飲食店の運営から職人の道へ。調布の名店『柴崎亭』を経て独立

地下鉄新宿御苑前駅から路地裏の花園通りを進み『RAMEN MATSUI』を目指した。新宿2丁目から続く、個性あふれるスナックや居酒屋の看板に目を走らせる。それにしても、面白い店名ってのは声に出してみたくなるものだ。

なーんて思いながら歩いているうちに、「麺」と書かれた提灯と白いのれんが目に入った。

ランチタイムのピークには行列ができる。並び方は立て看板に詳しくある。
ランチタイムのピークには行列ができる。並び方は立て看板に詳しくある。

迎えてくれたのは店主の松井創さん。奥さまの歩さんとともに店を盛り立てている。

北海道北見市出身の松井さんは、デザインや通信、飲食などいろいろな業界で働いてきた。なかでも飲食業は関わりが深かったが、直近では厨房に立つよりは店舗の運営のほうが専門だったという。

「網走にある東京農業大学の北海道オホーツクキャンパスが、地元のものを使ったモノ作りをするビジネススクールを主催していて、そこに通ううちに、もし自分が店をやるならラーメンやうどんを提供したいなと考えていたんですよね」。

紆余曲折を経て、ラーメン店店主になった松井さん。
紆余曲折を経て、ラーメン店店主になった松井さん。

その後、水産加工会社に入社すると、地元のカニを使ったラーメンを作る機会が到来。もともと構想があっただけに、ラーメンの面白さにハマっていった松井さん。本当に自分の店を持ってみたくなってしまった。2020年、調布にある名店『柴崎亭』の門戸を叩き、2年間の約束で修業をさせてもらったのだとか。その間に歩さんとも出会い結婚する。

2022年に結婚した松井さんご夫婦。
2022年に結婚した松井さんご夫婦。

『柴崎亭』を2022の3月に卒業すると、自分の店の開店準備に取り掛かった。地元・北海道での出店も視野にあったが、思うような物件がなかったため並行して東京でも探索。そしてみつけたのがこの店舗だった。

「昼だけで、人を雇わず自分で店をやるほうが将来的にもいいだろうと思っていました。カウンターがメインで8〜12席ぐらい取れ、駅から少し離れた路面店を探していました。1年くらいかかりましたけど、思う通りの店がみつかってよかったです」。

元割烹料理店の内装をそのまま、居抜きで入居。アンティーク調の鋲付きのイスは高級感がある。
元割烹料理店の内装をそのまま、居抜きで入居。アンティーク調の鋲付きのイスは高級感がある。

晴れて2023年5月にオープン。周囲に飲食店が少なく、地元住民や働く人たちを中心に人気を博し、開店間際から行列ができるという。

素材のひとつひとつを吟味し、丁寧に作るラーメン

この日、選んだメニューは松井さんのいちおし、特製醤油1400円だ。営業時間はたった4時間だが、夫婦2人で朝8時から遅い時は夜9時まで働いているという。「仕込みに時間がかかるんですよ。うちはスープを何種類も作って合わせています。なおかつ、醤油系ラーメンのスープと塩系ラーメンのスープはまったく違うので。加えてトッピングやご飯ものも全部手作りしているんです」と松井さん。

ラーメンは醤油、塩、煮干しの3本立て。それぞれに使用食材が書いてあるので、イメージを膨らませてメニューを選ぼう。
ラーメンは醤油、塩、煮干しの3本立て。それぞれに使用食材が書いてあるので、イメージを膨らませてメニューを選ぼう。

松井さんは「ひとつずつ丁寧に作ることは大変だけど、私がやりたかったことだし、自分が食事をするならそういうものを食べたいと思うので」と語る。

こだわりをひとつずつ紹介したいところだが、今回は特製醤油に特化して話を聞かせていただいた。

キリッと淡麗なのだが、ふんわりと口に広がる味の層が印象的なスープ。
キリッと淡麗なのだが、ふんわりと口に広がる味の層が印象的なスープ。

スープは京都産の地鶏・丹波黒どりと親鶏から抽出した鶏清湯、そして羅臼昆布、宍道湖のしじみ、純米酒でととのえた和出汁を合わせている。「スープの構想段階で、鶏を使いたいというのと、地元の名産でなじみがあったしじみを使いたいというのがありました。あとは個人的なこだわりで、ちょっと高価な日本酒を使ってたりします。お酒の選び方で奥行きや香りの広がりが違うので、ここはコストをかけてもこだわりたかったんです」。

使用食材のこだわりは、店内にも掲示。
使用食材のこだわりは、店内にも掲示。

醤油だれには本格濃口醤油、うすくち醤油再仕込みしょうゆのほか、乾物なども加えて香りよく味わい深く仕上げている。香味油は2種類を提供直前に加えるのだが、ネギとショウガでとった植物性の油とラード・鶏油・鴨油の動物性の油で、上等なスープの味わいをさらに昇華させる。

