イギリスは散歩大国

イギリスには散歩好きが多い。長年、趣味・娯楽の代表格として知られ、その人気はコロナ禍でますます高まったという。実際、確かにみんな、いつも歩いている。犬の散歩の人が常に一定層いるのはもちろんのこと、そぞろ歩きとしか見えない人も多い。しかも時間・天候・老若男女問わず。ひとり、夫婦、友達同士、家族連れと、形態はさまざまだ。この間なんて、大雨が降った翌日、洪水になりそうな川沿いを見物しながら散歩している人がたくさんいた。休日ならまだしも、金曜日の午後2時のことだ。

濁流の様子を撮ったら、散歩中のおじさんが4人も写り込んだ。
濁流の様子を撮ったら、散歩中のおじさんが4人も写り込んだ。

この散歩需要を支えているのが、全国に張り巡らされた「フットパス(Footpath) 」の存在だ。これは車道脇の歩道、ではなく、人が歩くためにわざわざ設けられた小道のこと。イギリスには合計約23万kmに及ぶフットパスがあるといわれていて、これはなんと地球5周分以上に相当する。しかも国土は日本の2/3程度にもかかわらず。

日本にも「フットパス」と名のつく散歩道は存在し、例えば東京近郊だと町田市のそれが有名だ。しかし日本ものは、あくまでイギリスの道を参考に、ここ20~30年で開発されたもの。これもこれでもちろんよいのだが、ひとたび歴史の厚みを比べるとイギリスには全く歯が立たない。では、何年分くらいの差があるのかって? 答えは、よくわからないがおそらく数千年。

散歩は権利

これまで思いもつかなかったし、東京を歩いているだけじゃなかなかイメージがわかないが、散歩することは立派な権利である。イギリスでは通行権(Right of way)、すなわち歩く権利が法律で認められているのだ。この権利はイギリスのみならず、細かな違いはあれ他のヨーロッパの国にも存在する。いかにも個人の権利ために戦ってきた歴史を持つ欧州らしい。

通行権の起源はなんと、古代にまで遡るといわれていて、いつどこで誰が定めたかは、はっきりしていない。でも、中世の封建制度の時代に、地主が所有する土地を一般人が歩いて横切ったり、さらには家の暖炉のために薪を拾ったりすることは認められていた、というのはわかっている。で、地主が渋々ながら、これらにOKを出していた理由が「昔からずっと、そういうもんだから」なのだそう。びっくりするほど根拠は漠然としているが、しかし土地を管理する側と歩く側、双方の確かな共通認識として、ぶらぶらする権利は深くこの国に根付いてきたようだ。

しかし近代に入ると、農業改革といった歴史の荒波にもまれ、散歩は受難の時代を迎える。伝統的な土地の管理のシステムがすっかり変わり、土地は厳格に囲われ、他人の土地に入るべからず、という方針が社会を支配するようになった。それは何世紀にもわたるもので、ゆえに自然と暗黙の了解もなくなっていった……となりそうなものだが、ここがイギリスのすごいところで、この一度失われた自由に歩く権利を、なんとつい最近、21世紀に入ってから合法的に取り戻した。散歩への執念、恐るべし。

こうして再び、古代からの権利を得た今、イギリスでは誰でもが概ねどこでも、自由に歩き回れるようになっている。だからといって、人の家の庭に侵入していい、ということではなくて、放牧地や森、川辺など、国有ではないけれど明らかに開放的で歩いたら楽しそうな土地へのアクセスが認められている、といったニュアンスだ(厳密にはいろいろと細かな取り決めがある)。この権利をフルパワーで発揮し、私有地へもずかずかと入り込む散歩道をもりもり整備した結果が、先に述べた総延長20万km越えのフットパス。ゆえに、この国を歩く醍醐味は、都市というより実は、ダイナミックに開けた田舎にあるといえる。さらにピンポイントに言うならば、そればズバリ、野原だ。

野原の歩き方

土地が比較的平坦なイギリスでは、少し町から離れると一面、野原が広がる。これは農業の基盤が、田んぼではなく麦の栽培であり、加えて畜産業も盛んであるからこその風景だ。

