平方キロメートルの範囲にさまざまな文化がひしめき合うサブカルタウン。「ロックスターになりたい」「役者として成り上がりたい」「映画を作りたい」。ふらっと入った酒場で、そんな夢物語をよく耳にした。
もとをたどれば、戦後の下北沢は典型的な郊外だった。駅前の食品市場が「世田谷の食料基地」と呼ばれ、買い出し客でにぎわっていたらしい。そこへ、こっちの方が物価が安いし活動しやすそうだと渋谷、新宿から若者たちが流入。彼らこそ、最初に「下北沢らしさ」を築いた先人だ。
例えば、『ジャズ喫茶マサコ』に通い、日がな一日台本を練っていた演劇青年は、のちにジャズ・バー「LADY JANE」(2025年に閉業)を開いた大木雄高さん。本多劇場グループの本多一夫さんは、『本多劇場』『ザ・スズナリ』をはじめ、下北沢にたくさんの劇場を造った。就職や結婚を機に街を出る人がいる一方で、残った人たちは居場所を拵(こしら)え、そこで独自のカルチャーを醸成。やがて彼らに憧れた次の世代が下北沢を訪れ、90年代〜2000年代初頭のサブカルへとつながっていく。
夢追い人がバトンを繋ぐ
90年代にはライブハウスが増えた。Hi-STANDARDがたびたび出演した『SHELTER』をはじめ、今ではファンの聖地となっているスポットも少なくない。買い物客の目当ては、かつてのような日用品ではなく、主にレコードショップや雑貨店、古着店を巡ること。2004年に複数の古着店が入る「東洋百貨店 本館」(2025年、ビル建て替えに伴い一時閉店。2022年に別館が「ミカン下北」に出店)ができたのを皮切りに、同業の店が続々と開店した(その数はコロナ前の約100軒から2020年以降に倍増し、現在は200軒以上あるとも言われている)。
2010年代に入るといよいよ再開発が本格化。小田急線が地下に潜り、ある意味名所だった「開かずの踏切」が解消されたことは、人の流れが大きく変わるきかっけとなった。全長約1.7kmの線路跡地は、住民や世田谷区、小田急電鉄が用途を話し合い、「下北線路街」として開発することが決定。緑地を整備し、その中に保育園や複合商業施設、映画館、カフェなどを点在させ、新たな文化発信地としてスタートしている。
古きよき下北沢は、いつまで見られるだろう。2026年3月には駅前広場が完成予定だ(3月現在)。並行して行われてきた補助第54号線工事は、引き続き用地の取得が進められている。この街ががらりと生まれ変わっても、そこに新たな「下北沢らしさ」が築かれると期待したい。
下北沢のこれまで
1975年1月
「LADY JANE」オープン
1982年11月
『本多劇場』オープン 若者が夢をかなえに来る街に
2013年3月
小田急線が地下化
2014年
「下北沢駅前食品市場」取り壊し開始
2022年3月
「ミカン下北」オープン
2022年5月
「下北線路街」の全面開業
2025年 7月
「下北沢駅前共同ビル」建て替え開始
取材・文=信藤舞子 撮影=逢坂 聡
『散歩の達人』2026年4月号より








