ペーパーレスな国の小さな町

イギリスに来てから、紙の本に触れる機会がすっかり少なくなってしまった。住んでいる小さな町には、ハイストリート(商店街)に、全国チェーンの本屋が一軒あるだけ。大きな都市に行っても大体同じで、時たま見かけるよき風情の古本屋を除いては、同チェーン店以外ほとんど見かけない。昔はもっとたくさんあったが、ことごとく閉店してしまったそうだ。2014年にロンドンを訪れた時には、路上に無料の日刊新聞のボックスがたくさん並んでいたものだが、それも今となっては風前の灯。大学院の授業の指定図書は電子書籍で、地元の小学生すら教科書は使わずに、口頭+タブレット+時々プリントによる学習と聞く。ペーパーレス化が進み、まとまった情報を紙で読む文化が、急速に失われていっている印象だ。

そんな逆風吹き荒れる21世紀にあって、本にその生き残りを賭け、見事、復活を遂げた町がある。しかも、東京は神保町のような都心のまん真ん中ではなく、地方の人口1000人ほどの小さな町。過疎化・高齢化が進む田舎×斜陽な出版文化。時代錯誤にさえみえるマイナスとマイナスの掛け算が、“本”当にプラスとなって花開いた。その町の名前はWigtown (ウィグタウン)という。

ドン底から数年待ちの人気へ

イギリスの北西、スコットランドに位置するウィグタウンは、鉄道の駅もなければ幹線道路も通らない、辺鄙(へんぴ)なところにある静かな町だ。河口に位置し海へのアクセスがいいことから、中世には交易の拠点として栄えたが、近代になり次第に衰退。ちなみにこの、港として発展するも鉄道や自動車の登場により衰退、といった町の栄枯盛衰物語は“イギリスあるある”。川沿いや海辺の町へいくと、しばしば同じような時間軸で悲喜こもごもの歴史が語られている。水運・海運が重要視されてきた感じは、同じ島国である日本となんとも似ていて興味深い。

中世来の雰囲気が残る、ウィグタウンの中心部。
中世来の雰囲気が残る、ウィグタウンの中心部。

基幹産業が廃れ、このままではいよいよゴーストタウンに——と思われたドン底の1990年代。国のブックタウン(本の街)プロジェクトに、この町が選ばれ、テコ入れが始まった。1998年のことだ。翌年には第1回ブックフェスティバルが開催。以来、フェスティバルは毎年秋に開催され、10日間の期間中、著者のトークイベントなど200ものイベントが行われる、大きな催しに成長した。毎年30万人以上の人が足を運び、地域への経済効果は約8億円ともいわれる。

このように書くと、一時的なイベント会場のように思われるかもしれないが、そうではなく、街は普段から本にあふれている。90年代に廃屋だった建物は新たに本屋となり、今では17軒がだいたい徒歩2、3分圏内に軒を連ねている。新刊を入れているところもあるが、多くは古書を扱い、その規模は国内最大レベルだ。中には2階をAirbnb(ユーザー同士を仲介するオンライン市場)で宿泊施設として貸し、住み込みで1階の書店の店長をできるような場所もある。本を自由に陳列し、値付けし、売っていいという、面白いシステム。自分もやりたい!と思ったら、数年先まで予約がいっぱいだった。なんという人気……。

この店に限らず、街中の書店で働く人たちの英語のアクセントはまちまちで、全国から本を商いとする人々が集まってきていることが分かる。たまたま立ち話をしたおばあちゃんスタッフは、長年、別の町で書店員として働いていたが、老後に田舎の静かなところで暮らそうと旦那さんと引っ越してきて、縁あって友達の店を時々手伝っているとか。訪問者のみならず、幅広い年代の定住者の増加にも、本の街は寄与しているようだ。

店先にお値打ち本が並ぶのは神保町と同じかも。
店先にお値打ち本が並ぶのは神保町と同じかも。

古書店をめぐる冒険

さて、それぞれの古書店はどんな様子かというと、専門性はあるものの、神保町ほど特化し尖ってはおらず、全体的にどんな人の興味にも引っかかりそうな店ばかりだ。もともとあった古い建物を改装したとあって、間口の割に極端に奥に長かったり、暖炉があった凹みにうまく本をレイアウトしていたり、椅子や絵画を飾りまるで家のリビングのようにしていたり、空間づくりに新旧融合のセンスが光る。中庭の倉庫をリノベーションした店もあり、これには路地の先に見えた瞬間からときめく。

