笑ってしまうほど可愛い乗り物

初めてその姿を見た瞬間から心を掴(つか)まれた。「こんな面白い乗り物に乗って、今から山の上まで行けるなんて!」と、胸が高鳴った。どこかからどこかへ移動するという、それだけ見ればシンプルな行為を、魔法のように非現実的なものに変えてくれる乗り物だと思った。

「ブル」が近づいてくるだけでテンションが上がる。
「ブル」が近づいてくるだけでテンションが上がる。

生駒ケーブルについて、忘れがたい思い出がある。かつて、奈良県生駒市で“チェアリング”のイベントをしたことがあった。チェアリングというのは、持ち運びに便利なアウトドア用の椅子を持って出かけ、自分の好きなところに置いた椅子に座ってくつろぐ行為のこと。

酒場ライターのパリッコさんと二人で冗談半分に始めたものなのだが、予想を遥(はる)かに超えて多くの人に受け入れられ、今では手軽なアウトドアの一形態として定着している。

そのチェアリングを市民活動の一環として楽しもうと、生駒市から私の方に正式に依頼があったのだった。当日は、近鉄生駒駅からすぐの近鉄百貨店の屋上広場に参加者が椅子を持ち寄ってチェアリングを楽しむ……はずだったのだが、ちょうどその時間だけ雨が降った。

急きょ、開催場所を市の施設の1階スペースに移し、なんとか催しは終わったのだが、「晴れてほしかったな」と後しさが残った。参加してくれた数人の友人と近くの居酒屋で反省会をした後、生駒ケーブルに乗ってみようという話になった。

生駒山の中腹にある宝山寺駅でケーブルカーを降り、お寺の境内近くから山の麓を見下ろすと、生駒市街の夜景が夢のように美しくて、その日の心残りが吹き飛ぶような気がした。その時から、生駒ケーブルは私にとってさらに特別な乗り物になった。

近鉄生駒駅から歩いてすぐの鳥居前駅。
近鉄生駒駅から歩いてすぐの鳥居前駅。

そんなことを思い出しつつ、生駒ケーブルに乗りに来た。近鉄生駒駅直結の通路を歩き、ショッピングビル「グリーンヒルいこま」を通り抜けて行くと、生駒ケーブルの鳥居前駅が見えてくる。

“日本最古”の営業用ケーブルカー

鳥居前駅から宝山寺駅までを結ぶ「宝山寺線」と、宝山寺駅から生駒山上駅を結ぶ「山上線」の2つが生駒ケーブルを構成している。そのうち宝山寺線の方は、宝山寺への参詣ルートとして大正7年(1918)に開業した“日本最古の営業用ケーブルカー”である。日本のケーブルカーの歴史はここから始まったのだ。

開業当時の生駒ケーブル(写真提供=近畿日本鉄道)。
開業当時の生駒ケーブル(写真提供=近畿日本鉄道)。

駅に「鳥居前」という名がついているのは、開業当時、駅のそばに宝山寺の一の鳥居があったからだという。その後、駅前の大規模な開発に伴い、鳥居は山の中腹へ移されたのだと、近畿日本鉄道の担当者の方がその歴史を教えてくれた。

先述した通り、生駒ケーブルの宝山寺線には犬と猫をモチーフにした2つの車両がある。生駒山上遊園地内に1999年7月にオープンした「IPCわんにゃんふれあいパーク(2003年に「IPCペットふれあいの森」に変更。現在は閉鎖)」にちなんで導入されたもので、車掌の帽子をかぶったブルドッグを模したものが「ブル」、双眼鏡で景色を覗(のぞ)いた三毛猫を模したものが「ミケ」となっている。

鳥居前駅の構内で様子を眺めているだけで、「ブル」「ミケ」の人気の高さがわかる。乗降客のほとんどが車両の前で記念写真を撮っている。海外からの観光客と思われる方の姿も多い。

担当の方によると、宝山寺線は通勤や通学に使われる路線だという。山の中腹には住宅も多く、地域の方の日常的な交通手段としても重要なのだ。平日の朝にはランドセルを背負った小学生たちもたくさん乗ってくるそうだ。

「ブル」「ミケ」だけでなく、ホームを挟んだ隣の線路では、1953年に製造された「白樺(しらかば)」「すずらん」の2車両が現役で運行している。

レトロなカラーリングの「白樺」号。
レトロなカラーリングの「白樺」号。

「白樺」「すずらん」号は、原則的に「ブル」「ミケ」号の点検時のみに運行されるそうだが、駅に停車している姿を見ることができる。昔ながらの渋い配色が好きだという鉄道マニアの方もいるという。

「ブル」と「ミケ」がすれ違う瞬間

担当の方に一通り解説していただき、いよいよ「ブル」号に乗り込んでみる。座席シートも「ブル」「ミケ」をあしらったデザインになっていて可愛い。前方の景色が見えやすい先頭に近い座席は子どもたちに大人気で、すぐに埋まる。

