【本駒込・向丘の切絵図】
東都駒込辺絵図
散歩コースに設定しているのは、切絵図の上半分の神社仏閣を示す赤い部分。一帯には明暦3年(1657)の振袖火事後に移転してきた寺社が多い。富士塚がある駒込富士神社、鷹匠の屋敷跡、駒込名産のナス(茄子)を売っていた駒込土物店跡など、「一富士二鷹三茄子」がそろった縁起のよい散歩道だ。散歩の記念に、「一富士二鷹三茄子」を織り込んだ駒込天祖神社の「駒込縁起お守り」を土産にするのもいい。江戸時代の山門と経蔵が残る吉祥寺では、二宮尊徳の墓碑と八百屋お七と吉三郎の比翼塚をお参りする人が多い。
錦絵は、切絵図から少し離れた駒込追分近くにある古河藩下屋敷から、毎夜鶏の声がするので掘ってみたら金の鶏が現れたという故事から名づけられた鶏声(けいせい)が窪(傾城か窪)を描いたもの。
※掲載の古地図は、江戸の町を32区画に分割して作った切絵図を使用。すべて、麹町にあった金鱗堂が出版したもので、屋号である尾張屋清七から「尾張屋板(版)」と呼ばれる。鮮やかな多色刷りが特徴。
※切絵図内の白色の部分は【大名屋敷などの武家地・御用地】、赤色は【神社仏閣】、灰色は【町屋】、黄色は【道】、青色は【海・川・池】、緑色は【山林・土手・馬場・田畑など】を示している。
【散歩コース】
スタート:本駒込駅は地下鉄南北線で駒込駅から2分・180円、飯田橋駅から7分・180円。
地下鉄南北線本駒込駅→(1分/0.1㎞)→駒込土物店跡→(3分/0.2㎞)→南谷寺→(3分/0.2㎞)→吉祥寺→(6分/0.4㎞)→駒込富士神社→(4分/0.3㎞)→駒込天祖神社→(6分/0.4㎞)→動坂遺跡→(8分/0.5㎞)→養源寺→(4分/0.2㎞)→光源寺→(7分/0.5㎞)→高林寺→(1分/0.1㎞)→地下鉄南北線本駒込駅
ゴール:本駒込駅から往路を戻る。
今回のコース◆約3.0km/約0時間45分/約4000歩
江戸三大青果市場の跡「駒込土物店跡」
土物店とは、近隣の農家が土のついたままの野菜を売っていた市場。神田、千住と並び三大青果市場といわれた。後に駒込青果市場となり、巣鴨に移転し、現在は豊島青果市場になっている。天栄寺門前に碑が立つ。
「駒込土物店跡」詳細
江戸の五色不動の一つ「南谷寺」
元和年間(1615~1624年)に万行律師(まんぎょうりっし)が不動明王像を安置したのが始まり。徳川3代将軍家光が、目黒・目白に対し目赤不動と称するよう命じたという。
「南谷寺」詳細
江戸時代の学寮は駒澤大学の前身「吉祥寺」
長禄2年(1458)に江戸城内に創建。水道橋に移転後、明暦の大火で焼失し現在地に移転。七堂伽藍を備え、千人を超す学僧が学んだ学寮であったが、東京大空襲によりほとんどが焼失し、山門と経蔵だけが残った。
「吉祥寺」詳細
境内には富士講信仰の山も「駒込富士神社」
境内に富士塚があり、江戸時代は富士信仰の拠点になった。毎年6月30日、7月1・2日に山開き大祭が行われ、露店も出てにぎわう。縁起のよい初夢の一番である「一富士」は、この富士塚のこと。
「駒込富士神社」詳細
縁起のよいお守りを授かろう「駒込天祖神社」
文治5年(1189)に源頼朝が奥州藤原泰衝(ふじわらのやすひら)追討の途上、この地に神霊を感じ、神明宮を建てたのが始まり。ご神木の大楠は、触れると運気が上がるパワースポット。「駒込縁起お守り」には一富士二鷹三茄子」が織り込まれている。
「駒込天祖神社」詳細
縄文時代と鷹匠の屋敷跡の2層遺跡「動坂遺跡」
都立駒込病院の外溝工事中に縄文時代の遺跡が発見されたが、さらに調査するとその遺跡の上に、徳川8代将軍吉宗が復活した鷹匠同心組屋敷跡が発見された。駒込病院前と、隣接する駒込公園内に碑が立つ。
「動坂遺跡」詳細
徳川家ゆかりの寺「養源寺」
元和2年(1616)春日局の息子・稲葉正勝が湯島切通坂下に建立。明暦の大火で焼失し、この地に移る。墓地に稲葉正勝の墓がある。寺は夏目漱石の『坊っちゃん』にも登場する。
「養源寺」詳細
金色に輝く駒込大観音(おおかんのん)「光源寺」
元禄10年(1697)創建の巨大な十一面観音は東京大空襲で焼失したが、1993年に総高6m余の木造金箔の大観音が再建された。900年前に「明珍」の号を賜った甲冑師の江戸期の墓がある。
「光源寺」詳細
お茶の水の地名発祥の寺「高林寺」
神田にあったとき、境内の湧水を将軍にお茶用に献上したことがお茶の水の名の由来。織田家や松平家など大名家の墓が多く、江戸時代後期の医師・蘭学者の緒方洪庵(おがたこうあん)の墓もある。
「高林寺」詳細
取材・⽂・撮影=アド・グリーン
『古地図であるく 大江戸散歩地図』より