裏手の木々の中にひっそり。
裏手の木々の中にひっそり。

棚づくりも当然いろいろで、フィクション、ノンフィクション、歴史、子供向けなど、新刊書店に似たジャンルごとのところもあれば、ウィグタウン周辺、スコットランド、イギリス、ヨーロッパなどエリアごとだったり、戦争、鉄道、チェスなど物事で区切っていたり、シェイクスピアを筆頭に歴代の作家別に並べていたり。この国の人の頭の中をのぞいているような心地になる。空間ごとに思いもつかなかった方向から、本との出会いを促されているような気分で、棚を眺めているだけでも刺激的だ。今の自分と、過去より伝わる知の蓄積との結合点を見つける冒険のような、そんな感覚。

ちなみに、イギリスの本は、ペーパーバックと呼ばれる手のひらよりやや大きいくらいのサイズでソフトカバーのものが多いけれど、さすが古書店とあって、ここではハードカバーのものから、大判の図録、触るのが怖いくらいの色褪せた古書までバラエティ豊か。こうした装丁や文字のフォントなどを見比べるのも一興だ。さらに本の街では、カフェも当然ブックカフェ。読書にぴったりなふかふかソファがあったりと、本好きを甘やかす環境が備わっている。そんなこんなで1日はあっという間に過ぎる。

本、本、本!
本、本、本!
50年近く前の鉄道雑誌が束になって売っていた。まとめて£2 (360円)。
50年近く前の鉄道雑誌が束になって売っていた。まとめて£2 (360円)。

文学はブランドだ

ところで、ウィグタウンのような本をテーマにした催しは、イギリス国内、別の町でも行われている。その代表とも言えるのが、島の北東、これまたスコットランドに位置するエディンバラだ。毎年8月には国際ブックフェスティバルが開催され、2023年でちょうど40周年を迎えた。国際と冠するだけあって、世界中の作品や作家が集まり、朗読や講演会などが行われ、この類いでは世界最大規模とされる。

なぜエディンバラかといえば、実はここ、世界遺産で知られるユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の「City of Literature(文学都市)」とやらになっている。この文学都市プロジェクトは2004年に始まったらしく、現在32カ国42都市が指定されている。ヨーロッパを中心に、アジアでも中国や韓国で指定されている都市があるが、日本は1つもない。なるほど耳なじみがないわけだ。その栄えある第1号が、なんとここエディンバラ。選出理由は、多くの著名作家の出身・ゆかりのある場所だからで、その作家陣というと、ウォルター・スコット、ロバート・ルイス・スティーブンソン、ロバート・バーンズ、ジェームズ・マシュー・バリーなど。……これらカタカナの羅列でふむふむ、となればなかなかの文学通と思われる。たぶん多くの日本人は、すぐにピンとこないだろう。しかしこれらを、冒険小説『宝島』、民謡『蛍の光』、ディズニーでおなじみ『ピーターパン』と著書に変換すれば、あーわかるわかる、くらいにはなるはずだ。さらに、『ハリー・ポッター』シリーズのJ・K・ローリングもこの町で作品を書いたと言われれば、その世界的な文学都市称号にも、まあ納得がいく。

国際ブックフェスティバルのメイン会場。
国際ブックフェスティバルのメイン会場。

文学は今や、都市のブランドを形成する素材となった。ブランドとして成立するということは、それだけ多くの人が本を読み、作品に親しみ、その価値を認めているからで、まだまだ捨てたもんじゃないのかなと思う。その一方で、イメージやイベントが必ずしも読書体験を伴わないまま独り歩きし、本が、家や電車の中でのんびりじっくり読むものから、派手で一過性の消費へと絡め取られている気もして、複雑な気持ちにもなる。

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頭の中をぐるぐる渦巻く、こうしたさまざまな思いを整理する意味でも、やっぱり本の街の散歩はいい。たくさんの物語、言葉、写真、絵に触れ、パンクしそうになるけれど、最終的には本の並びや、本屋と本屋の間をただぶらぶらする時間に助けられ、だんだんと自分の中で折り合いがついて、そして何かがちょっとアップデートされる感じがする。さらに、五感で先人の作品に触れられる、というのも醍醐味だ。文字情報に留まらず、古書の匂い、装丁の手触り、棚を整理する音、その中で味わうコーヒー……と、全身で本を堪能するという贅沢。1つの書店の中だけでも十分に味わえるといえばそうだけど、回遊する、歩く楽しみなら、断然、本の街がいい。

オンライン隆盛の時代にあって古臭く聞こえるかもしれないが、ウィグタウンの誕生はWindows95よりも遅い。ネット社会の台頭といわば並行する形で発展してきた本の街は、簡単には取って代わられない本の魅力とニーズの証明であり、希望だ。たとえこんな辺境の地まで行かずとも、神保町はもちろん、本屋が集まっている街は東京都内各所にあるし、点在する本屋をはしごしてみるのもいいだろう。秋の夜長のお供探しも兼ね、本の街へ出かけてみてはいかがだろうか。

 

文・撮影=町田紗季子

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