20数年ぶりの新潟へ

秋田出身の筆者は、新潟といえば秋田と同じ米どころで“宿命のライバル”という同等の感覚だったが、学生の頃にはじめて新潟にドライブで訪れた際に、それを完全に覆された。

秋田市内から友人と車に乗って6時間以上、夜中に出発して新潟市内に入ったのは朝方だった。車で走っていると友人が「あれ? 間違って高速道路に入ったかも?」というので、窓の外をのぞくといつの間にか信号のない高架道路を走っていた。お金のない私たちは慌てて下道に降りようとしたが、しばらく走っているとここが無料(ただ)の国道7号であることが分かった。唖然としたまま新潟駅前にたどり着くと、さらにその大都会ぶりに圧倒される秋田県民の私たち──さすがは田中角栄のおひざ元。道路、建物への金のかけ方が半端ではないと、同じ日本海側の県民として大敗を喫したのである。

それから新潟に行く機会はなく、次に訪れたのがそれから20数年後の現在だった。なぜ、今さらかというと理由はひとつ。酒場である。

 

「うわっ、都会だ!」

新潟駅南口。
新潟駅南口。

思わず学生の頃と同じように叫んだのは、その都会ぶりに大いに驚いたからだ。まず駅舎が広大で重厚、こういう駅は、どの出口側も栄えていることが多い。

南口から望める洗練された街並み。
南口から望める洗練された街並み。

エスカレーターを上って南口から見れば……ハイ、都会。なんですか、この洗練された街は。米どころなのだから、もっと田んぼが広がっている風景でもいいはずなのに、広い道路の奥までビルが並んでいる。

新潟駅北口方面。
新潟駅北口方面。

さらにメインゲートの北口になると、もはや大都会。ズドンと延びた東大通沿いは背の高いビルばかり。万代プラザ、一級河川の信濃川をまたぐ萬代橋からは新潟市のシンボル、地上125mの「Befcoばかうけ展望室」が望める。

太くて立派な萬代橋はなんと300mもある。
太くて立派な萬代橋はなんと300mもある。

萬代橋を越えたら、今度は大きな繁華街が待っている。新潟駅のスゴイところは、栄えているのが駅周辺だけではないことだ。

迷路のように張り巡らされたアーケード街。
迷路のように張り巡らされたアーケード街。

やってきた繁華街には、ハァ……と思わずため息が出るほど立派なアーケード街が待ち構える。秋田駅にもアーケード街はあるが……いや、比べるのはやめておこう。メインストリートの東堀通り、西堀通りを散策していると……見えてきました、新潟の酒場が!

『居酒家こばちゃん』の外観。
『居酒家こばちゃん』の外観。

マンションに囲まれた一角に、ポツリと残る老舗のたたずまい。モルタル2階建てで一軒家風の、2階部分のテント看板には『居酒家こばちゃん』と大書されている。居酒屋ではなく、居酒“家”というのに、どこか親しみを覚える。

看板以外は、暖簾(のれん)や置き看板ともに控えめではあるが、こういう雰囲気の外観の酒場ほど名店が隠れている(持論)。さて、今夜もどんな酒場ドラマが待ち受けているのだろうか……さっそく、中へ入ろう。

 

「いらっしゃいませ!」

民芸風で小さめの店内。
民芸風で小さめの店内。

おほっ、ちょうどいいサイズ感! 小さめの店内の半分はカウンター席、半分は小上がり2席と、奥にも数席ある。基本は民芸風の造りだが、壁にはびっしりとメニューや酒のポスターが貼られており、まったく堅苦しくない。そうなれば、喉も心も緩めて酒をいただきたい。ストンとカウンターに座り、その時を待つ。

安定の瓶ビールからスタート!
安定の瓶ビールからスタート!

全国どこに行ったって、裏切らないのが瓶ビール。キンキンに冷えた瓶とグラスを、この美しくも味わいのあるカウンターに並べ、はじめての新潟酒場を始める。

新潟を飲み込まんばかりに酒をあおる筆者。
新潟を飲み込まんばかりに酒をあおる筆者。

ぐいっ……ぐいっ……ごくんっ……、酒が喉を通過する音が体に鳴り響くようだ。ああ、すでにいいですね、新潟の酒場。この酒と共に、おいしい新潟の料理もいただこう、いや、いただかせてください!

旨すぎる! 絶品の新潟料理たち

さりげないイカとこんにゃくのお通しが絶品。
さりげないイカとこんにゃくのお通しが絶品。

その思いを悟ったかのようにイカとこんにゃくのお通しが差し出された。何気なく箸をのばしてひと口……旨いっ! 張りのあるイカは旨味が強く、こんにゃくもイカの出汁をよく吸っている。ほんのりと温かみを感じる、飲みはじめにはちょうどいい一品。

栃尾油揚げ(ハーフ)。
栃尾油揚げ(ハーフ)。

新潟県といえば長岡市発祥の栃尾油揚げは外せない。頼むときに「納豆入れますか?」とマスターから尋ねられ、「もちろんです!」と所望。やってきた栃尾油揚げのハーフサイズは、端から納豆があふれる迫力のビジュアルである。

