渡英した元・月刊『散歩の達人』編集部員が綴る、散達的(?)イギリス散歩案内。まずはおなじみ、商店街編!

文明を築いてきた建築素材

イギリスの建築物というと、どんなイメージがあるだろうか。例えば、バッキンガム宮殿。例えば、ウェストミンスター寺院。そこには木橋もなければ、鳥居もしめ縄もない。世界遺産・ストーンヘンジを思い出せば一目瞭然、この国の建築は「石」である。

日本の建築にはずっと「木」がある。東京の高層ビルの中にいると忘れそうになるけれど、竪穴式住居や高床式倉庫の時代から、令和の神社の拝殿に至るまで、「木造」はこの国の文明を築いてきた。一方、イギリスのそれは「石造」である。昔々はるばる進出してきたローマ人がこの地に築いた壁も石。中世のお城も石。という具合に。しかも、この島には地震がないものだから、いつの時代のものともつかぬ石の建造物が、ただそこに風化して立っている、なんてことがよくある。

近所の廃墟。昔は修道院だったようだ。
近所の廃墟。昔は修道院だったようだ。

この話は、何も特別な公共施設に限ったことではなく、一般市民のごく一般的な家にもいえる。大理石を取り寄せるような貴族ならともかく、家を建てるとなれば当然、資材は近場から調達した方が安上がりだしお手軽。というわけで、近隣で大量にとれる良質な石が各地でそれぞれ採用された。

これらは特になんの捻りもなく「Stone house (ストーンハウス)」と呼ばれる。この現地調達建築が並んでいった結果、イギリスの街は「地元の石色」を帯びるようになった。今でこそ、その上に漆喰が塗られていたり、ペンキが塗られていたり。あるいは近代的な素材を使ったりして、その景色は揺らぎつつあるが、スクラップ&ビルドならぬストック活用が一般的なこの国では、とりわけ地方の町で、その様相はありありと見ることができる。

イングランド北西・ケンダルの街並み。統一された灰色!
イングランド北西・ケンダルの街並み。統一された灰色!

色はいろいろ

この石の色は意外にもたくさんある。電車に乗り車窓を眺めていると、現れる町ごとに色が変わる、なんてことも。いくつか例を挙げてみよう。

イングランド北部・ホルトウィッスルの壁。黄色い。夕焼けに照らされるとなおさら。

ライムストーンと呼ばれる石灰岩。
ライムストーンと呼ばれる石灰岩。
街並みも黄色い。
街並みも黄色い。

スコットランド南部・ニューラナークの壁。写真だとややわかりにくいが肉眼ではかなり赤く見える。

オールド・レッド・サンドストーンと呼ばれる砂岩。
オールド・レッド・サンドストーンと呼ばれる砂岩。
街並みも赤みを帯びている(まさかの車も)。
街並みも赤みを帯びている(まさかの車も)。

スコットランド北西部・マレーグの壁。灰色の中に白いきらめき。日本でもよく見かける。

この辺りは溶岩ゾーン。
この辺りは溶岩ゾーン。

イングランド東部・ノリッジの大聖堂の壁。黒光りの感じが黒曜石みたい。

中世に建てられた時の壁の名残。
中世に建てられた時の壁の名残。

最後にもう一つ。同じくイングランド東部より、北海沿岸の村。この辺りは丸みをおびたカラフルな石で壁を形成している。

岸で拾ったらしい。
岸で拾ったらしい。
村の建物。独特のコロコロ感。
村の建物。独特のコロコロ感。

複雑怪奇なパッチワーク

なぜこんなにも石が異なるかといえば、それは当然、地質が異なるからだ。

同じユーラシア大陸を挟んで、東の端っこの島が日本。西の端っこの島がイギリス。なんとなく日本と同じように、大昔にこの巨大な大陸から分裂してできたのかな、と思ってしまうが、実はこれが全然違う。

すごーくざっくりまとめてしまうと、グレートブリテン島は、①ユーラシア大陸の端切れ、②ノルウェーの仲間たち、③カナダ&グリーンランドの端切れが、海の真ん中で合体し、ついでに火山も何度か噴火して、今のスタイルに落ち着いた。かなり複雑な成り立ちの島なのである。

そんなわけで、この島の地質はとっても入り組んでいる。どの程度かを端的に表しているマップがこれ。

島の地質マップ(Contains British Geological Survey materials © UKRI 2023)。
島の地質マップ(Contains British Geological Survey materials © UKRI 2023)。

細かく解説するつもりはないのだが、要するに、色がそれぞれ、違う時代に作られた違う地質=石の層を表している。南の方のマーブル模様はまだなんとなくいいとして、西の一部や北の方は、素人には到底理解のできない複雑怪奇なパッチワークになっているのがわかるだろう。ちなみに活火山はもう存在せず、冒頭にも述べたように地震もない。悲しいかな温泉も出ない。

