駅前看板にあった廃物件の表記
中央本線岡谷駅は上諏訪駅の先にあり、諏訪湖からちょっとの距離で、長野自動車道の高架橋が上空を跨いでいます。特急あずさ号を降り、所用を済ませて送迎を受け、岡谷駅へ戻ってきました。用事だけで帰るつもりでしたが、連休のために帰りの特急列車はどれも満席。普通列車にはまだ時間があり、じゃあ岡谷には何があるのかと、駅前観光看板を何気なく見ていました。
すると書かれていたのは。
「丸山タンク」
なんだこれは!? 何かの遺構のようだが、タンクの遺構となれば工業関係か。とすると廃墟が保存されていそうだ。タンクだから水かガスを貯めていた貯蔵施設だろう。帰ろうとしていた気持ちは、すっかり“廃”を探して愛でるモードに変わっていました。
丸山タンクは駅から徒歩10数分です。夕方の商店街はしん……としており、その合間の道を進むと、ショッピングセンターの脇に小さな神社と茶葉販売店があって、不思議な空間が開いています。目的の丸山タンクは茶葉販売店の脇道を進んだところにあるという。半信半疑で歩みを進めていきます。じゃり道になって、トタン壁の小屋が見えてきて……。
なんだこれは(2回目)!?
住宅地の裏手、小高い丘となった階段を登ると、丸いレンガの構造物が突如として現れました。明らかに遺構です。上面が崩れかけ、レンガの高さは1mほど。正円の構造をしており、中心部は一回り小さめの正円でコンクリートの構造物があります。面白い構造をしているな。
小高い丘の上に立つ遺構の経歴
丸山タンクは放置された遺構ではなく、しっかりと階段も整備されて、説明板も立っていました。説明板によると、タンクは外周約38m。立っている位置からは見えづらかったのですが、中心部のコンクリート躯体は異なる直径のものが2つあって、外側は7.3m、内側は3.1mとのこと。真上から見ると、外壁のレンガを含めて三重丸の構造となっています。貯蔵されたのは水でした。
このレンガ壁面の中に水が貯められたのかと思いましたが、それにしては体積が少なそうです。遺構だけではいまいちピンときません。では何故丸山タンクが小高い丘に設置されたのでしょうか。
岡谷は明治期に製糸業によって発展した街です。明治中期に製糸工場が次々と操業しましたが、とくに天竜川と諏訪湖から離れた工場で使用する水の供給が不足しました。そこで、水を安定して供給しようと「丸山製糸水道組合」が結成され、大正3年(1914)に共用の貯水タンクが造られたのです。それが丸山タンクです。
丸山タンクは、諏訪湖から流れる天竜川からポンプで水を汲み上げ、街に広がる製紙工場へと供給されました。いつまで使用されたのか定かではないのですが、1972年頃までは天竜川の取水口のポンプが残っていたそうです。
タンクの構造を観察して茶葉店で聞き込み
正円のレンガをぐるっと一回りしてみます。ポンプは高台に置かれていたので、見晴らしは良いです。周囲に家々が建っているので360度見晴らしが良いわけではないですが、諏訪湖が遠望でき、岡谷駅方向も見渡せます。岡谷駅の先に天竜川の取水口があったようです。
壁面の足元は何かの設備があったのか、土台のコンクリートが四角く出っぱっています。またレンガ壁面には窓がこしらえてあって、そこを覗くと、内部のコンクリートの円に丸い穴が開いていました。窓と穴が重なっていて、ここから導水管が出ていたのかと思ったのですが、それならばレンガの窓も円にすればいいわけで、内部の水の状況を確認する窓だったのでしょうか。フラッと訪れた状況ではいまいちわかりませんでした。
グルッと一回りが二回り、周辺の小道からも観察していると秋の陽光も傾いてきて、寒くなってきました。この辺が潮時だろうと引き上げようとして、先ほどの茶葉店の前を通り過ぎると、丸山タンクの資料があると書いてあります。せっかくだから茶葉を買うついでに聞いてみよう。
「レンガの上にタンクがあったのですよ」
茶葉店の主は教えてくれます。丸山タンクについては独自で調査されたとのことで、ご自身が作られたCGの想像図と古写真が店内にありました。なるほど、レンガの上に鉄製のタンクがのっかっていたのですね。
想像図を見ると、先ほど見た四角い出っ張りは導水管の受け口だったようで、導水管はタンク中心部から水を送り込んでいた構造となっていました。今は土台部分しか残っておらず、それだけでは想像しにくかったので、まさか茶葉店で答えを知ることができるとは思ってもいませんでした。
製糸業が盛んなときは大変にぎわい、丸山タンクの裏手(茶葉店の場所)に遊興施設もありました。製糸業は良質な水と交通手段が要であり、天竜川と鉄道のある岡谷は製糸工場を建設するのに適した場所だったのです。
家々の裏手の小高い丘にポツンとたたずむ丸山タンク。軒先の小道からちらっとレンガの遺構がのぞける秘密基地感がワクワクしました。
製糸業で栄えた岡谷を象徴する遺構は、駅のすぐ近くで眠っています。
取材・文・撮影=吉永陽一