本場の栃尾油揚げはかなり分厚い。
本場の栃尾油揚げはかなり分厚い。

「ザクッ!」という快音が店内に響き渡ると共に、分厚くて香ばしい油揚げとたっぷりの納豆が口の中いっぱいになる。しかし、この組み合わせ以上においしい料理などあるのだろうか。

 

「お兄さん、どちらから?」

さりげなく声をかけてくるマスター。新潟に来て、これが初めての会話だ。正直、早く誰かとしゃべりたくてしょうがなかった。

「東京から来ました。20数年ぶりの新潟ですけど、大都会でびっくりですよ!」

「ははは、じゃあ東京みたいでしょ?」

マスターいわく、最近は20人くらいの団体で外国人観光客も来るらしい。新潟はだいぶ国際化しているとのことだが、この発展ぶりなら納得だ。

アジフライ。
アジフライ。

それならば、グルメのほうも国際化に耐えうるのかどうか、日本の酒場メニューの代表ともいえるアジフライで試すしかない。まず、見た目の大きさよ! 手のひらほどあるそのビッグサイズだ。こんがりと揚がった黄金色に箸を入れると、中からモワっとおいしい湯気が立ち上がる。

身が締まった大きなアジフライ。
身が締まった大きなアジフライ。

ソースも何も付けずにいただくと、サクサクの衣の食感とたっぷりのアジの脂が口中に広がる。とにかく、食べ応え最高。これなら、体の大きな外国人観光客だって「Fantastic!!」とよろこんでくれるだろう。

少しリッチな甘エビ1200円。
少しリッチな甘エビ1200円。

今まで知らなかったのだが、新潟は「南蛮エビ」という名の甘エビが有名だという。一皿で1200円という、なかなかの高級品だったが、これがまたすばらしい一品だった。

今まで味わったことがないほどのエビの旨味。
今まで味わったことがないほどのエビの旨味。

エビの味が濃ぉぉぉぉいのだ! もともと甘エビは大好物なのでよく食べているのだが、これだけエビの味が濃いものははじめて食べた。舌にのせるとネットリとしたエビの旨味が絡みつき、しつこいほどにいつまでも口の中にエビが留まっているのだ。

佐渡の銘酒で世界遺産を祈願

「ここらへんで、おすすめスポットはどこですか?」

「いっぱいあるよ! 例えばね……」

これですよ。知らない土地へ行って、おすすめスポットを尋ねてすぐに「ここ!」と答えられる人々がいることは、いい街に決まっている。この新潟もそうだった。マスターは、ソコもココもと次々におすすめのスポットを紹介してくれる。

そんなマスターは、新潟の離島・佐渡島の出身。特にその佐渡の魅力を教えてもらっていると、ちょうど店のテレビから佐渡の金山が世界遺産に登録されるかもしれないというニュースが流れていた(訪ねたのは2024年初夏)。マスターと2人で「おお、これは偶然だね!」と言って観ていると、佐渡の子供たちが金山にちなんで金色の千羽鶴を編んでいることを紹介した。

佐渡の銘酒「金鶴」。
佐渡の銘酒「金鶴」。

私もそれに感化されて、佐渡の日本酒「金鶴」をお願いした。ささやかな、世界遺産登録の祈願である。とりあえず、今夜だけは中部地方だの東北地方だのは置いといて、ゆっくりと新潟の酒を楽しもうじゃないか。

それから間もなくして、佐渡島の金山が見事、世界文化遺産に登録決定したのは、 みなさんもよくご存じのとおり。大都会と世界遺産……またもや、新潟という街に圧倒されるのであった。

住所:新潟県新潟市中央区本町通8番町1364-1/営業時間:17:00~23:00/定休日:日・祝/アクセス:JR新潟駅から徒歩24分

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)

年がら年中、酒場を訪れているので、大抵の酒場には順応できると思っている。「大抵」というのは、店先が明るく中もよく見えるチェーン酒場は含まず、築50年は経つであろう古い建物の大衆酒場のことを言う。例えば──「シブい酒場がある」という噂を聞きつけてやって来てみると、闇の中におぼろげに灯る赤提灯と、中の様子は一切分からない引き戸の入り口が待ち構えていた。
どんな街にも歴史が存在して、時に悲しく、時にドラマチックな出来事を刻んでいる。私のふるさとも大きな港町で、かつては北前船の寄港地であり、それによって花街としても栄えた歴史がある。それなりに自慢できる街なのだが、それでもよその街の歴史をうらやましく思うことがある。それが“歴史上の有名人”がいた街だ。例えば鹿児島の西郷隆盛、高知の坂本龍馬、山梨の武田信玄、仙台の伊達政宗など。なにがうらやましいって、街のほとんどの人が圧倒的なシンボルとして誇りに思っているのだ。これは、たまたまそこで生まれ育った者の特権とも言える。そんな街のひとつで、前から気になっていたのが長野県上田市だ。
「ちょっと待ってよ……“ただの家”じゃん!」と、今まで何度となく叫んできた。どういうことかというと、入った酒場があまりにも一般家庭の内装に近く、シブいを通り越して“ただの家”の状態に、何度となく驚かされているのだ。