立ち食いそばとも「富士そば」とも違う

『蕎麦食堂 いけち』は、都営三田線の板橋区役所前駅から徒歩1分。こう書くと駅前の好立地のように思えるが、行ってみるとそうでもない。最寄りはA2出口なのだが、高くそびえる板橋区役所の足元は人通りも少なく、なかなかに「ポツンと」な立地だ。

「富士そば」といえば、駅前かつ人通りの多さを出店の基準にしているが、『いけち』はそれとはあまりに違う。

店舗は二面がガラス張りで明るく、中も広め。テーブル席は間を空けて配置され、落ち着いてそばを食べられる。時間勝負の立ち食いそばとは違う。なるほど「蕎麦食堂」を名乗っているわけだ。

そばを食べてみると、これまた違う。麺は「富士そば」よりも細くしなやか。大きく違うのはツユで、かえしの風味は少し控えめで、代わりに甘みが前に出ている。辛い“そばツユ”とは違う、あえていえば汎用性の高いツユなのだ。

冷ネバたくそば720円。
冷ネバたくそば720円。

しかし、これが店の雰囲気に合っている。この日、頼んだ冷ネバたくそば720円は、そばの上にとろろ、納豆、おくら、たくあんが乗っている。これらをグリグリとかき混ぜてズゾゾッとすする。粘りと旨みが混然とする中に、ポリポリとたくあんの食感が楽しい。そしてツユの甘みがホッとする。のんびりゆったり楽しみたい。急いでかきこむ立ち食いそばとは、また違ううまさなのだ。

自分たちの理想のそば店

店を営む池田晃久さん、恵さんの兄妹は、長く「富士そば」で働いていた。兄の晃久さんは6年半、妹の恵さんは11年と長く勤め、2人とも店長として店を切り盛りするベテランだった。実は恵さんとは初対面ではなく、彼女が高田馬場駅前店で働いていた頃に、食べに行っていた。その店は女性店員の「いらっしゃいませー」という声が、こちらが元気になるぐらい明るくて好印象だったのだが、その声の持ち主が恵さんだったのだ。

左が兄の池田晃久さん。右が妹の恵さん。
左が兄の池田晃久さん。右が妹の恵さん。

さて、長く「富士そば」で働いていた池田兄妹だが、自分たちでそば店を始めることを思い立つ。自分たちの理想、いちから手作りでおいしいものを作り、お客さんに笑顔で「ごちそうさま」と言ってもらえる店をやりたくなったのだ。『富士そば』に不満があったわけではないが、『富士そば』の枠の中ではやれることが限られてくる。それならいっそ、自分たちで始めてみよう、ということだった。

イメージしたのは、サラリーマンや家族連れが気軽に来られる“みんなの食堂”。だから、そば・うどんだけでなく、定食類も充実させている。ツユが甘めになっているのも、より多くの人に喜んでもらえるようにとのこと。ゆったりした店内の空間も、立ち食いそば店ではなく“みんなの食堂”として、落ち着いて食べてもらうため。立ち食いそばとも「富士そば」とも違う『蕎麦食堂 いけち』だ。

実現しつつある「みんなの食堂」

さて、食堂らしいものも食べてみようと、いろいろある定食メニューの中から、一番わんぱくそうな、マックス定食980円を頼む。ミニそばに目玉焼きの乗ったライス、牛皿にカレーと唐揚げ、さらにお新香と小鉢がひとつの盆に乗った、オールスター定食といった感じだ。

マックス定食980円。
マックス定食980円。

眺めているだけで楽しくなる。こんなにタレントがそろっているなら、普通に食べてはつまらないと、まずはそばだけ少し食べた後に、牛皿、カレーを乗せて牛カレーそばを楽しむ。ライスにはまずカレーをかけて食べ、さらに唐揚げを乗せて追いカレー。我ながらやりすぎだ。でも、楽しくておいしくて、食べていて笑顔になってくる。池田兄妹の狙い通りだ。

マックス定食で作った牛カレーそば。牛皿もカレーも自家製だ。
マックス定食で作った牛カレーそば。牛皿もカレーも自家製だ。

店の近くには区役所に加えオフィスも多いため、お客さんは働く人が多いが、最近は近隣住民も増えてきているそうだ。別の日、午後遅めの時間に行ったときは、唐揚げをつまみにハイボールをゆったり2杯飲んで、締めにもりそばを食べているシニア男性がいた。いかにも食堂らしい使い方で、自分も真似をしたくなった。

14時からアルコール・つまみ類が注文できる。
14時からアルコール・つまみ類が注文できる。

立ち食いそばとも「富士そば」とも違う“みんなの食堂”を目指す『いけち』。その理想は、徐々に地元の人にも受け入れられつつあるようだ。

店名の『いけち』は兄・晃久さんのあだ名から。
店名の『いけち』は兄・晃久さんのあだ名から。
住所:東京都板橋区板橋2-61-4/営業時間:8:00~20:00(土・日・祝は:9:00~17:00)/定休日:第2、第4土・日/アクセス:地下鉄三田線板橋区役所前駅から徒歩1分

取材・撮影・文=本橋隆司