緑の大地と青い空。
緑の大地と青い空。

こうした場所を気ままにのんびり散策できるのが、フットパスを歩く魅力。道中にはいくつか面白いアイテムがあるので紹介しよう。

まずは標識。

これはだいたい規格が決まっていて、大きく分けて2パターンある。ひとつは木製の板に黒い文字で行き先を示すスタイル。もうひとつはグリーンの地色の鉄板に白い文字で「Path (小道・散歩道)」と書き、その下に行き先も添えるスタイルだ。

木製バージョン。場所によっては徒歩のみならず、馬&チャリも通行OK。
木製バージョン。場所によっては徒歩のみならず、馬&チャリも通行OK。
鉄板バージョン。こちらの方が車の標識感が強め。
鉄板バージョン。こちらの方が車の標識感が強め。

使い分けはというと、ありていに言ってしまえば、前者がイングランド、後者がスコットランドスタイル。両者は、こういうちっちゃいところで、しばしば別のルールを持ち、別の国アピールをしている。例はこれ以外にも大量にあり、これはこれで、かなり詮索しがいがあるのだが、語るとキリがないので今回は割愛。

他に注目すべきは数字。これは距離を示しており、マイル表記がデフォルトである。観光マップなどでは、メートル法との併記が多く、時にはメートル表記しかないものもあるが、フットパスは頑なにマイル表記を貫いている。ちなみにこれは、一般道の道路標識も一緒。日本と同じ姿をした速度制限のマークで30とあったら、時速30マイルという意味になる。1マイル=1.6 kmだから、時速50km弱。メートルの感覚が染み込んでいる身からすると、みんなすごく飛ばしている感じでビビる。

さらに興味深いのは、1/4, 3/4と四進法で距離を示しているところ。十進法に慣れている自分にとっては、これまた変な心地がする。算数の頭を働かせないと、パッとどれくらいの距離なのかイメージできない。だが、この四進法スタイルは、この国にはかなり染み付いている。例えば、時間の表現では15分ではなく1/4時間という表現を使うし、鉄道においてもハリー・ポッターは9 3/4線からホグワーツに向けて出発した、といった具合に。

フットパス散歩はまず標識を味わうべし。極めてシンプルではあるが、よく眺めてみると、単なる行き先案内だけではない、その背後の社会の様子がいろいろと立ち現れてくる。

 

次に塀を越えるツール。

野原を横断できるようになったことで、これまでは仕切られ、一般の人が通れなかった他人の敷地内に堂々と侵入することができるようになった。どうやって入るのかというと、パターンはこれまた大きく2つある。

ひとつは単純に塀を登ってしまおうというスタイル。Stile (スタイル)と呼ばれる簡易階段のような、踏み越し台のようなものが設置されている。

しっかりめの階段バージョン。丁寧に矢印がついていることも。
しっかりめの階段バージョン。丁寧に矢印がついていることも。
簡易乗り越え台バージョン。
簡易乗り越え台バージョン。

もうひとつは扉を設けるスタイル。これはKissing gate (キシング・ゲート)と呼ばれ、人ひとりが通れる狭さゆえ、譲り合って利用しないと向かいの人と追突してしまう=キスしてしまう、ところからついた愛称らしい。無機質な出立ちに反してなかなかキュートなネーミング。

ゲートは自らの重みで自動的に閉まる。
ゲートは自らの重みで自動的に閉まる。

というか、もはや合法なら、わざわざこんなものを作ってないで一部を開けっ放しにしておけばいいのでは? という気もするが、これはこれで理由がある。仕切りを設けているところの多くは放牧地で、内側に牛や羊、馬などの家畜がいる。ゆえに、人間の歩きやすさどうこうよりも、脱走防止など、あくまで彼らを基準に整備されているのだ。

そういうわけで、塀を越えるとそこはもう動物の世界。お邪魔します……という気分で、歩いていく。最初は同じ空間に入り込むことにたじろいだが、慣れると特に何ということもない。むしろ、動物と自然の中にいる感じが心地よくすらある。