ひとつの丼に2種の香味油を加える。
ひとつの丼に2種の香味油を加える。

チャーシューは北海道の指定農家で育てられた四元豚『神威豚』の肩ロース。鴨ロースは肉厚のチェリバレー種を自家製のソミュール液(スパイスやハーブなどを混ぜた漬けダレ)に漬け込んだもの。飲み水や仕込み水は軟水を使用する。

当然、わんたんも手作り。というか基本的にほとんど手作り。
当然、わんたんも手作り。というか基本的にほとんど手作り。

麺は京都の『麺屋 棣鄂(ていがく)』の特注麺。全粒粉のストレート細麺だ。ここは奥さまの歩さんが何十食も試食を重ねて決めたという。もともと絶妙な味と香りでバランスをとっている繊細なスープだけに、クセが強い全粒粉麺を合わせるのは難しかったのではないかと思うのだが……。

「麺単体ではもっとおいしい麺もあったんですけど、この全粒粉麺がうちの醤油スープにいちばん合っていたんですよ」と歩さんはにっこり。異業種出身で、ご主人が店を開くことになりラーメン道に足を踏み入れた歩さんだが、すっかり職人の域である。ふたりの馴れ初めより、麺との出合いを楽しそうに語ってくれたと思うのは気のせいだろうか!?

全粒粉のストレート細麺。香ばしさと小麦本来の甘みもある。
全粒粉のストレート細麺。香ばしさと小麦本来の甘みもある。

「でもね、そういうスープと麺のバランスとかもわかってもらえることもあるので、こだわってよかったなと思いますね。仕込みは大変ですけど、お客さまには店頭やSNSのコメントなどでおいしかったと言ってもらえるので。その瞬間が楽しい時間かな(笑)」。

うーん、聞いているだけでおいしそう。もう待ちきれない。早く食べたい!

淡麗なスープの奥には幾重にも織りなす味の層がある

待望の特製醤油が卓上に届くまでもう少し。松井さんがグラグラ煮えたぎるお湯の中に麺を泳がせ、匠の技でキレイにまとめていく。鮮やかな手さばきに目が離せない。端正に並んだ麺が醤油スープのなかにとっぷりと浸かって、いよいよクライマックスだ。

『柴崎亭』仕込みの麺揚げ。お湯の中で泳ぐ麺は織物のよう。
『柴崎亭』仕込みの麺揚げ。お湯の中で泳ぐ麺は織物のよう。
崩さずにスープに乗せられるのも鍛錬の賜物。
崩さずにスープに乗せられるのも鍛錬の賜物。

麺が丼に入ると、あうんの呼吸で歩さんが盛り付けにかかる。ステキなトレイに乗せられて、カウンターに供されたラーメンの美しさったら。

スープの色合いとキレイに並んだ麺、ちょうど良い火入れ加減のチャーシューなど見た目でも食欲をそそる一杯。
スープの色合いとキレイに並んだ麺、ちょうど良い火入れ加減のチャーシューなど見た目でも食欲をそそる一杯。

丼に浮かぶ端正なレイアウト、それを表現するかのように澄み切った味わいのスープ。最初のひと口は上品な鶏の風味を感じたが、しじみの濃厚な旨味や醤油の酸味も加わりキリリとした淡麗な口当たりだ。それを香味油の香ばしさとコクが全体をまろやかにまとめあげている。スープを一口飲んだ後は幾重もの余韻があった。

スープと麺が見事に調和し、完全体となった特製醤油。発色のいい豚と鴨のチャーシューもいい仕事してます。
スープと麺が見事に調和し、完全体となった特製醤油。発色のいい豚と鴨のチャーシューもいい仕事してます。

歯切れがいいがややモチッと感もある麺は、このスープと好相性。全粒粉の独特な香りが見事に調和している。むしろ、おいしさが増している。ほほう! そして、個人的に大好物のワンタン。これが楽しみだったんだ〜。ジューシーな豚ひき肉のあんが包まれ、たった2個でもごちそう感があって、フォルムもカワイイから好きだ。

ぷりっと艶やかなワンタンは2個ある。てるてる坊主みたいでカワイイぞ!
ぷりっと艶やかなワンタンは2個ある。てるてる坊主みたいでカワイイぞ!

むっちりとした鴨ロースも、しっとりとして赤身の部分がおいしい豚肩ロースのチャーシューも、鮮やかなピンク色なのにしっかりと醤油味が染み込んでいて見事。特製醤油のトッピングはスター揃いなので埋もれがちな味玉だが、黄身がこしあんのように滑らかでこれまた絶品だった。ごちそうさまでした。

レギュラーメニューもさることながら、実は季節や旬を意識した期間限定メニューも見逃せない。「SNSに告知をするので楽しみにしていてください」と松井さんは話す。駅前ではないけど、わざわざ来たくなるラーメン店である。今度は期間限定のラーメンにご飯ものもオーダーしてみようかな。

住所:東京都新宿区四谷4-25-10 ダイアパレス御苑前B-2/営業時間:11:00〜15:00(土・日・祝は11:00〜16:00)/定休日:木・隔週水/アクセス:地下鉄丸ノ内線新宿御苑前駅から徒歩6分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