夏酒と夏食材で乾杯だ!
道玄坂をひさびさに歩く。抵抗を諦めたくなる8月の暑さ、あらゆるものが混ざりあった繁華街のにおい、派手すぎて逆に何も感じない看板、旅行客をふくむ人人人。とにかく五感で受けとるすべてが激しい……と坂を途中で折れ、小路に入れば急にスンと鎮まるのが渋谷。
その一角にある今日の取材先『立呑み なぎ』は、福島の日本酒を季節の食材を使った料理と一緒にいただける立ち飲み屋だ。
店に入ると、開店からまだ10分程度なのにカウンターがほとんど埋まっていた。人気店なんだなあ。白央さんは「この壁際で飲むのがすきだから開店時間に来るんです」と定位置でもうビールを一杯やっており、2杯目の日本酒からお供させてもらうことにした。
「リキさん、夏酒おまかせで1杯ください!『きょうはこれ飲んどけ!』ってやつで。あと鱧(はも)が大好きで、これ頼んでいいですか? それとね、このいちじくの田楽がものすごくおいしいからぜひ食べてみて」
白央さんは酒の銘柄を店主の 甲田力(こうだりき) さんにおまかせし、私には料理をすすめながらテンポよく注文した。夏酒って響きがいいなとか、白央さんに料理を選んでもらえるなんて……とかの感慨でうかうかしているうちに酒がやってきて乾杯!
ああ、外の暑さから放たれ、旬の酒に旬の食材をあわせて食べるよろこびよ。運ばれてくる料理の一品一品が目にも舌にも夏を届けてくれる。しかも今日は白央さんに酒のアテを選んでもらっちゃう贅沢つきだもんねーっ!
話の前にまず食べて食べて! と言ってくださる白央さんおすすめの料理がどれもおいしくて、ああもう来てよかった……と感激しているのだけれど、今日は職権をフル活用してフードライター、そして生活者としての白央さんの話もたくさん聞かせてもらいます。
闘うフードライター・白央篤司
白央さんが『立呑み なぎ』をはじめて訪れたのは10年ほど前。当時はこの店がオープンしたてだったそうだ。最初は取材でこの店にいらしたんでしょうか?
「いえ、家が近くて飲みにきたのがきっかけです。当時は都心のレストラン取材が多かったから、どこにでもアクセスしやすいエリアに住もうと。渋谷まで歩ける、池尻大橋手前ぐらいのとこに長く住んでました。稼ぎはもう全然(笑)。30代はずっとバイトしながら書いてた。月に10~15軒くらい取材しても、家賃と光熱費で消えちゃう」
食分野のライターはもともと女性が多かったため、何軒も回って食べて書ける、いわゆる“男手”として仕事を獲っていたらしい。フードライターというかフードファイターみたいな生活だったのかもしれない。さらにその後、時代はインターネットメディアへと移行した。
「雑誌のグルメ特集なんかも減って、仕事は本当にきびしい状況が続きました、まあ今も大変だけど(笑)。ブログやネットメディアの全盛期になると、企画から取材交渉、撮影、執筆構成まですべてを一人でやれる書き手が求められて……早いうちからそのへん意識してましたね。全部カバーしてないと生き残れないだろうと。SNS発信も宣伝のつもりでやってました」
白央さんはフードライターの仕事を続けることだけでなく、さらにライターが買い叩かれやすい業界のあり方とも闘ってきた。
「出版業界ではライターが軽く扱われること、あるんです。技能者として扱われない。仕事量に対してギャラが安すぎることも多々ある。ある時期から、悪条件や誠意を感じられない編集者には『これじゃ搾取だ』『そんな扱いでは仕事できない』と声を上げるようにしました。私ら40代が安く仕事を受けてたら、下の世代なんかもっと悪い条件を提示されちゃうでしょう、負の連鎖は避けたいよね」
世代や境遇は違えど、白央さんの言うことは私にもわかる。たまにSNSでライター(特に立場の弱い若手)の地位向上に関する彼の発信を見かけてなんてありがたい先輩だろうと思っていたが、直接聞かせてもらうと圧倒的なやさしさにはっとする。書きたいように書くためにお互い頑張りましょうね、と言って酒を飲む彼のやわらかな笑顔は、こうした闘いの日々の先にあるものなのだった。
生きるための家ごはん、外食はアトラクション