座席シートにも「ブル」と「ミケ」が。
座席シートにも「ブル」と「ミケ」が。

出発時刻が近づき、運転士の方が車内に乗り込んできた……と思ったが、教わったところによると、宝山寺線の運行は、宝山寺駅構内にある運転室から遠隔で行っているそう。車内に乗ってきた方は車掌さんであり、ドアの開閉や安全確認などを行う役割を担っているとのこと。ちなみに、山上線の運転室は生駒山上駅に設置されている。

鳥居前駅から宝山寺前駅までは5分で到着する距離だ。ケーブルカーは「交走式」と言われる、一つ車両が上ればもう一つの車両が必ず下る方式で動いているため、「ブル」「ミケ」号の2車両は必ず同じ位置ですれ違う。乗客がもう一台の車両に向かって手を振る姿が微笑(ほほえ)ましい。自分が今、犬の形の乗り物に乗って山の上へと向かっているのだということが、ふいに面白くなってきた。ここにいる乗客みんな、「ブル」号の中にいるのだ。こうして乗り物に乗っている時、私は心が軽くなる気がする。雑多なことで何かと忙しい日々から、束(つか)の間、解放されるように感じる。

車内が盛り上がるすれ違いポイント。
車内が盛り上がるすれ違いポイント。

宝山寺駅に着き、さらに山上線に乗り継ぐ。これまで何度か生駒ケーブルを利用したことのある私だが、宝山寺駅からさらに上へ向かうのは初めてのことだ。山上線は、昭和4年(1929)に生駒山上遊園地が開園するのと同時に開設されたもの。こちらの線では、「ブル」「ミケ」号と同時期に作られた「ドレミ」「スイート」号の2車両が運行している。遊園地へ向かう気分が盛り上がるような、ファンシーで賑(にぎ)やかなデザインである。

生駒山上遊園地へと向かう山上線の車両。
生駒山上遊園地へと向かう山上線の車両。
車両に同乗しているのは車掌さん。
車両に同乗しているのは車掌さん。

山上線は梅屋敷駅、霞ヶ丘駅を経て生駒山上駅へと至る。そして生駒山上駅の改札を出ると、もうそこは生駒山上遊園地の敷地である。生駒山上遊園地には約20種類のアトラクションがあり、家族連れや遠足の子どもたち、若いグループ客など、幅広い層の人々で賑わっていた。標高642mの生駒山山頂に広がる遊園地だけに、とにかく見晴らしがいい。さっきまで生駒の街なかにいたのが信じられないような気持ちになった。

生駒山上駅の改札を出るとすぐ生駒山上遊園地だ。
生駒山上駅の改札を出るとすぐ生駒山上遊園地だ。

入園は無料で、アトラクションを利用する際には、その都度「のりもの券」を購入するか、「のりものフリーパス」を購入するというシステムだ。ここまで案内してくださった担当の方と別れ、一人で遊園地を歩く。園内のいたるところに、楽し気な可愛いらしい乗り物がある。「そうか、遊園地はいとしい乗り物の宝庫だったのか」と、改めてそんなことに気づき、まずはどれに乗ってみようかと、足取りまでも軽くなってくるのだった。

家族連れで賑わっていた園内。
家族連れで賑わっていた園内。

古い歴史を持つ「飛行塔」から絶景を眺める

生駒山上遊園地には「飛行塔」というアトラクションがあって、園のシンボル的存在になっているのだが、この飛行塔は、1929年の開園当時から稼働する、日本最古ともいわれる大型遊具で、土木学会が定める「土木遺産」にも認定されているのだとか。

また、第二次世界大戦中に日本中の金属が回収される中にあっても、この飛行塔は防空監視所として利用されることになったため、取り壊されずに残ったのだという。

日本最古といわれている「飛行塔」。
日本最古といわれている「飛行塔」。

そう聞けば乗らずにはいられない。のりもの券を買って乗ってみると、飛行機を模したゴンドラが20mほどの高さまでゆっくり上がりながら回転して、思ったよりスリルがある。「うおお!」と一人で思わず声を上げつつ、大阪方面まで遠く広がる街並みを眺める。高い位置から眺める園内の風景もいい。

遊園地はいとしい乗り物の宝庫だ。
遊園地はいとしい乗り物の宝庫だ。

「飛行塔」に続き、生駒山上遊園地で「サイクルモノレール」と「ぷかぷかパンダ」に乗った。どれも生駒山上からの眺めが満喫できる乗り物で、爽快な気分になった。

「ぷかぷかパンダ」は人気アトラクションの一つ。
「ぷかぷかパンダ」は人気アトラクションの一つ。

歴史のある遊園地だからこその、懐かしい雰囲気があちこちに漂っていてたまらない。ちなみに生駒山上遊園地には、信貴(しぎ)生駒スカイラインを利用して自動車でアクセスすることもできるのだが、遊園地より少し低い位置にある駐車場から園の入り口までを「DONDONどんぐリス」というスロープカーが結んでいる。シマリスをモチーフにしたこの乗り物もまた可愛いらしく、いつか乗ってみたいと思った。

