おばあちゃんが出してくれた冷たい麦茶を飲みながら、手土産に持ってきた東京ばな奈をつまんだ。これ食べてみたかったの、と言ってもらえてほっとする。なんだか無難すぎるような気がしていたが、祖父母にはテレビ以外に東京とのつながりはないのか、と当たり前のことに気づかされる。

考えてみれば、ずっと祖母と父と三人で暮らしていたから、「おじいちゃんおばあちゃんの家」に来ること自体、私にとってははじめてなのだった。ずっしりとした什器やあちこちに飾られた写真にドラマや漫画で見るような「実家」らしさを感じて少しおかしくなった直後、写真の中に母の顔を見つけてドキリとした。

車の中では窓から見える釧路の景色を説明してもらって間が持っていたけれど、家に着いたら気まずくなってしまうんじゃないだろうか。そんなネガティブな予想に反して、会話は穏やかに、緩やかに続いた。私の仕事について聞かれたので答えたり、夜に来る予定の伯母夫婦について説明されたり。コロの生い立ちのことまで教えてもらった。いつの間にか緊張はほどけていた。それどころか、子供のころから毎年帰省していたかのような、妙な安心感さえあった。父が「いい人たち」と言っていたのを思い出す。

「お父さんは元気かい」

急に聞かれて、少し居住まいを正した。父の話は初めて出た。

「はい、元気にしてます」

「米さんには迷惑かけたからねえ」

独り言のように漏らしたおばあちゃんの言葉にどう反応すべきか迷っていると、おじいちゃんがふっと私を見た。

「ひかりにそっくりだべさ」

母の名を言って、おじいちゃんは少し笑った。

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お茶を飲んだあと、おばあちゃんに二階の空き部屋に案内してもらい、荷物を置いて一息ついた。疲れているだろうから夕飯まで少しゆっくりしておいで、の言葉に甘えさせてもらうことにする。昨日は夏休み前にやりきらないといけない仕事を片づけるため帰りが遅くなってしまったし、今日は朝から慣れない空港までの移動で、実際、疲れていた。

家全体から古い木のにおいがしている。これが落ち着く理由だろうか、などと漫然と考えながらスマホを開くと裕斗からのメッセージが溜まっていた。少し迷ったけれどいったん無視して、まずは父に無事到着したことを知らせた。

それから、ふと思いついて北海道にいるはずの大学の先輩に連絡してみた。1年生のころお世話になった林さん。コロナ真っ盛りだったのもあって、林さんが卒業の年はサークルで慣例だった送別会は開かれなかったが、一緒にバンドを組んだことのある私、仁美、拓真でちょっとしたプレゼントを贈った。そのとき就職は地元だと聞いたのだ。

林さんからはすぐ返事が来た。なんと今年から出向で東京にいるらしい。近くにいたなら教えて下さいよ! と思わず返しそうになるが、そういう連絡をあまりしないところも林さんらしいといえばらしい。気を取り直して、釧路にいるから会える時間ないかと思ったんです、と打つと、札幌から釧路まで車で四時間はかかるから、どっちにしても無理だったなあ、と返ってくる。

そんなに遠いのか。今回は観光ではなく墓参りが目的で来たから、釧路以外の北海道の観光スポットは調べていなくて、知らなかった。やりとりするうちに、再来月開かれる仁美と拓真の結婚式に林さんも出席する予定だとわかって、ではまたそこでと挨拶してやりとりは終わった。そうこうしているうちに夕飯に呼ばれる。裕斗への返事はまだしていない。でも、おばあちゃんたちを待たせるわけにもいかないし、まあ、まだいいだろう。

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居間のテーブルにはごちそうがところ狭しと並んでいた。メインはジンギスカンのようだが、ほかにも大皿がたくさんある。

「こっちがお刺身、あとお寿司と、ザンギしょ、トウキビも茹でてあるんだわ」

私に説明する間におばあちゃんのスマホが鳴った。伯母さんから電話が来たようだった。

「百合絵たち、ちょっと遅れるみたいだわ」

「じゃ、先に食べちゃうかい」

「紗凪ちゃん、お酒は?」

「飲めます」

おじいちゃんがビールを注いでくれる。いつも飲んでいるのか、私が来たからかわからないがサッポロビールだ。羊肉がじゅうじゅう焼かれはじめる。さっきおやつを食べたばかりなのに、腹ぺこだった。