現在はレシピ紹介や家でおいしく食べる工夫について書く仕事が多い白央さん。フードライターとしての自身の立ち位置についてはどのように考えているのだろうか。
「私はだんだんと、一般の人々の食に興味が湧いてきたんです。料理は苦手、あるいは興味のない人に『これならできそう』とか『料理って案外面白いな』と思ってもらえる記事を作りたい。料理好きのための記事はいっぱいあるけど、逆はないでしょう。あまり関心はないけど料理しなくちゃいけない立場の人、世の中に大勢いる。救いまでいかなくても、読んだら彼らがちょっと気がラクになるものを作りたいんです」
白央さんはいつも食を愛しながら、同時に台所へ立つことのおっくうさをすんなりと受け入れる。「おいしく食べたい」と「自炊がめんどくさい」をどちらも同じように尊重してくれるのだ。ゆるしを下敷きにした彼の語りは読者のとらわれた心をほぐす。
「たまに白央さんもレトルト食べるんですかと驚かれたりしますけど、そりゃもちろん食べますよ。“丁寧な暮らし”がもてはやされるのって実際にはそれができないからでしょう? おしゃれな器に盛り付けた料理をきれいに撮って投稿する人たちも、パンツ一丁でカメラ構えてるかもしれないし。現実はそんなもんじゃないですか(笑)」
あまりにきっぱりと言い切ってくれるもんで笑ってしまった。そしてたしかにそうだと思う。そういう白央さんにとって、外食はどういうものなのでしょうか?
「うーん、テーマパークのアトラクションみたいな感じかな。だから一度飲みに出るとかならず2軒、3軒回ります。店によって好きなポイントが違うので。『なぎ』はかならず季節の野菜がカウンターの上に並んでるところ。あとはここにいるお客さん、知らない人たちだけど、みんながこの店のこと好きなんだなってわかるのがいいよね」
白央さんの言うとおり店はずっと人でいっぱいだ。それに来る人来る人、みんななにか差し入れを持ってくるな……と店主の甲田さんに聞いてみると、明日でお店が11周年ということだった。はー、どうりで! 渋谷・道玄坂で10年以上飲食店を続けるというのはただごとではない。これはもうとんでもなく愛されている。
荒波の先にある凪(なぎ)へ
「このくらいの広さの居酒屋って店主の雰囲気が場を作るでしょう? これまでにいろんな飲食店を経験されてきたのもあって、店主の甲田さんはどんなに店が混み合っていても焦らず落ち着いてるんです。だからこの店は居心地がいい」
甲田さんは「ここでお酒や食事を楽しむときは穏やかに、凪(なぎ)のように過ごしてほしい」という理由で店に『なぎ』と名付けた。定位置から甲田さんとカウンターの野菜を眺めて酒を飲んでいる白央さんの表情を見れば、それが正しく実現されていることがわかる。
人気のフードライターである白央さんにも、さっき聞いたような時化(しけ)の日々があった。「今はすばらしい人たちに囲まれて仕事ができているし、ようやく自分の書きたいことを書けるようになってきました」と話す彼のライター人生は、凪を迎えつつあるのだろうか。
また新しい本が出るから買ってね! と笑いながらも、白央さんは私に取材や文筆のあれこれをたくさん教えてくれる。夏酒はすっきりとすいすい飲めるもんだから、うっかり飲みすぎて話を忘れないように気を引きしめた。
店を出ると白央さんは「もう少し飲んで帰りますね、ではまた!」と次のアトラクションへ向かう足取りで街へ消えていった。ありがとうございました!
まだまだ若造の私はこの先もあらゆる風が吹き荒れる予感ばかりで、ときどきすべて投げだしたくなってしまう。でも道玄坂の荒波を超えた先にこんな凪の空間があることを白央さんに教えてもらえて、今日のところはなんだかもう少し自分にできることをやってみようかと思えている。『立呑み なぎ』、また行きたいな。
うまくいく日もまるでダメな日もとにかく毎日がやってきて続いてしまう生活のなかで、行きつけの店というのは、こうして行くたび気持ちをちょっと立て直してくれる場所なのかもしれない。そういう場所をもっているのはきっと生きていくのにいいことだ。
この1年「あの人の行きつけ」連載をお読みくださったみなさん、お店に連れだしてくれたみなさんに心から感謝いたします。ありがとうございました。
取材・文・撮影=サトーカンナ