千葉とも違う!知ってほしい二宮の落花生の歴史と味と
明治5年(1872)、横浜に蚕種の買い付けに行った二見庄兵衛が、外国人から「南京豆」を数粒もらい、栽培したことが落花生の始まりといわれる。試行錯誤を経て栽培が盛んになり、明治41年(1908)には、長野県で開催された地方博覧会で農商務大臣から銀杯を受けたほど! 大正期にはアメリカにも輸出されるようになり、二宮駅は落花生の集積場になった。
しかし、その栄光も長くは続かない。昭和12年(1937)の支那事変を機に輸出量は減り、第二次世界大戦で輸出はなくなったという。
「店名の由来ともなった初代・友次郎は、豆を軍に供出しない、という考えでした。戦中、一時期は豆菓子の生産を中止していたようです」
そう教えてくれたのは、二宮駅近くの加工豆販売店『豆友』4代目の店主。明治末の創業で、二宮の落花生の歴史とともに歩んできた。
「戦後、卸屋として落花生を売る店は多かったのですが、加工豆の販売をする店は少なかった。昭和40年代に加工豆の販売を始めた店が多いなか、うちは創業から始めていました。二宮から汽車に載せて東京の方まで運んで。3代目は学生の頃、都内の料亭にも運んでいて」
そんななか、千葉では農業試験場で落花生の研究が行われ、広く扱われるように。シェア率最強・千葉の落花生と、始まりの地・二宮の落花生に違いはあるのだろうか。
「千葉と二宮では乾かし方が違うんです。どちらも掘り起こした後、葉を下に、身を上にして乾かすのは一緒なのですが、千葉では乾いたらそのまま山積みにして風干しし、二宮では脱莢(だっきょう)してさらに天日干し。そうすることでコクが生まれます。種の違いもあるかもしれませんが、先代いわく、二宮の落花生の方が脂肪分があると」
味の違い、食べ比べしたい! そんな二宮の落花生を販売する専門店は、現在町内に5軒。
「生産者が高齢化していることが課題です。なかなか、労力のかかる仕事なので……」
150年以上、脈々と受け継がれてきたものがある。その歴史を忘れないためにも、まずは知ってほしい、二宮の落花生!
豊富な『豆友』のラインアップ!
(1)「中粒塩落花生」800円/ 160g
薄皮付き。実りきってない分サッパリと甘みを感じる味。
(2)「塩味付き落花生」1120円/ 200g
創業当時からの看板商品。深煎りしているためコクのある大人な味。ちょうどいい塩味。
(3)「落花生甘納豆」800円/ 142g
3日間じっくりと煮詰めているため、甘みがぎゅっと詰まっている。
(4)「バターピーナッツ」1120円/ 200g
口に含んだ瞬間広がる塩味と、豆本来の甘みが相性抜群。
(5)「白砂糖付き落花生」1120円/ 200g
3代目が料亭に運んだのもこれ。白双糖を絡めた上品な甘み。
(6)「黒糖付き落花生」1120円/ 200g
沖縄産黒砂糖を絡める。甘みと苦味のバランスが絶妙。
※1 農林水産省「令和6年産らっかせい(乾燥子実)の作付面積、10アール当たり収量及び収穫量」参考。
取材・文・撮影=中島理菜(『散歩の達人』編集部)
『散歩の達人』2025年7月号より





