イギリス生活の経験から生まれた、アンダーグラウンドを愛する心

ライブ前の慌ただしい時間にインタビューを受けてくれたMr.PANこと眞鍋崇さん。
ライブ前の慌ただしい時間にインタビューを受けてくれたMr.PANこと眞鍋崇さん。

実は筆者は月刊『散歩の達人』で2023年、開業から数カ月のタイミングで眞鍋さんに一度お話をうかがっている。あれからもたくさんのアーティストが『TOP BEAT CLUB』に出演しオープンから1年半が経とうとしているが、どんな反響があるのだろう?

「知り合いのバンドは一通り出てもらってうれしかったです。まぁどうなんだろうね、反響といわれるとよくわからないですが(笑)」

とはにかむ眞鍋さん。しかし、ロックのイメージが強い高円寺、ライブハウスの多い吉祥寺の間にあるここ荻窪に、この『TOP BEAT CLUB』が生まれた意義は思いのほか大きい。プロミュージシャンによるステージが頻繁に開催され、ザ・クロマニヨンズら大物バンド、海外アーティストも出演。新たな音楽文化が荻窪で花開こうとしているのだ。眞鍋さんのバンド、THE NEATBEATSも数多くのライブをここで披露してきた。ただ、その一方で眞鍋さんは『TOP BEAT CLUB』をそれほど敷居の高い場所ではないということも強調する。

「たまに名のある人も出るから、敷居の高い場所と思われたりもしているみたい。どうやったら出られるのかなという若い子もいるそうですが、出たいですと言ってもらえれば全然出られますよ(笑)。ブッキングのイベントも開催しています」

プロアーティストだけのハコではない。誰でも音楽を奏でられる場所。それが『TOP BEAT CLUB』だと眞鍋さん。その根っこにある思いを知るためにはまず、彼の若き日のイギリス体験について聞かねばなるまい。

「イギリスに行ってなかったら多分何もしてないなって思います。高校を卒業して予備校に行って、大学行くか行かないかみたいなタイミングで、イギリスに行こうとなりました。僕らの時代はベビーブーム世代。とにかく子供が一番多かったしいわゆる受験戦争もあった。みんながある程度大きな枠の中で動く時代だったんです。大学に行くのが当たり前みたいな雰囲気があって、それ以外の残された人は特殊な人で、そういう人たちにはスポットライトが当たらなかったんです」

彼はそう当時を振り返る。そのうえで、そんな社会に違和感を覚えていたとも話す。

「どうして勝手に大学の話をされるんだろうとは思っていました。僕はロックンロールを習いたい、ロックンロールを教えてくれる学部があればそこに行くのに……。そう思ってたのでイギリスに行ったんです。何がかっこいいのかとか、何が洗練されたものなのか、自分の目利きをどうするかはイギリスのものを見て磨かれていきました。やりたいこと、やりたくないこともそこですごくはっきりしたんだよね」

彼が過ごした1990年代前半のイギリスにはインディーズな音楽や文化、パッションがあふれていた。

「とにかくカルチャーの違いがあった。日本でバンドをやるとなるとメジャーデビューして音楽で飯を食います、みたいな道しかなかった。でも、イギリスは全然違った。僕が行った1992年にはアンダーグラウンドでインディな文化が形成されていて、個人事業主感覚で音楽をやっている人も多かった。そういうシーンがけっこうあったんです。それを見て、こっちのほうが自分に合っていると感じたんです」

自分のやりたい方法で音楽を表現したい。若き眞鍋青年の心に宿った炎が今も彼を動かす原動力となっている。

何かと話題の阿佐ケ谷、西荻窪に挟まれた荻窪は特徴が多くないと思われがちだけど……中央線らしいアンテナ高め、のちょっと上品シティ。荻窪の印象を一変させる新スポットを歩き今の荻窪を楽しみ尽くす。

環八沿いに『キャヴァーン・クラブ』をつくるという野望が動き出す

地下は『TOP BEAT MUSIC HALL』。ビートルズが結成当初に演奏していたことで知られる『キャヴァーン・クラブ』。その伝説のステージを思わせるレンガ造りにするというこだわりは、絶対に諦められないものだった。
地下は『TOP BEAT MUSIC HALL』。ビートルズが結成当初に演奏していたことで知られる『キャヴァーン・クラブ』。その伝説のステージを思わせるレンガ造りにするというこだわりは、絶対に諦められないものだった。

帰国後、眞鍋さんは1997年にTHE NEATBEATSを結成。ビートルズが生まれたリバプールのマージービートをルーツとする彼らの音楽は評判を呼び、翌年にはアメリカの「GET HIP RECORD」からデビューを果たす。数多くのCD、アナログ盤を発表し数えきれないほどのライブも経験してきた。さらにはレコード店やレコーディングスタジオも運営。音楽にまつわること全てを自分自身で動かしてきた眞鍋さんだからこそ、「音楽をやる場所」を作ったのは必然ともいえた。

