だいぶ前から「ああ、ここ行ってみてえ……」と恋焦がれる酒場が多くて、ついに行動へ。酒場以外にもここへ行こう、あそこにも行ってみようと期待を胸に、まずは空港からリムジンバスに飛び乗る。

46歳独身。リムジンバスに乗ることに、こんなにドキドキするのははじめてだ。というのも、これから向かう場所は酒場でもなく『出雲大社』一択。そう、出会いの神様の本拠地だ。

なんなら、リムジンバスの隣の席に早くも結婚相手が座っているのじゃないかと目を爛々(らんらん)とさせていたが、そこには20代の好青年。さすがに早まり過ぎかと、45分の道中を進む。

ついに目の間に出雲大社の鳥居。うわぁ……何たる総合感! さすがは全国の神様が集まる場所というだけあって、迫力が違う。

出雲大社といったら、国内最大級の大しめ縄が有名だが、それよりも本殿の“裏側”に魅せられた。

なんというか、独特な存在感を放つ社の背面は、日本特有の美学すら感じる。そう、スーツは裏地にこだわるという、あの感じ。いろいろな意味で、ここが日本の中枢なのじゃないかと思いましたね。

出雲大社から歩いて20分ほどのところに「稲佐の浜」がある。砂浜の一角にポツリとある「沖御前神社(おきごぜんじんじゃ)」は2025年に遷宮を迎えた。このときは岩の上にあるお社の建て替えに向け、足場が設置されていた。

にじみ出るありがたいパワーを感じる。

蘇(よみがえ)りついでに、そろそろ酒が飲みたいなという本能も蘇る。早々に手を合わせて、いざ、島根の首都である松江へ向かった。

ホテルにチェックインをして、宵闇の松江市街地を歩いて数分……現れましたね。

出たっ、『やまいち』だ! 元々は近くの大橋川沿いにあったらしく、道の拡張工事でそこから少し離れたこの地に移転し来たらしい。現代風のキレイな外観だが、暖簾(のれん)なんかを見れば、その歴史と風格を感じずにはいられない。

「拡張工事をきっかけに……」と、よくぞ廃業を選ばず継続してくれましたと、敬意を持って暖簾をくぐる。

「いらっしゃませ!」

あら、あらあら……なんてすてきな内観! 店の半分はカウンターで奥までずらりと延び、イスはベルベット調の紅い座面。もう半分は小上がりで、その床はイスと同じく赤い。

ああ……できる限り移転前の状態を残しているのだろうなというのが完全に伝わってくる。いいですねえ、非常にうれしくなりますねえ。持っていたカバンを女将さんに預ける。カウンターの真ん中あたり、ベルベットの赤座面に座り、いざ、酒をいただこう。

「すいません、瓶ビールをください」

「おかーちゃーん、瓶ビール!」

確実に名物であろうひとりの女将さんが、もう1人の女将さん(おかあちゃん)に大声で注文を通す。さらに心をときめかせたのは、その声が私の大好きなかたせ梨乃の声に似ていたこと。何とかして、もっと声を聴きたいところ。

「はい、瓶ビールね」

女将さん……いや、梨乃女将がエビスビールを持ってきてくれた。今夜はちょっと、豪勢に。

ごくんっ……ごうせいんっ……ごくん……、くっ、くっ、くっ、うんめえなああああっ! エビスってやっぱり麦味が濃くておいしい。梨乃女将、私の喉はこれで往生したでぇ。

お料理、いただきましょうか。まずは「刺身盛り合わせ」から。カンパチ、イカ、アジ、ヒラメ──ただただ、新鮮というだけで語り尽くせるのか不安だ。

カンパチは脂がのっていて、口に入れた瞬間、ネッチリと舌に絡みつく。イカは透き通るような白さで、歯を入れるとコリッとした食感のあとに、じんわりと甘みが広がる。アジは身がコリシコと締まっていて、噛むほどに旨味が滲み出る。ヒラメは淡白ながら、舌の上でふわりとほどける繊細さ。海鮮を味わっているのではない、私が海に溶け込んでいるのようだ。

「仕事で遊びで来なすった?」

“来なすった”なんて、時代劇のサブちゃんだけが言うのだと思っていた。梨乃女将が軽妙なトークで「赤貝、いる?」とアテをすすめてくださる。

出てきたのはこの地域で赤貝と呼ばれる“サルボウ貝”。見た目は小ぶりで、色も地味目。でも、口に入れた瞬間、驚いた。

プッツリとした食感のあとに、濃厚な貝の旨味が押し寄せる。知ってる赤貝じゃないけど、今後赤貝といったらこっちを思い浮かべるかもしれない。

「おでんおいし“そう”」と、隣のカップルがカウンター目の前にあるおでん槽を見ながら歓喜する。それを聞いた梨乃女将は、「おいし“そう”じゃなく、おいしいのよ!」と一喝。店内が和やかな笑いに包まれる。

真横でそんなやり取りを見ていて、「おでん」を頼まない手はない。こちらもおすすめを盛り合わせてもらったのだが……。

なんという、美しさ! 澄んだ出汁に浮かぶ具材たちは神々しく、図らずも昼間に出雲大社に参拝したときと同じく手を合わせた。

牛スジは、箸を入れるとほろりと崩れ、口に入れればズルッとトロ豆腐は、ちゅるるんと喉を滑り落ちる。まるで絹のような舌触り。大根は芯までしっかりと味が染みていて、噛むたびにじゅわっと出汁があふれる。

セリはちゃくしゃくとした歯ごたえが心地よく、香りが鼻に抜ける。巾着を開けてびっくり。人参、鶏肉、キノコ、糸こんにゃくがぎっしり詰まっていて、まるで小さな鍋を食べているような満足感。ひと口ごとに、異なる味と食感が現れて、まるで“おでん島”の宝探しをしているようだ。

女将さんたちの方言は不思議で、関西弁とも福岡弁とも言いづらく、わずかに東北弁のニュアンスも感じる。

「オシリが邪魔だがね」

「キーッ!!」

梨乃女将が、もう1人の女将さんの目の前を通るたびに皮肉を言われる。2人のやり取りが、なんともおもしろい。この会話とおでんと、いつまでも見ていられるが、そろそろおいとましよう。

「ごちそうさまでした」

「あ、カバン忘れないでね~」

「忘れるわけないがな、大事なもん入ってて」

ふふふ、店を出る最後までたのしませていただきました。

大事なものは、既にカバンへ……いや、心へしまったような気分、だがね。

季節料理 やまいち(きせつりょうり やまいち)

住所: 島根県松江市東本町4-71
TEL: 0852-23-0223
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)