ともあれ、こうした島というか地球のダイナミックな変化を、建築は、その出立ちでもって、実直に教えてくれる。それに気づくと、石の国の建築散歩は一気に面白くなる。街の色をマッピングして、地層マップと見比べたり、近場の石切場跡を探したり、交易ルートを探したり、とマニアックな遊びがいろいろできる。いかんせん散歩しているだけで視界に勝手に入って来るのだから、これを楽しまない手はない。この国の街の色は、長い変遷を経て偶然その地域にたどり着いた石の色であり、島の大地の物語そのものなのだ。

もちろん日本にだって石の種類はたくさんあるし、城の石垣など石材が用いられている建築スポットもある。産地や加工技術の話になりがちな印象だが、イギリスと同じ島国として、地質と絡めて建築を愛でてみるのも一興かもしれない。

おまけに木とレンガの話

では、この国は建築において石しか利用してこなかったのか、というと、全くそんなことはない。

ローマ帝国がヨーロッパを席巻していた、今からざっと2000年前くらいのこと。イギリスまでその勢力を拡大していくも、最後の最後まで我が物にできなかった島の北側を、彼らは「カレドニア」と呼んだ。この呼称は今でもスコットランドを表す表現の一つとして時々使われているが(日本でいう倭国みたいなニュアンスと思われる)、これは古ラテン語で「木々に覆われた高地」を意味する。そう、この島には木も潤沢にあるのだ。

実際、中世までは多くの建築で木材も用いられていた、といわれている。現役で残っているものはなかなかないが、15~16世紀に流行ったチューダー様式の建物は、まだ時々に街にあって、木組みが露わになっている様子が目をひく。これはハーフティンバーと呼ばれ、いわば木と石のハイブリッド建築だ。

イングランド東部・コルチェスターのチューダー建築。
イングランド東部・コルチェスターのチューダー建築。

ところで、そういえばイギリスの建物ってレンガじゃないの?と思った人がいたら、それも正解。これまた例のローマ人がその技術を伝えたとされる、伝統的な建築素材。しかし島には、加工しやすい石や木が豊富にあったため、あまり積極的に使われてこなかったという。潮目が変わったのは、1666年のロンドンの大火災。それまで木造だった建築物のほとんどが焼けてなくなってしまった。そして復興の折、新たな街づくり政策として、火に強いレンガ(もしくは石)が取り入れられることとなった。ゆえにロンドンは今もレンガの建物が多い。

さらに18世紀後半に始まる産業革命が可能にした機械化&大量生産に、形が均一のレンガは相性がよかった。その時代に新たに作られた倉庫や鉄道の駅舎などの多くは、他でもないレンガ造りである。

この頃になってようやく、日本はイギリスの建築に触れることとなった。西欧の文明の象徴のごとく、イギリス式だのフランス式だの言いながら日本がその技術を取り込んでいったレンガは、イギリスにとってもまた、比較的時代が下ってから本腰を入れて導入した、近代を象徴する建築素材だったのである。

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ちなみに、日本で西洋風の和洋折衷建築が建ち始めたころ、イギリスでは「日本風」がプチブームとなっていた。いわゆるジャポニズムというやつである。フランスの絵画などが有名だが、実はイギリスの建築にもその影響は派生している。例えば、スコットランド西部・グラスゴーのとあるティールーム。イギリスを代表する近代建築家のひとり、チャールズ・レニー・マッキントッシュがデザインした店内は、日本の襖を彷彿(ほうふつ)とさせる壁が印象的な、これまたイギリス版・和洋折衷スタイルになっている。

ティールームの内観。木の椅子や食器にもオリエントなこだわりが。
ティールームの内観。木の椅子や食器にもオリエントなこだわりが。

なんだか日本とイギリスお互いが、無いものねだりをしているようで滑稽にも思えるが、しかしそれだけの衝撃をもって、互いの文明が双方向的に受け入れられたということを示しているともいえる。これは、言葉や習慣を押し付けたり、一方的な価値観でもって戦いがちな、人類の歴史を思えば、ある意味すごいことだ。

圧倒的に​​知らないものに直面し、吸収し、自分たちなりに解釈し、建てる。地球上のいろんなものがネット上で繋がって、画一的になりつつある社会にあって、むしろそうした試行錯誤の様子は、なんだか羨ましくもあり、輝いて映る。

近場の石で初めて建築を始めた大昔の人も同じように、試行錯誤していたのだろうか、なんてことを想像しては、足元の石の旅路に思いを馳せたり。建築散歩は想像力をひたすらに駆り立てる。

 

文・撮影=町田紗季子