町そばとは思えぬ店とそば
東武鉄道東上線の北池袋駅を出るとすぐ、本当に目の前に『北池袋 長寿庵』がある。看板には英文表記で「CRAFT SOBA CHOJUAN」、のれんには「ツケソバ」の文字。初めて見た人は、これが町そばの『長寿庵』とは思わないだろう。
店内もスッキリした感じはありつつ、適度にポップ。天井近くにはサーフボードが吊るされている。町そばといえば、なんとなく民芸調で作られた店内のイメージがある。それはそれで雰囲気があるが、こちらの風通しが良さそうな雰囲気もいい。
そして、推しはもりそばではなくつけそば。しかもチャーシューつけ蕎麦だ。そばにはたぬき、メンマ、のり、もやし、煮卵がのり、つけ汁には分厚いチャーシューがたっぷり入っている。これはつけ麺ではない。つけ蕎麦だ。
食べてみると、手堅くおいしい。そばがおいしいのはもちろんだが、ひとつひとつの具材が、ちゃんと作られているのだ。そしてなによりいいのが、満足度が高いこと。これで1150円なら、なにも文句はない。手頃な値段でおいしくてボリュームがある。町そばがそもそも日常使いのための店ならば、これは正しく町そばのそばなのである。
この『北池袋 長寿庵』が昔からこういう店で、こういうそばを出していたかというと、当然、そんなわけはない。3代目で現店主である飯高直樹さんの祖父・広二さんが鶴見の『長寿庵』からのれん分けしてもらい、1952年に店を始めたときは普通の町そばだった。
『長寿庵』が町そば化したワケ
ここで『長寿庵』の説明をしておこう。
『長寿庵』は江戸時代の元禄15年(1702)に、三河から上京してきた惣七さんが京橋五郎兵衛町(今の東京駅八重洲口あたり)に店をかまえたのが始まり。そこから今につながるのだが、同じく江戸時代から続く「砂場」や「更科」「藪」などと違うのが、のれん分けした数の多さ。のれん分けは明治の頃より始まるが、戦争を挟んで戦後には急拡大。1985年のデータでは関東近郊で340店あったという。
この戦後の急拡大こそが『長寿庵』が、そばだけでなく丼ものやカレー、果てはラーメンもそろえた「町そば」になっていく鍵になる。
関東近郊、さまざまな地域に店を出すとなると、当然、地域に合わせたローカライズが必要になってくる。そこに住んでいる人たちの好みに合わせて作り方を調整したり、時代の流行りに合わせて新メニューを作ったり。そばだけでは満足できない人のため、メニューも増えていく。
こうして多くの『長寿庵』は町そばとしての存在を確立していったのだ(その方向にいかなかった店も、もちろんある)。
北池袋は戦後からしばらくは、生コンの工場や印刷所が多くある働く人の街だった。
商店街にはさまざまな商店が軒を並べ、路地には酒場がズラリ。映画館もあった栄えぶりで、飲食店も好調。『北池袋 長寿庵』もかなり繁盛した。そば店は近辺で11軒もあったという。
しかし、時は流れ工場も撤退し、商店街もだんだんと静かになっていった。
『北池袋 長寿庵』は変わらず町そばとして営業していたが、いろいろあった末に26歳から店に入って父親と働いていた3代目の直樹さんは危機感を持っていた。当時は1990年代後半、ラーメンや牛丼など手軽な飲食店が街にあふれ、町そばはだんだんとその数を減らし始めていたのだ。
若い頃にサーフィンに熱中していた直樹さんには、民芸調の店の雰囲気も、なんだか居心地が悪かった。そんなとき、店の壁になにげなくサーフィンのポスターを貼ってみたところ、一瞬で体の中に鬱屈していたものが一気に出ていったという。これが転機だった。
店もそばも一気にチェンジ
2013年、直樹さんが42歳のときに先代の父親が引退。そこから直樹さんは『北池袋 長寿庵』を一気に変え始めた。格子の窓ガラスを外し、店内を今のようなポップな内装に変更。メニューも変えた。
当時、その後の方向性を決めた新しいそばが、今も出しているトマトチリチーズ蕎麦だ。
トマトの酸味とダシ、かえしが合わさり、意外にまろやかなツユ。しかしチリの刺激がちょうどいい塩梅で食欲を刺激してくる。たっぷりのったチーズはコクを加え、旨味がさらに引き立つ。ツユの中にはたっぷり豚肉。しっかりしたそばは、これらに負けない存在感がある。
トマトチリチーズ蕎麦も、チャーシューつけ蕎麦も、いわゆる町そばとしては、かなりの変化球だろう。しかし直樹さんは、『長寿庵』としての本質は変わっていないという。要するに“手頃な値段でおいしくてボリュームがある”町そばとしての基本を踏まえたうえでの進化系、ということである。
町そばとして進化した『北池袋 長寿庵』に、父親の頃からの常連客はみんな離れてしまったという。しかし、しばらくすると『北池袋 長寿庵』の評判が知られるようになり、昔とは違う若い客がつき始めたという。いつだって「手頃な値段でおいしくてボリュームがある」日常食を求める人はいるのだ。新しい『北池袋 長寿庵』は、その人たちにちゃんと届いた。
“長寿庵”の看板を背負いながら、町そばの新しい形を示し、それに成功した『北池袋 長寿庵』。町そば好きとしては、こういう店がもっともっと増えればいいのに、と思ってしまうのである。
取材・撮影・文=本橋隆司