森下典子 Morishita Noriko

神奈川県生まれ。大学卒業後、『週刊朝日』の連載コラム「デキゴトロジー」の取材記者になり、その体験を描いた『典奴どすえ』(朝日新聞社)を出版。以降、作家・エッセイストとして活躍を続ける。身近な食べものの記憶を綴った『いとしいたべもの』(世界文化社)など、自らイラストを描く著書も。

かわいいディテールに心惹かれる

ひさしぶりに『日本橋 長門』を訪ねた着物姿の森下典子さん。ショーケースの「上生菓子」と目が合った途端、やさしい笑顔がふわっと華やいだ。

──和菓子が大好きって表情に、こちらもうれしくなります。昔から好きだったのですか?
森下

子供の頃は、和菓子より断然、洋菓子が好きで、あんこよりチョコレートだったんです。羊羹やお団子、おまんじゅう、大福などは食べてましたが、たまに練り切りを食べても、「ふーん、和菓子ってきれいだよね」と、思うくらい。すっかり和菓子命になったのは、茶道を習い始めたのがきっかけです。

お茶の先生に教わって以来時折立ち寄る『日本橋 長門』にて。
お茶の先生に教わって以来時折立ち寄る『日本橋 長門』にて。
──映画『日日是好日』で、黒木華さんが、和菓子を食べている場面が印象的でした。
森下

一緒に習っていた従姉妹とキャーキャー言いながら食べていますよね。習い始めて最初のうちは「おいしいな」と思うだけで、あとで先生に「さっきのお菓子、なんだったと思う?」と聞かれても、なんだったっけ? と思い出せないんですよ。「あれは山茶花(サザンカ)だったのですよ」と言われて、そういえばピンクの上に黄色いのがのってたなと、なんとなく思い出すくらい。
でも、お稽古に行く度に違う和菓子が出てきて、菓子器を開けてびっくり。その繰り返しで、2〜3年経った頃でしょうか。あ、これは梅かな。今日のは桜だ!と心に留まるようになり、おいしいだけじゃない魅力に気付き始めたのです。

──今日は、どのお菓子が印象的でしたか。
森下

「若柚子」がありましたね。まだ緑ですが、だんだん黄色くなって、もうすぐ「柚子まんじゅう」が出るんです。これが、大好きなんです。
上の「ぽっち」がですね、練り切りなんです。皮に、すりおろしたゆずの皮が入っているの。食べるとふわっとゆずの風味がして、中のこしあんとの組み合わせもすごくよくて。もう、感動的においしかったんです。なんと言っても表面のポツポツのあばたが、かわいいの。

果物や花木をモチーフにした練り切り。この日は晩秋の風景があった。
果物や花木をモチーフにした練り切り。この日は晩秋の風景があった。
森下さんが描いた『長門』の柚子まんじゅう。
森下さんが描いた『長門』の柚子まんじゅう。
──森下さんのイラストからも、おいしさが伝わってきます。
森下

このディテールに心惹かれるのかもしれません。他にも、『塩瀬総本家』の「びわ」もいいんです。びわの色が、靄の向こうに透けて見える感じ。おへそのハサミの入れ方もきれいなの。北鎌倉の『御菓子司 こまき』の「青梅」も好きですね。本物の青梅のように、うっすら産毛が生えているように見える。眺めていると、旬の青梅が手の中にコロンと落ちた時の、あの感触が蘇るんです。

──和菓子が、その季節の思い出につながるなんて!
森下

名前にもうっとりします。季語や昔ながらの言葉を採用していることが多いんです。
そうして、ある時、「ああ、和菓子を食べるって、季節もいっしょに食べているんだ」と気付いたのよね。手のひらにのる小さな世界に、季節のディテールが表現されて、名前から詩が生まれる。小さなアートなんです。
先生は、全国からいろんなお菓子を取り寄せてくださっていて、「和菓子を食べるのも、勉強です」と言ってくださる。お稽古は、お菓子の鑑賞の場で、五感を全部使って学びました。

大人だけが知るあんこの皮の苦味

──ところで、こしあんとつぶあん、どっち派ですか。
森下

実は、つぶつぶしているより、こしてある方が好きで。ということは本当のあんこ好きと言えないのでは? と以前から思っていたんです。でも、最近、絶品のつぶあんにめぐりあいました。「旅する小豆たち」というぜんざいなのですが、粒の大きさ、ホクホクした感じ、控えめな甘みがとってもよくて、ああ、つぶあんのおいしさってこれなんだ! と気付いたんです。同時に、これは「大人のあんこ」だわと思ったのね。

──「大人のあんこ」ってドキッとする響きですが、どんなあんこなのでしょう。
森下

小豆の皮の風味が生きているんです。その皮の香ばしさや、甘みのどこかに、かすかにほろ苦さが潜んでいる気がします。その、かすかなほろ苦さこそが、大人の味なのではないかと、私は最近思うようになりました。ココアもチョコレートも、本当に上等な大人向けのものは、甘みの奥に、ほのかなほろ苦さを感じるでしょ。私が「旅する小豆たち」に感じたのは、そういう「大人のあんこ」の味なんです。

