『むさしの弁慶』……この外観の時点で、一度は躊躇(ためら)ってはいたのだ。いつくらいからあるのだろうか、モルタル1階建てのかなり古い建物に、4つの橙提灯と杉玉が無造作にぶらさがっている。招き猫が描かれた地面まで届きそうなほど長い藍暖簾(のれん)は、これまた相当シブさを帯びている。

外からは中の様子をまったく窺うことはできず、これはなかなか……いや、相当入りづらい。宿題として持ち帰ろうかとも考えたが、今夜を逃したら二度と訪れない気がする……意を決して、引き戸を引いた。

うほぉ……外観なんて目じゃない、シブみ爆発の迫力の内観。基本は民芸風の店内には、半分がカウンターと半分が小上がり。カウンターのフチ、小上がりの上がり框は見事に擦れて丸みを帯び、茶色く染まった壁や柱と一体感を醸し出している。

いたるところに並んだ酒瓶や甕(かめ)酒、とにかく“置ける”場所には何かしらが置かれているというにぎやかな店内だ。そして、ここのカウンターに座り酒を頼もうとすると……冒頭のやりとりが始まったのだ──。

 

「じゃあ……あの、瓶ビールはありますか……?」

「あるよ、ちょっと待ってね」

はぁぁぁぁよかった。瓶ビールがなかったら、もはや次の手はなかった。心から、瓶ビールってもんがあってよかった。

ぐびっ……どきっ……どきっ……ふぅぅぅぅひと安心のウマさよ! 一気に飲み干すと、緊張で肩に力が入っていたことに気が付いた。果たして、私はこのあと料理なんて頼むことができるのだろうか……。

 

「はい、突き出しね」

「えっ、寿司ですか!?」

「そう、ウチはコレなんだよ」

突然、目の前には寿司3カン。なんと突き出し(お通し)なのだという。しかも……ウマいっ! 脂のノッた肉厚ブリ、ブリンッと身が弾ける大エビ。イカの飾り包丁の具合なんて、これはカウンターの寿司屋レベルだ。

 

「お寿司おいしいです!」

「ホワイトボードにオススメあるからね」

よかった、この良い雰囲気のまま次の料理を頼もう。カウンターの奥に掲げられているホワイトボードに目を凝らし……よし、ほうれん草和えからお願いしよう。

「ほうれん草和え? あー、それも切らしてるよ」

「……えっ!」

本当に……ちょっと怖くなってきた。酒に続き、料理までもないことが続くだろうか……。いや、ここは気を取り直して、他のものを頼もう。

最近好きになった「赤なまこ酢」だ。まさに“赤”といった美しい艶肌に、赤い紅葉おろしがトンッ。

口に入れるとプルプル、それと一緒に首を上下に振られるほどの弾力。酢の漬かり具合もよし、今まであまりなまこ酢を食べてはこなかったが、これはかなりウマい方のなまこ酢で間違いない。

なんだこのデカすぎる「豚ロースカツ」は! 大皿からはみ出さんばかりのカツは、厚みもすごい。きっと『ミスター味っ子』の第1話に出てくる特製カツ丼も、こんな迫力なのだろう。

膨張に耐えられず、衣が解けるほど分厚いカツに食らいつく──う・ま・い!! こんなに分厚いにもかかわらず、サクッと前歯だけでもイケる柔らかさ。肉汁がかつてないほどの洪水を生み、これでもかと豚カツを楽しませてくれる。

そして、またしても突然「玉子焼き」が置かれた。これは一体……マスターに尋ねると、

「ないのばかりだからったからさ」

と、笑顔で言った。なんと、私が頼もうとしたものがないものばかりだったので、サービスだという。サービスって……これ、ちゃんと1人前の量ですけど!

ずっしりと“身の詰まった”玉子焼きは、ほんのり甘くて優しい味。とろり半熟の玉子焼きもいいが、こんなしっかりした玉子焼きも大好きだ。

 

「おいしいです! 手作りですか?」

「いや、セブンイレブンで買ってきたんだよ」

笑顔で冗談を言うマスター。あぁ……この酒場で打ち解けてきた感じ、イイ、すごくイイです。よし、奮発して刺し身いっちゃおう!

やってきました、「弁慶おまかせ刺身四点盛り」のド迫力! イカ明太、真鯛、ハマチ、ブリ、赤海老、黒鯛……点数なんて守る気がない怒涛の六点盛りだ!

明太子をたっぷり包んだイカ明太は、あと10個は欲しいほどの美味で、真鯛は皮付きの新鮮極まりないもの。ブリは言わずもがな、ハマチは上品な脂がたまらなく、皿の隙間にこれでもかと詰め込められた赤海老は、とろけるような甘み。黒鯛は真鯛より身が締まり、その分旨味が凝縮された鯛の王様だ。

これほどのウマさと量で、たったの1300円だって? 奮発したのは、私ではなくマスターだった。

 

「お兄ちゃん、ここはじめて? どこから来たの?」

おそらく、料理のおいしさに感動しっぱなしだったのがバレていたのだろう、カウンター越しでマスターがゆったりと話しかけてきた。

 

「なんだってこんな(古い)店に?」

「好きなんですよ、こんな雰囲気のお店が!」

「変わってるねぇ~」

うれしそうな、呆れているような、なんとも言えない表情のマスター。ここで私も、フッと、本当に気が楽になった。はじめはどうなるかと、ヒヤヒヤしていたのが噓のようだ。だいぶこのカウンターの居心地がいい。

ホッピーや酎ハイを置かないのは、カウンターにいくつも並ぶ焼酎甕(かめ)のものを飲ますためだという。他に飲みたい酒は、冷蔵庫にあるものを客が自分で選ぶスタイル。いいですねぇ、頑なにメーカーの酒を出さないというのではなく、客の飲み方に合わせているのだ。

「マスター、おつかれー」

「おおい」

店に入ってきた常連客と、マスターの気軽な挨拶にマッタリ。それを見て、私も郷に従おう。焼酎甕の酒をマスターに頼み、ポットの水割りでじっくりと飲(や)る。さらに調子に乗って、料理も頼もう。そう、気軽にね。

 

「マスター、自家製厚揚げもらっていいですか?」

「いいよ。セブンイレブンで買ってきて」

 

あはは、こりゃ完全に私もこの酒場の一員になれたろう……だといいな。

『むさしの弁慶』

住所: 東京都武蔵野市吉祥寺北町4-12-22
TEL: 0422-54-1227
営業時間: 17:00~23:00
定休日: 日・祝
※文章や写真は著者が取材をした当時の内容ですので、最新の情報とは異なる可能性があります。

取材・文・撮影=味論(酒場ナビ)