光源氏と藤壺

たとえば、一条天皇と中宮定子の関係にもっとも近かったように感じられる『源氏物語』のキャラクターといえば……なんといっても光源氏と藤壺中宮である。

光源氏の初恋の人、それは義母である藤壺だった。彼女は光源氏の父の後妻として登場する女性である。幼い光源氏は、「死んだ母によく似てる」と言われている義母・藤壺に恋焦がれるようになる。その恋している様子といえば正直作中で「こんなに光源氏が誰かに一途になっていること、ほかにないのでは?」と思ってしまうくらい、盲目なのだ。

たとえば光源氏がはじめて結婚したとき、妻と住む新居を見つめながら、こんなことを思うのである。

「ああ、藤壺さまと一緒に住みたい……」と。

 

〈意訳〉

光源氏は思っていた。

「藤壺さまみたいな人、この世に他にいない! あんな人と結婚したいよお……。

私の妻になった葵の君は、大切に育てられたお嬢であることはわかる。が、なぜか心惹かれない。藤壺さまと比べたら……」

若い光源氏は、日に日に藤壺のことだけを考えるようになってしまい、悶々としていた。

(中略)

光源氏が育った邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下り、素晴らしい改築がなされていた。

元の木立や山の景色が良いのはそのまま残され、一方で池を広くし、美しい邸に造り変わったのだ。

「ああもう、こんな素晴らしい邸になるとは! ここで理想の女性……藤壺さまと住めたらいいのにな……」

光源氏はそう思いながら「まあ、無理なんだけどさ」と新居を眺めながら肩を落としていた。

ちなみに「光る君」という名は、高麗人が彼の美しさに感動してつけた名であると、言い伝えられている。

〈原文〉

心の中には、ただ藤壺の御ありさまをたぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ 見め、似る人なくもおはしけるかな、大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。

(中略)里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひおもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばやとのみ、嘆かしう思しわたる。

光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりけるとぞ、言ひ伝へたるとなむ。

(『新編 日本古典文学全集21・源氏物語(1)』より原文引用、訳は筆者意訳)

 

新妻がかわいそうすぎるエピソードである。葵の上からしたらたまったものではないだろう。なんだか『光る君へ』における、主人公のまひろと道長と倫子の関係を彷彿とさせるような描写だ、とも思う。

ここで改修された「里の殿(光源氏にとって故郷となる邸)」は、光源氏の母・桐壺更衣の里邸で、元服した光源氏が伝領したあとは「二条院」と呼ばれている。『源氏物語』内ではこの後紫の上(藤壺の姪、光源氏の妻)を迎え入れることでも知られている場所だ。

余談だが、『源氏物語』が書かれた頃の「二条院」のあたりには、藤原道長が有する二条殿があったらしい。このような状況からも、光源氏と藤原道長が重ねられている説、というものが出てくるというわけだ。『光る君へ』ファンなら色めきたってしまうエピソードである。

ちなみに「二条院」は現実にも存在しており、二条城の近くに「二条院候補地(陽成院跡)」として看板が立っている。ちなみに『京都国際マンガミュージアム』のすぐ近くなので、二条院候補地のあたりを歩いた後、マンガミュージアムで『あさきゆめみし』を読むのも良いかもしれない……。マンガミュージアムは入館料を払えば漫画を借りて館内で読むことができる場所なのだ。マンガ好きな方はぜひ一度立ち寄ってほしい。

『京都国際マンガミュージアム』。
『京都国際マンガミュージアム』。

光源氏と玉鬘

さて、年齢の話に戻すと、邸が改修状況にあるとき、光源氏と藤壺は、5歳差(藤壺が年上)。

一方で、光源氏と葵の上は4歳差(葵の上が年上)。

そう、「光源氏はマザコン」というふうにしばしば揶揄されることがあるが、正直年の差だけみると、葵の上(妻)も藤壺(義母)もほとんど年齢は変わらなかったのである。そして現実でも、定子と一条天皇が3歳差で、女性のほうが年上。というわけで、平安時代において年齢差というのは現代ほど気にされていなかったのではないかと言えるだろう。

一方で、男性が年上すぎるような状況については、案外『源氏物語』……というか紫式部は手厳しい。

たとえば、『源氏物語』後半になると光源氏も立派なおじさんになる。すると若いころはたくさんの女性を口説き恋愛してきた彼も、少しずつ、それができなくなっていく様子が描かれるのである。その筆頭が、玉鬘とのエピソード。

玉鬘とは、親友の娘でありとても美しく魅力的な女性。彼女を光源氏は娘代わりに引き取って面倒を見る……ことになったのだが、光源氏は案の定玉鬘を口説くようになる。だが玉鬘に光源氏はまったく相手にされないのだ。

たとえば第27帖「篝火」。光源氏は琴を枕に、玉鬘に添い寝をする。父親代わりとはいえど、なかなかきわどい距離感。そんなとき、消えかかっている庭の篝火にたくして、こんなふうに歌を詠むのだ。

 

〈意訳〉

篝火のように立ちのぼる俺の恋の炎は、いくつになっても燃え尽きませんよ

〈原文〉

篝火にたちそふ恋の煙こそ世には絶えせぬほのほなりけれ 

 

「篝火」を喩えに自分の恋心を熱心に語る光源氏。この歌に対して、玉鬘は以下のように返す。

 

〈意訳〉

煙なら空に消えていくものでしょ、そのうち火も消えるんじゃないですか?

〈原文〉

行方なき空に消ちてよかがり火のたよりにたぐふ煙とならば

 

まさに「煙に巻く」とはこのこと。光源氏の比喩を用いながら、拒否する歌を詠んでいる様子がよく分かる歌のやりとりである。

この後も、親代わりなのに、男女の関係に持ち込もうとする光源氏を、玉鬘は最後までやんわり拒否し、かわし続けたのである。

当時光源氏が36歳、玉鬘が22歳。つまり年の差は14歳ほど。このエピソードを読んだ読者は「なんだか光源氏も歳をとったなあ」と思うことだろう。現代人の感覚の30代と、寿命が短い平安時代の感覚における30代は訳が違う。今でいえば50代くらいの感覚だろうか。

平安時代は、現代よりも年齢の感覚は薄く、年の差があってもあまり恋愛や結婚には関係がない。……といいつつも、玉鬘のエピソードを読むと、紫式部も「年齢を重ねると若いころとは勝手が変わってくるものだ」と思っていることがなんとなく伝わってくる。

大河ドラマ『光る君へ』も、今後もまひろや道長が年齢を重ねる中で、周囲との関係がどう変わっていくかを楽しみにしておこう。

文=三宅香帆 写真=PhotoAC
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京都を歩いていると、ふと、物語の世界に入り込んだような心地になる。というのも、『源氏物語』に出てくる場面の舞台が、あるいは『紫式部日記』に登場する場所が、そこら中に存在しているからだ。京都の魅力は、歴史と現在を分け隔てないところにある。千年前の物語に描かれていた場所が、現代の散歩コースになっていたりするのだ。物語を通して眺める京都は、なんて魅力的なんだろう、とたまに惚れ惚れする。
大河ドラマ『光る君へ』第四話では、「五節の舞」が大きな物語の転換点となっていた。主人公まひろが、三郎の正体――藤原家の三男であり、さらに自分の母を殺した犯人の弟であることを知ってしまうのだ。