「残るは“演奏する場所”という気持ちは昔からありました。具体的になったのは2017年~18年頃。もちろん、ライブハウスとなるような地下のスペースを居抜きで借りるという手もあったのですが、それでは自分の思い描いたことが2割くらいしかできないんじゃないかと思った。僕はけっこう変なところにスゴいこだわりがあるんで、一からつくりたいと思ったんです。でもね、とんでもないリスクを負ってしまったなという気持ちもある。今から考えると、もうこの苦労は二度としたくないかな(笑)」

この『TOP BEAT CLUB』最大の特徴は、文字どおりビルを建てるところから始まったという点だ。お金も手間も時間もかかるが、その代わり本当につくりたいものができた。

取材当日は眞鍋さんのバンド、THE NEATBEATSのライブイベントが開かれていた。仙台、蒲郡と地方公演を終えた翌日に2時間以上ものステージ。そのパワフルさとライブの楽しさに言葉を失った。
取材当日は眞鍋さんのバンド、THE NEATBEATSのライブイベントが開かれていた。仙台、蒲郡と地方公演を終えた翌日に2時間以上ものステージ。そのパワフルさとライブの楽しさに言葉を失った。

「コストパフォーマンス的には絶対に良くないですよ。例えばステージにアーチを作ったり壁にレンガを貼るとかね。仮にもし僕が企業の一員で、こういうライブハウスをやりましょうといって案を出しても全部却下されてるでしょうね。でも、俺がやっぱりやりたかったのは、ビートルズが立っていた伝説のステージ『キャヴァーン・クラブ』。それができないなら、もうやらなくていいなとも思っていました」

そんな眞鍋さんの思いが結実した場所、『TOP BEAT CLUB』が今、鳴らす音楽はどんなものだろう。眞鍋さんの言葉からは、とにかくたくさんの人に出演してほしい、いろいろな音楽を聴きたいという音楽愛を感じる。

「やはり目指すのは“地下室の音楽”。コアな部分とか、マニアックな部分。それを堂々とやってほしいんですよね。こういう音楽がを好きな人が今日演(や)っているよとか、こういう人たちが集まっているよというような、そんな特色をそれぞれの人が出してくれたらいいなと感じています。そして、もっというとこの場所をワールドワイドに展開していきたいんです」

自分の部屋を広くしたらこうなった! ひたすらに音楽を楽しむための場所

こうしてついに完成した『TOP BEAT CLUB』だが、この場所は「ライブハウス」ではないと眞鍋さんは断言する。

「ここはライブハウスだという感覚も、実は自分の中ではないんです。たまたま演奏できる場所がある施設。音楽文化の場所という感覚に近いんです」

地下は前述の『キャヴァーン・クラブ』を思わせるレンガ造りのホールだが、1階はカフェ、2階にはレコードショップが入っている。ほかではマネできない「音楽複合施設」。それが『TOP BEAT CLUB』なのだ。

1階は『TOP BEAT CAFE』というカフェスペースになっており、軽食、ドリンクも充実。DJパーティーなども行えるイベントスペースでもある。
1階は『TOP BEAT CAFE』というカフェスペースになっており、軽食、ドリンクも充実。DJパーティーなども行えるイベントスペースでもある。

「自分の部屋がめちゃくちゃ広かったらいいな、みたいな気持ちから生まれた場所。レコードも聴けるし、カフェもあるしライブもできる。アメリカのホームパーティーのイメージってあるじゃないですか。ああいうの昔、憧れていたからね。そのノリは今もあるんですよ」

2階はレコードショップ『TOP BEAT RECORD CLUB』がある。輸入、中古アナログ盤が多数揃いファンにはたまらない。こだわりの音響設備で試聴も可能。
2階はレコードショップ『TOP BEAT RECORD CLUB』がある。輸入、中古アナログ盤が多数揃いファンにはたまらない。こだわりの音響設備で試聴も可能。

音楽を愛する人が作った、音楽好きのための居場所。昔ながらの日本のライブハウスとは、なるほど一線を画す部分もあるが、そういった点も許容されていると眞鍋さん。

「意外と若い子のほうが、昔僕が抱いた感覚に近いんじゃないかと思うんですよね。若い子のほうが独自の楽しみ方をそれぞれ持ってる。ただただ楽しむっていう方法をきっと自分でわかっているんだね。そういう子たちを見ると、まだまだ捨てたもんじゃないなって思う。むしろ僕たちの世代のほうが頭の硬い部分がある。こうじゃないとロックじゃないとかね。そういうことって本当は言う必要がないことなんですよ」

