「ザンギ」って何かご存じですか?

地方の食文化というものは奥が深い。気候や風土によって育まれてきた郷土料理から、特産品を生かして作られたご当地グルメまで。ローカル企業が生んだ味が局地的に愛されていることもあれば、1軒の店から始まって広く浸透したものもある。

ところで、「ザンギ」と聞いてすぐにわかる人はどれほどいるのだろうか。北海道のローカルグルメとして比較的よく知られた名前かもしれないが、その正しい定義まで説明できる人は多くはないはずだ。巷では「北海道では鶏の唐揚げのことをザンギと呼ぶ」と説明されることが多く、お恥ずかしながら北海道十勝出身の筆者もその認識だった。現に、スーパーのお総菜コーナーでは「ザンギ」という名のもとに一般的な鶏の唐揚げが売られているのをよく見かけたように思う。

いわゆる「ザンギ」のイメージ(写真提供=農林水産省ウェブサイト「うちの郷土料理」)。
いわゆる「ザンギ」のイメージ(写真提供=農林水産省ウェブサイト「うちの郷土料理」)。

しかし、実は「ザンギ」は釧路の『鳥松』という1軒の店から始まったもの。それが進化と変化を経て広まった結果、道内でも地域による味や定義の差があるようなのだが、本来「ザンギ」とは『鳥松』の店の味なのだ。

元祖「ザンギ」を味わいたいならば釧路の『鳥松』へ赴くか、その味を受け継いだ唯一の店に行くしかない。それが、武蔵小山にある『釧路食堂』だ。

ザンギ発祥の店『鳥松』(写真提供=『釧路食堂』山本さん)。
ザンギ発祥の店『鳥松』(写真提供=『釧路食堂』山本さん)。

漁師町で育ち、「人生一度は東京で勝負を」

「『鳥松』は実家のすぐ近くだったんだよね。母も『鳥松』で働いていて、家族ぐるみの付き合い」と『釧路食堂』店主の山本ごんたさん。

山本さんが生まれたのは、釧路市知人町(しりとちょう)。知人鼻という岬のような地形の先端、釧路港のそばで海っぺりの漁師町だ。山本さんの家も漁師で、夏は昆布、秋冬はシシャモがメイン。実家の50m先は砂浜という環境で、「子供の頃は、海で泳いで遊んでばっかりだった」と笑う。

山本さんの実家の目の前から見る夕日(写真提供=山本さん)。
山本さんの実家の目の前から見る夕日(写真提供=山本さん)。

そんな山本さんは、釧路の高校を卒業後に上京し、コピーライターを志して東京の専門学校に進学した。

「広告代理店の仕事に興味があったけど、東京だからこそできそうなことなら、本当は理由はなんでもよかったんじゃないかな。中学生の頃から釧路を離れたいと思っていたし、東京へ出たいという一心だったから」と山本さん。フォークソングが好きで、ミュージシャンになりたいという気持ちもあったという。

「人生1回しかないじゃん。一度は東京に出て勝負してみないとって思って」

山本さん。
山本さん。

最初は専門学校の寮で、日本全国からいろいろな人が集まるなかで過ごした。「出会いがいっぱいあって、おもしろかったよ」と山本さん。働き始めてからは、芸能や広告業界に携わり、イベント企画やプランナーの仕事で大きなプロジェクトにも関わった。実は『釧路食堂』には著名人の常連も結構いるようなのだが、それは仕事のつながりによる知人・友人が多いためだ。

やがて、フリーランスで働いていた時期を経て、ヘッドハンティングされて入った会社で新しい事業を始めることになる。そこで浮かんだアイデアが『鳥松』のザンギだった。

「会社の役員を連れて釧路に行って、『これはうまい、絶対に東京でもウケる』となったんだけど。なんか、嫌になっちゃったんだよね。ノウハウを教えてもらえるのは知り合いの僕だけなのに、どうしてそれで会社を儲けさせなきゃいけないんだろうと思って。それで、独立しちゃった」

それまで飲食業界には全く関わっていなかったや山本さんだが、そんなこんなで「ザンギ」の店を出すことになる。

秘伝のスパイスと、注ぎ足して使う揚げ油

店はアーケード商店街パルムのなかにある。
店はアーケード商店街パルムのなかにある。

山本さんは1カ月間『鳥松』で修業し、元祖「ザンギ」のレシピを習得。縁ある武蔵小山に店を開いたのが2002年のことだ。

専門学校の寮を出てから不動前駅付近に暮らしていたこともあり、武蔵小山はよく飲み歩いていた街だった。「最初は新橋でも探してたんだけど、ザンギのテイクアウトもする予定だったから住宅街のある場所にしようと思って。このあたりのにぎやかさはわかっていたし」。

