常連さんとの会話が楽しすぎる

取材の当日、店主の倉田ふじ子さんから、時間は15時に指定された。その時間ならお客さんも少なくて話がしやすいということだったのだが、実際に15時に行くと、席は半分以上、埋まっていた。7席ほどあるカウンターの隅で撮影の準備を進めていたのだが、常連さんと店主のふじ子さんとのやりとりが、なんとも心地いい。

客「カレーは?」

ふじ子「ないよ。今日はさっきので最後」

客「カレーないの?」

ふじ子「買ってこなきゃないよ。買ってくれば?」

会話からうかがえる気安い関係。よく見れば、別の常連さんは、そばを食べ終わってからも10分以上、ふじ子さんと話をしている。こちらは育てているバジルの話。あちらでは中年の男性客が「ごちそうさん」と、お金を払わずに出ていった。「うちの店はツケがきくのよ」と、ふじ子さんが笑っている。

ホッとするおいしさの天ぷらそば450円。さっくり揚がったかき揚げも秀逸。
ホッとするおいしさの天ぷらそば450円。さっくり揚がったかき揚げも秀逸。

店内には心地いい雰囲気があるが、『ファミリー』はそばも優しい味をしている。立ち食いそばのツユといえば、かえしのきいたギュッと濃い味を思い浮かべるが、『ファミリー』のツユはやわらか。スッと舌になじんできて、ジワジワと旨味がしみ込んでくる。強烈なインパクトはないが、しみじみうまい、毎日、食べたくなる味なのだ。

立ち食いそばには興味がなかった

「家庭料理の延長なんですよ。私、よその立ち食いそばは食べたことなかったし、修業もしていないから。それがよかったのかな」(ふじ子さん)

ふじ子さんはもともと、飲食の仕事をしていたわけではない。40年ほど前、夫と調布の駅前を歩いていたとき、ゲームセンターの隣に立ち食いそば店があるのを見て、店をやろうとひらめいたのだという。

倉田ふじ子さんと息子の貞男さん。2人で店をまわしている。
倉田ふじ子さんと息子の貞男さん。2人で店をまわしている。

「ちょうどここ(現在の店舗)も隣がゲームセンターで、ちょうど土地が空いていたの。じゃあって、1分、2分で決めたの。その頃は仕事していなかったし、毎日、家にいるのも退屈だったから。立ち食いそばが好きだったわけじゃないんだけど、私ならできるかなって思って始めたのよ」

店の横にあったゲームセンターは、今ではフィットネスクラブ。
店の横にあったゲームセンターは、今ではフィットネスクラブ。

『ファミリー』は自家製のカレーが人気なのだが、これもまた家庭の延長の味だ。しかし、かなり上等の部類のそれである。毎日、15時ぐらいから夜にかけてじっくり煮込まれるカレーは、ほどよい辛さと玉ねぎ、肉の旨味がじんわりとしみる。味わいはスッキリしていて、刺激よりも心地よさが広がっていく。カレールーの持ち帰り販売をしているが、確かに日常的に食べたくなるうまさだ。

ミニカレーライス300円。バランスの良いおうちカレーの理想形。
ミニカレーライス300円。バランスの良いおうちカレーの理想形。

「うちは材料に変なもの使っていないからね。鰹節だって、老舗の鰹節屋さんにブレンドしてもらったのを使っているんだから。ここのところは鰹が穫れないからって、値上げしちゃって大変なんだけどね」

聞けば、おにぎりの鮭も、ちゃんと切り身を焼いたものを使っているんだとか。ちゃんとしたものを出したいという、ふじ子さんの気持ちが伝わってくる。

肉ねぎそば(500円・トップ画像)のネギはトロトロに煮られている。
肉ねぎそば(500円・トップ画像)のネギはトロトロに煮られている。

『ファミリー』の空気を作っているのはふじ子さん

そばを作りながら常連客と丁々発止のやりとりをしているふじ子さんを見ていて、失礼と思いながら、つい年齢を聞いてしまった。すぐに「75歳」と答えが返ってきた。失礼を重ね、健康の秘訣を聞いてみる。

「タバコ吸ってビール飲んで、なにもないけど……働いていることだね。こんなに働けるって幸せよ。朝の8時から夜の8時まで、合間に家のことちょこっとやったりして、時間ないんですよ。でも、だから時間を大事に使う。自分の時間はあんまりないけど、これが幸せだと。好きにやっているし、ストレスもないんだろうね」

毎日、15時には翌日用のカレーを作り始める。
毎日、15時には翌日用のカレーを作り始める。

好きにやっている。だからこその『ファミリー』のこの空気感と味なのだろう。常連さんはそこに惹かれて、毎日『ファミリー』にやってくるのだ。

だが、その『ファミリー』も、京王線の高架化にともなう再開発で8年後にはなくなってしまう可能性があるという。工事の進捗で時期は前後するかもしれないが、実に惜しい。それまでにできるだけ、『ファミリー』のそばと店の雰囲気を味わっておきたい。

住所:東京都世田谷区南烏山5-11-7/営業時間:10:30~20:00/定休日:水/アクセス:京王電鉄京王線千歳烏山駅から徒歩2分

取材・撮影・文=本橋隆司