さらに眞鍋さんは、他国の文化を引き合いに出しこうも続ける。

「ヨーロッパやアメリカにツアーで行くけれど、ライブハウスと呼ばれるものはないんです。たとえばカフェやパブ、飲食と音楽がつながっていたり。音楽ができるスペースがたまたまそこにあったり。日本人は細かくジャンル分けするのが好きだから、ライブハウスというカテゴリーがあるけれど、そこはざっくりでいいやんかとも思うんです」

世界を見てきたバンドマンだからこそ叶った、彼流の音楽の届け方。言葉にするとそんな拙い表現になってしまうが、そこには確かに音楽を楽しむ者としての情熱や音楽愛がぎっしりと詰まっている。そして眞鍋さんの思いは、さっき話に出た「ワールドワイド」という言葉ともリンクしていく。

「この間、Instagramで『TOP BEAT CLUB』を見てくれて、アメリカからMVを撮るためだけに来たバンドがいたんです。3日間だけ日本に来ると言って、そのうち1日で撮影できないかと。いざ来てみたらうちを50年とか60年とか歴史がある場所だと思っていたらしくて、去年できたばかりといったら驚いていました(笑)。でもそんなふうに、日本に行ったら『TOP BEAT CLUB』があると思ってほしい。それは目指していたことの一つですね」

ロック小僧が作ったロックンロールなハコは、新たな音楽の聖地になる

アンコールも歌いきった後、眞鍋さんが叫んだのは「ロックンロール最高!」という一言だった。この言葉に全てが詰まっている。
アンコールも歌いきった後、眞鍋さんが叫んだのは「ロックンロール最高!」という一言だった。この言葉に全てが詰まっている。

最後に『TOP BEAT CLUB』はこれからどんな場所を目指していくのか、眞鍋さんにうかがった。

「やっぱりみんなにやさしいのが一番だよね。たとえば演者目線でいうと機材を搬入しやすいとか、そういう細かいことも考えています。あとは車椅子で来てくれた人がいても、分け隔てなく観ていただきたいですし」

また、『TOP BEAT CLUB』に出演するのはミュージシャンだけではないと、眞鍋さん。

「もともと僕はお笑いも好きですし、芸人の方が出るイベントも開催しているんですよ。音楽が好きでロックを聴いたりする芸人の方も多いですし。以前、もったいないなと思ったことがあった。音楽のライブをやっていたら芸人さんがお客さんとして来てくれて『見にきました』というんです。せっかくなら自分たちも出て何かやりなよ、と思ったんですよね。お笑い以外にも、もっとアート的なことをやってもいい。写真とか絵のイベントをやったりミニシアターみたいなこともしたい。やりたいことがね、まだまだいっぱいあるんですよ」

『TOP BEAT CLUB』は生まれたばかりのハコだ。だが、この場所には眞鍋さんがこれまでの人生で見てきたもの、好きなだと感じたものが凝縮されている。レンガ貼りの美しいホールに立つと、時間や重力が歪んだような不思議な感覚に陥る。目を閉じると誰もが踊り出したくなる軽快なマージービートが、また聴こえてくる。この場所が『キャヴァーン・クラブ』のように音楽好きに愛されるハコに育っていくことは、間違いなさそうだ。

住所:東京都杉並区清水1-15-11 NON-NON-HOUSE/営業時間:カフェ:17:00~23:00LO(土・日・祝は12:00~)
レコードショップ:13:00~19:30/定休日:不定/アクセス:JR中央線・地下鉄丸ノ内線荻窪駅から徒歩10分

取材・文・撮影=半澤則吉

プレイヤー、リスナー、あらゆる音楽フォロワー憧れの的である下北沢『SHELTER(シェルター)』。全国的にも知名度が高く、小沢健二の楽曲の歌詞にも登場する。足を運んだことがない人も、その店名は耳にしたことがあるかもしれない。今回はこの歴史あるライブハウスの店長、義村智秋さんにお話をうかがい、店の重ねてきた30年以上の歴史を追体験し、今のライブハウスのスタンスについても考えていく。 ※TOP画像提供:『SHELTER』 ankライブ風景撮影:Akira“TERU”Sugihara
東京はライブハウスが多いだけでなくそのスタイルも実に多様だ。なかでも今回紹介する『まほろ座 MACHIDA』はロックにジャズ、シャンソン、落語やミュージカルまで楽しめるという異色のハコと言えるだろう。しかも、店長を務めるのは2018年に活動を再開した人気バンド、キンモクセイの佐々木良さん。今回はミュージシャンである彼が、このライブハウスとどのように向き合い、どんな音楽を奏でようとしているのかを熱く語ってもらった。 TOP画像提供=『まほろ座 MACHIDA』