羊はただ凝視するか、自ら離れていくケースがほとんど。
羊はただ凝視するか、自ら離れていくケースがほとんど。
牛はぼーっとしているが、時々何かを試されているのか近づいてくる。これにはかなり焦る……。
牛はぼーっとしているが、時々何かを試されているのか近づいてくる。これにはかなり焦る……。

おまけに、これは遭遇率低めだが、無人販売所があることもある。外国人が日本の無人販売に驚くなんて話も聞くが、実はイギリスにも存在する。これまで見たことがあるのはタマゴの販売。人気みたいでいつも売り切れている。

放し飼いの鶏の新鮮なタマゴ。値段も良心的。
放し飼いの鶏の新鮮なタマゴ。値段も良心的。

多くのフットパスは、観光地化されておらず、あまり人がいない。動物の方が圧倒的に多い。また登山のように体力面の心配もないし、多くの装備も必要としない。それでいて、ひたすら景色がよく気持ちがいい。野原を歩けば、この国の散歩人気にも合点がいく。

平たい国の山への憧れ

ところで、イギリスは基本的に平らだ。従って、田舎はどこまで行っても野原である。起伏があってもせいぜい丘陵レベル。グーグルマップで地形のレイヤーの設定をし、日本と比べると一発で明らかなのでぜひお試しを。

すると逆に気になるのは最高峰だが、これは1345mで、スコットランド北部にあるベン・ネビスがそれに当たる。ストーンハウス編で触れた、むかーしに起こった噴火により作られたもので、とても古い山らしい。高さ的には、神奈川県の大山(おおやま)1252mにちょっと足したくらいに過ぎない。

ベン・ネビスの山頂からの眺め。頂上はゴツゴツしていて、確かに火山感あり。
ベン・ネビスの山頂からの眺め。頂上はゴツゴツしていて、確かに火山感あり。

興味深いことに、平らな国にあって人々の登山欲は強いらしく、この山には全国から人が集まってくる。辺鄙(へんぴ)な場所ながら、その数は年間13万人以上とか。

思えば「日本アルプス」の名付け親である、ウィリアム・ゴーランドも明治期に日本にやってきたイギリス人だ。母国の様子になぞらえず、異国のアルプスという単語を持ってくるあたりに、壮大な峰々を誇るヨーロッパへの羨望の眼差しがチラついている気がする、などと想像すると、また少し日本の山も違って見えてくる。

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大陸と近い島国であるイギリスは、歴史上、常に海向こうの影響をがっつり受けながら、時に憧れ、しかし自分たちはそれとは一線を画すのだ、という自負を持っている感じが非常に強い。その勢い余った結果がEU離脱であり、またそれを細分化した代表的なものが先に少し触れたイングランドとスコットランドの違いなわけで、ゆえにこの島は連合王国・United Kingdom(ユナイテッド・キングダム)なわけだ。異邦人からしてみると、この微妙で些細でそれでいて大きなたくさんのこだわりが、なかなか厄介というか、理解するのが難しく、中に入ってみてようやくじわじわとわかってくる感じがある。

しかしそうは言っても、これって結局、日本にもまんま当てはまることだ。大陸から人も文字も、いや文化全般が入ってきて、吸収し、発展させて、今や自分たちものだと思っている。イギリスの歴史の授業では、アジアのことは、まあまずやらないらしく、インドあたりは大英帝国に入ってくるからちょっと触れられるとして、東の果てのことなんて一部のアニメ情報を除けば、基本はちんぷんかんぷんらしい。彼らからみれば、同じ象形文字を使っていながら違う読み方をしたり他の文字も組み合わせたりなんだりと、日本こそ相当に複雑で、攻略し難い国なのかなと思う。そういう意味で、イギリスと日本は、かなり似ている。

古代から地に根差した歩く権利をようやく取り戻した、散歩大国・イギリス。地元の人が嗜むように田舎のフットパスを歩けば、この島の豊かな風景や自然を存分に味わえるだけでなく、日本とのある種の近さも透けて見えてくる。日本でも、歩く自由を改めて慈しみ、散歩アイテムに目を凝らせば、目の前の風景の新たな一面に出合えるかもしれない。

 

文・撮影=町田紗季子