旅する小豆たち
旅する小豆たち
樹木希林さん主演の映画『あん』(原作:ドリアン助川)がきっかけで生まれたぜんざい。撮影舞台の多磨全生園がある東村山市の製餡会社が作り、東村山障がい者自立支援施設で包装している。西武池袋本店地下1階酒売場内 味小路(名産品コーナー)などで販売。☎03-3981-0111(代表)

冬から春は、椿のつぼみを追いかけて

──お花への関心も、お茶を始めてからですか。
森下

和菓子に季節を感じられるようになったら、茶花も気になり始めました。素朴で、かわいくて、潔くて、清々しくて、気高くて。強く惹かれていきました。
私自身、お花は詳しい方だと思っていたのに、茶花はこれまで知っている花とは違っていて、どんな風に飾るとすてきなのか、まったく知らなかった。何年も何年もかかって名前を覚えて、いつもの道を歩きながら、路肩に咲いている花に引き寄せられるようになったのです。
中でも椿は特別です。一度、かわいいと思うようになったら椿ばかりを探して歩くようになっていました。

散歩道で見つけた早咲き椿の白玉と西王母(せいおうぼ)。「つぼみの中の芯が少し見えるのがいいの」。
散歩道で見つけた早咲き椿の白玉と西王母(せいおうぼ)。「つぼみの中の芯が少し見えるのがいいの」。
──今日の椿も、いつもの道にあったのでしょうか。
森下

いつもの散歩道の土手のところに何種類か椿の木があって、1週間くらい前から目を付けておいたんです。持ち主のおじさんに、「一枝もらえませんか」と、声かけて分けていただきました。散歩道のどこにいつ頃、どんな種類の椿が咲くか、だいたい覚えているんです。
人知れず咲いて、散っていくのもいいかもしれないけれど、花だって一番きれいな姿を見てほしいと思うんです。今回もこうして雑誌に載って皆さんに見てもらえたら、きっとうれしいだろうと。

──咲いたところも見てみたくなります。
森下

椿は、11月からシーズンが始まり、4月まで続きますが、茶道ではつぼみを飾るんですよ。はじめは、どうしてつぼみなんだろう、咲いていないと何かが足りないと感じていました。でもある時、椿はつぼみが美しいんだ! とわかったんです。

──えっ? 咲いている花より、つぼみなのですか。
森下

開きかけたつぼみの中に、芯が少しのぞく瞬間、これから咲こうとする生命力を感じるんです。その生命力こそが美しい。
つぼみと一緒に枝を生けますが、12月は葉っぱの先が少し紅葉しているものを使います。色付いた後に枯れて落ちて、生命が終わっていく姿を想像します。
1月になると、小さな花芽がついている枝を使います。ひとつの季節のめぐりが終わったけれど、新たな再生の季節が始まるということを表現しているんですね。冬から春に向かっていく力強い生命力を、さりげなく表現している。長い間お稽古に通い続けるうちに、この美しさに気付きました。

手軽にできる、小さなお茶の世界

──日常の中で、どんな風にお茶を楽しんでいるのでしょう。
森下

お茶を始めて43年になりますが、野山を歩かなくても、思い立ったら和菓子やお花を家に持ち帰って、すぐに季節を感じられる。これがお茶のいいところだなあと感じます。
デパートの地下へ立ち寄って、和菓子売り場のショーケースから練り切りを選ぶ。帰り道に足元に咲いているお花を少し拝借するだけでいい。お花は、床の間なんてなくても台所や仕事机の脇に飾って、和菓子をお皿にのせて、お茶はカフェオレボールで上等! それだけで日常の中に季節が生まれて、小さなお茶の世界ができあがる。

──わ〜! 本当にすぐできそうです。
森下

ぜひ、やってみて。私は、ちょっと濃いめのお煎茶も好きですが、あんこだとやっぱり抹茶が合うだろうって思います。抹茶は、すぐに使えるようふるって冷凍庫に常備していて、台所でちゃちゃっと点てるんです。お茶碗にお湯を注いで温めている間に、和菓子を頬張って、ティースプーンでお茶碗に抹茶を入れて、しゃかしゃかしゃか。茶筅だけは、食器棚の隅っこに置いてるんです。
今日は、椿を愛でながら、『長門』のお菓子をいただきます。

お稽古でも着ている大切な着物と帯で。「今日は『木守(きまもり)』をおみやげに」。
お稽古でも着ている大切な着物と帯で。「今日は『木守(きまもり)』をおみやげに」。

取材・構成=松井一恵 撮影=小澤義人
『散歩の達人』2019年12月号より

住所:東京都中央区日本橋3-1-3 /営業時間:10:00~18:00/定休日:日・祝/アクセス:地下鉄日本橋駅から徒歩1分