駐車場と生駒山上遊園地を結ぶ乗り物。
駐車場と生駒山上遊園地を結ぶ乗り物。

遊園地の中にあるレストラン、「いこま山ビューレストラン」で肉うどんと生ビールを注文して一休みした後、園内の様子を一通り眺めて帰りの生駒ケーブルに乗ることにする。

山上線の停車駅である梅屋敷駅は、山の斜面に立つ宝山寺の本堂に石段を上らずに向かえる近道として、知る人ぞ知る駅らしい。せっかくなので、その梅屋敷駅で降りて宝山寺へお詣りしていくことにした。

梅屋敷駅で降りてみた。
梅屋敷駅で降りてみた。

梅屋敷駅で降りたのは私一人。「みんなこの近道を知らないのかな」などと悦に入りながら(というか、乗客のみなさんは宝山寺に寄らずに山を下りるのだろう)、滝行の場でもあるという「岩谷の滝」を眺め、宝山寺の境内へ。一帯は修験道の場として1000年以上前から信仰を集めて来たというが、その場が延宝6年(1678)に湛海律師によって中興開山され、宝山寺と改められた。ここまでずっと「宝山寺」と記載してきたが、正式には「寳山寺」と表記する。日本三大聖天の一つに数えられるという名刹である。

宝山寺の門前から境内をのぞく。
宝山寺の門前から境内をのぞく。

切り立った岩肌を背にして立つ本堂に手を合わせ、静かな気持ちになる。高い場所から歩いてきた私は、境内を下るようにして生駒ケーブルの宝山寺駅へと向かう。お寺の石段から正面に生駒の市街地が見渡せる。この眺めもまた素晴らしい。

宝山寺の石段からの眺め。
宝山寺の石段からの眺め。

宝山寺駅から、今度は「ミケ」号に乗って鳥居前駅へと向かう。途中で「ブル」号とすれ違い、あっという間に街の中の景色だ。

冒頭、チェアリングのイベントについて書いたが、雨さえ降らなければそのイベントの開催場所になるはずだった近鉄百貨店の屋上広場へも立ち寄ってみた。イベントの主催スタッフの方と下見に来た際、この屋上から生駒ケーブルが見えるのだと聞いたことがあった。

時間帯によるが、生駒ケーブルはおおよそ20分間隔で運行している。ケーブルカーが動き出すタイミングを待ってぼーっと屋上に立っていると、この広場で待ち合わせをしていたらしい男女が、「遅れてごめん」「大丈夫だよ」みたいなことを言いながら身を寄せ合っている。そこにケーブルカーのスタートを待つ私が一人。申し訳ない気がしつつもしばらくそのまま立っていると、視界の遠く、宝山寺駅に停車していた車両がゆっくりと下り始め、鳥居前駅の方からもう一つの車両が上っていくのが見えた。中間地点で「ブル」と「ミケ」が出会う。そう、まるで恋人たちのように……と、気づけばさっきの二人はいなくなっていて、「ブル」「ミケ」はすれ違ってまたそれぞれの場所へと向かっている。

山の斜面をケーブルカーが行き交う。
山の斜面をケーブルカーが行き交う。

あえて書くことでもないかとここまで触れずに来たが、実は取材時は最高気温が35度を超えるような日で、すごく暑かった。生駒山上遊園地を歩き、さらに近鉄百貨店の屋上ですっかり汗をかいてしまった私は、どこかでお風呂に入ってさっぱりしたいと思った。

調べてみたが、近鉄生駒駅近くに銭湯はないようだ。生駒駅から近鉄生駒線に乗って15分ほどの元山上口駅から、さらに歩いて10分ほどの距離にある『亀の井ホテル 大和平群』では、日帰り入浴を受け付けているらしい。旅のついでにそこまで行ってみることにした。

生駒駅から王寺駅までを結ぶ近鉄生駒線の車窓からの眺めはのどかで、自分がどんどん遠くへ向かっているような気分になる(というほどには生駒駅から離れていないのだが)。

目的の元山上口駅を降りると、駅の周りは田んぼと山で、夏休みに両親の田舎へ帰省したかのようだ。ホテルへの案内板を頼りに歩く。

元山上口駅で降りて温泉へ。
元山上口駅で降りて温泉へ。

『亀の井ホテル 大和平群』の建物は立派で、日帰り入浴を利用しただけなのに、いいところに泊まりに来たかのような気持ちになれた。シャワーで汗をすっきりと流し、露天風呂に浸かって空を見上げる。天然温泉の湯は、透き通って香りも優しく、さらりとしていた。

いつか泊まってみたい『亀の井ホテル 大和平群』。
いつか泊まってみたい『亀の井ホテル 大和平群』。

ホテルの売店で缶ビールを買い、ロビーで少し休んでまた外へ出る。田んぼの稲が一斉に風に揺れるのを眺めながら駅へと引き返す。こうしている今も、「ブル」と「ミケ」は誰かを乗せて上ったり下りたりしているだろうか、とふと思った。

揺れる稲を眺めて駅へ引き返す。
揺れる稲を眺めて駅へ引き返す。

「生駒ケーブル」詳細

住所:奈良県生駒市元町1-10-1(鳥居前駅)/営業時間:運転時刻は公式HP参照/アクセス:鳥居前駅へは近畿日本鉄道生駒駅すぐ

文・写真=スズキナオ