1960年創業の『鳥松』では揚げ油のラードを注ぎ足して使っていて、山本さんはその油を一部もらってきて使っている。濃くなってくると濾過(ろか)し、新たにラードを足す。油だけを味見しても、しっかりと鶏の風味がするそうだ。

鶏肉の味付けは、複数のスパイスと生姜、山椒。にんにくは使っていない。ウスターソースに似たオリジナルのタレをつけて食べるのが『鳥松』流だ。

黒い揚げ油。
黒い揚げ油。

こんがり揚がったザンギにかぶりつくと、なるほどこれは鶏の唐揚げとは全く違う。ザクザクの衣は食感もあいまって香ばしく、鼻を抜ける香りにもどこか旨味を感じるほど。ジューシーなのに重たくはなく、満足感と同時に清々しさもあって、思わず次から次へと手がのびる。北海道出身かどうかに関わらずこのザンギの虜(とりこ)になる人は多いようで、遠くからでも二度三度と来てくれるお客さんもいるそうだ。

ザンギ(骨あり)850円。骨なしもある。
ザンギ(骨あり)850円。骨なしもある。

店のメニューには、ザンギのほかにもホッケのくんせいや厚岸の岩ガキなど北海道の美味も多い。店で使っている昆布はもちろん釧路産だ。「地元では昆布漁を辞めた人も多いけど、まだ兄貴分が漁師やってるから送ってもらってる。こっちで買うより全然安いよ」。

塩で食べる手羽先揚げ690円。ザンギと食べ比べるのも楽しい。
塩で食べる手羽先揚げ690円。ザンギと食べ比べるのも楽しい。

離れてわかるようになってきた道東のよさ

『釧路食堂』の店内。カウンター席のほか、2階には座敷席もある。
『釧路食堂』の店内。カウンター席のほか、2階には座敷席もある。

山本さんが店を営むうえで心がけているのは「自分が楽しんでやること」だという。「そうじゃないと続かないしね」。東京を満喫し、東京で活躍し、さらに故郷の味も受け継ぎ提供している山本さんが言うと、えらい説得力がある。

上京当時は釧路を出たい一心だったと話していたが、釧路の味を東京で振る舞うようになって20年以上。故郷への思いは、当時から変わったのだろうか。

「よさがわかるようになったと思う。やっぱり道東っていいんだな、って。東京から北海道へ遊びに行く人でも、北海道らしさを味わいたい人は道東に行くよね」

念のため説明しておくと、道東とは北海道の東側を指す地域区分。釧路のほか十勝や根室、オホーツクと呼ばれる地方がその範囲だ。札幌を擁する道央や函館などの道南と比べると地味な印象もあるのだが、豊かな大地の圧倒的な力を感じられるエリアでもある。

釧路の砂浜と線路(写真提供=山本さん)。
釧路の砂浜と線路(写真提供=山本さん)。
町のシンボル、赤灯台(写真提供=山本さん)。
町のシンボル、赤灯台(写真提供=山本さん)。

ちなみに「ザンギ」の名前の由来は、中国料理の鶏の唐揚げ「炸鶏(ザーギー)」から。『鳥松』開店当初は「ザーギー」と呼んでいたが、運が付くようにと「ン」を加えて「ザンギ」になったのだとか。

「そのうち、居酒屋チェーンがタコを唐揚げにして『タコザンギ』って言い始めたんだよね。それじゃあ全然ザンギじゃないんだけど、それもあって『ザンギ』の名前が広まったという印象がある」と山本さん。

大袈裟な言い方だが、なんだか文化の継承と進化の一端を垣間見ている気がする。地域の慣習や風土はどうしてもマクロの視点で捉えがちだけど、案外そのターニングポイントは1人の人間の決意や行動なのかもしれない。武蔵小山に“上京”したザンギの味がどう伝わっていくのか、これからの物語も楽しみだ。

住所:東京都品川区小山4-8-20/営業時間:18:00~23:00LO(日・祝は〜21:30LO)/定休日:不定/アクセス:東急電鉄目黒線武蔵小山駅から徒歩4分

取材・文・撮影=中村こより

ザンギ写真出典=農林水産省ウェブサイト(https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/zangi_hokkaido.html