まずは『長久手郷土資料室』で戦の全貌を知る
此度儂が参ったのは「長久手古戦場公園」。
八ヶ月にわたって続いた家康殿と秀吉の天下分け目の大戦の中で、最も激しい戦いが起きた場所である。
そして、戦上手である秀吉の数少ない敗戦地でもある。秀吉が家臣に戦を任せるようになってからの敗戦は幾度かあるが、秀吉が率いた軍に勝利したのは徳川殿が唯一やも知れん。
さて、この地に参って最初に行ってほしい場所がこの『長久手郷土資料室』である。
この資料室の素晴らしきところは、正に小牧長久手の全貌を知れることじゃ!
小牧長久手の資料がわかりやすく展示されておって、ここに来れば戦の流れや逸話などを知ることができる。
中でも儂が特に皆に勧めたいのがこのジオラマと共に音声案内が聞ける展示である!
両軍の布陣や行軍ルートを音声の案内と共に辿ることができる。何故長久手が決戦の地となったのかもわかる解説となっておる!
なんとなくしか知らぬという者にこそ体験して欲しいものじゃ!
長久手郷土資料室では2023年8月22日から10月15日までの間、特別展「小牧・長久手の戦いと徳川四天王」が開催されておる!
儂と共に写っておるのは徳川十六神将図じゃ!
徳川四天王の生涯や更に詳しい長久手の戦いの資料を見ることができるでな、特別展も忘れずに訪れるがよし。秀吉が記したとされる日本最初の陣立書も展示されておるで、豊臣家が好きな者も楽しめる場所であるぞ!
この資料室を堪能したところで、いよいよ決戦地へと向かおうではないか!
織田軍きっての猛将・森長可の最期の地
次に参ったのは古戦場公園から歩いて5分ほどの武蔵塚じゃ。
武蔵塚があるこの場所は森長可(ながよし)殿が討たれた場所であり、長可殿の官位、武蔵守からその名で呼ばれておる。『どうする家康』では描かれておらんかったが、長久手の戦いは徳川軍の圧勝ではなく、長い時間激しい攻防戦が繰り広げられておった。
猛将・森長可殿は軍の先頭に立ち、徳川軍を苛烈に攻め立て続けておったのじゃが敵が放った銃弾を頭に受け討ち死にしてしまったのじゃ。
それにより、戦いの勝敗が決したと言えるであろう。
大将が先頭に立って戦を指揮することは味方の士気も大いに上がり、統制もとりやすい。良い手ではあるのじゃが、それが裏目に出てしもうたわけじゃな。
大将を失った森の軍勢は総崩れになり、森軍を打ち破った徳川軍は一気にこの戦の総大将・池田恒興殿の軍へと襲い掛かるのであった。
この地にて命を散らした森長可殿は織田軍きっての猛将で名を知らしめておった。
多くの逸話が残るこの若き荒武者についてはまた人物紹介の巻で話して参ろう。
池田恒興が討たれた地、勝入塚へ
此度最後に紹介致すのがこの勝入塚、池田勝入恒興殿が討たれた地である。
池田軍も激戦を演じておったのであるが、長可殿が討ち死にしたことで一気に戦況が傾き、立て直しを図るも嫡男・元助殿と共に討ち取られてしまう。
後に姫路城を築く池田輝政殿は恒興殿の次男で、混乱する戦場の中、父と兄と合流するまで戦場(いくさば)から離れぬと粘ったという逸話が残っておる。輝政殿まで討ち死にすることを危惧した家臣が機転を利かせ、既に戦場を離れたと嘘をついて退却させ命拾いしたと聞いておる。
さて長久手の戦いの総大将を務めた恒興殿の母・養徳院様は信長様の乳母で、恒興殿は信長様の乳兄弟にあたる。織田家においては宿老に準ずる立場であった。
本能寺の変ののちは重臣格として清洲会議に参加され、それ以降秀吉を支持し続けておられた。小牧長久手の戦いにおいても恒興殿の存在は重要であり、秀吉軍の大義名分として必要であったのじゃ。
じゃが、秀吉に取っては小うるさい存在でもあり恒興殿がこの戦で討ち死にしてからは秀吉の専制は露骨なものとなっていく。
小牧長久手の戦いは織田家の後継争いが秀吉の天下取りへと変わった戦であったとも言えよう。
此度訪れた勝入塚は尾張藩士たちが廃れてしまわぬように度々新たに作り直していたと伝わっておる。
因みに、先に紹介した恒興殿の次男輝政殿は後年徳川殿に従った折に、恒興殿を討ち取った永井直勝(なおかつ)殿に会い、直勝殿の所領が5千石と聞くと「我が父を討ち取ったのは大手柄であり、それを成した直勝殿が5千石とは少なすぎる」と徳川殿に抗議、直勝殿は倍の一万石を与えられたそうじゃ! 真に天晴れなる心意気であろう。
終いに
此度の史跡探訪はいかがであったかな!
名古屋からほど近いこの長久手にて起きた天下分け目の戦い。是非にも足を運んで欲しい場所である。
桶狭間、長篠、長久手と此度を合わせて三度史跡探訪を行なったが、この三つの戦いは愛知三大合戦と呼ばれておる。日ノ本を揺るがすほどの大戦が三度もこの愛知で行われておるのじゃな。
因みに小牧長久手の戦いと申すが、小牧と長久手は20kmほど離れておる。
徳川殿の拠点小牧山と秀吉方の拠点犬山の中間地で起きた楽田の戦いと、長久手で起きた長久手の戦いがこの一連の争いの中で大きな決戦であった為、小牧長久手の戦いと呼称されておるのじゃ。そのほかの決戦、例えば前の戦国がたりで紹介した蟹江の戦いは『小牧長久手の戦いの蟹江の戦い』と呼ばれたりするでなかなかややこしいものであるわな!これは戦国あるあるであろう。
話が変わるが此度訪れた長久手古戦場は名古屋から『ジブリパーク』へ向かう道中にあるのじゃ!
『ジブリパーク』のついでに寄るのもまた面白いであろうな。
此度の戦国がたりはこれにてしまい。
まだまだ盛り上がりそうな小牧長久手の戦いについては次回の戦国がたりでももう少しばかり触れるやも知れぬ。
楽しみにしておくが良いぞ!
それでは次の戦国がたり、あるいは名古屋城で会おうではないか!
さらばじゃ!
写真・文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)