改めて飾られている写真を眺めていると、あれがいまから来る姉さん、隣は戦争で死んだ俺の兄貴だ、と順におじいちゃんが説明してくれた。写真は死者と生者が入り交じっている。俺は終戦のときに……とおじいちゃんが昔話を始めると、そんな話やめなさいよ、とおばあちゃんが制止する。お決まりのやりとりなのかもしれない。焼かれた羊肉をタレにつけてほおばった。独特の臭みがビールとよく合う。

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伯母たちはひととおりジンギスカンを食べ終わったあとに来た。伯母は快活そうなショートヘアで、玄関で目が合った瞬間に私に駆け寄った。

「わあ、ひかりかと思ったしょ。でも、目元は米さんだね」

みんな父のことを米さんと呼ぶんだな、と思う。米沢だから。きっと母がそんな風に呼んでいたのだ。日記は父と出会う前のことしか書かれていなかったから、知らなかった。伯父さんはそんな伯母の様子を後ろで静かに見守っていた。妻の実家に来ているということもあるかもしれないが、寡黙な感じの人だった。

酒盛りが始まった。伯母夫婦には息子がふたりいて、ふたりとも今は札幌で暮らしているらしい。つまり私のいとこということだ。上は私より年上で社会人。下は大学生。忙しいし釧路は遠すぎると今回の帰省は見送りになったらしい。たしかに林さんも車で四時間と言っていたし、下手をすると羽田から来た方が近いかもしれない。

「ごめんね、歳の近い人がいた方がいいと思ったんだけど」

そう謝られるが、かえって距離感がはかれなくて気まずかったかもしれない。歳の離れた大人に囲まれている方が、会社みたいで楽だ。

人が増えたのと、眠くなってきたのとで、私はほとんど聞き役に回っていた。ジンギスカンでおなかはいっぱいだったけれど、勧められるがまま口にした刺身があまりにおいしくて、一瞬だけ目が覚めた。知らない親戚の近況や、思い出話の中に、母の名前も何度か挙がった。はじめて聞く母の幼少期のエピソードで、母が猫派だったことを知った。不思議とみんなの話しぶりは、母がすでに亡くなっていることを感じさせなかった。まだ遅れているだけで、今にもひょっこり玄関から顔を出しそうな。私は何度か玄関の方を振り返った。物心ついてから今まで、母をこんなに近くに感じたのは初めてだった。私があまりに振り返るので、コロが迷惑そうに尻尾を揺らした。

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遅くまで飲んだわりに早く目が覚めると、おじいちゃんがコロの散歩に出るところだった。朝ご飯までまだ時間があるとのことだったので、散歩についていくことにした。コロは十四歳だという。今日も霧が出ている。夏とは思えない涼しさだ。

鳥の鳴き声がするので見上げると、カモメばかりいっぱい飛んでいる。カラスくらいいてもよさそうなのに、目につくのはカモメばかりだ。海の匂いがする。昨日食べたお刺身が美味しかったのは、やっぱりここが港町だからだろうか。

かつてこの街が栄えていたころに作られたのであろう、昭和らしいレトロな看板や立て札に目がいく。街灯のかたちなどもランプのようであったり、鳥を模してあったりとどれも凝っている。きっとこれからの時代、こういうものは作られないのだろう。おじいちゃんはあっちに行くと愛国、あっちに行くと昭和、などと地名を説明してくれる。駅前のあたりは今では寂れてしまったが、若い人たちは近隣にふたつあるイオンで遊ぶことが多く、そのあたりは賑わっているらしい。

川の方まで行くと、河川敷を少し歩いた。コロの尻尾が嬉しそうに振られている。看板に新釧路川とあった。これが鶴見橋だ、とおじいちゃんの指す方を見ると、欄干のかたちが羽ばたいた鶴が何羽も連なったようになっている。街灯も鶴の頭をかたどっているが、平らになっているところに鶴ではなくカモメが止まっていた。止まりやすい足場なのか、ひとつにつき1羽ずつ止まっているので、はじめはそういう形の街灯なのかと思ってしまったくらいだ。じっと見ていると、カモメはつっと立ち上がり、滑空して川へとなめらかに着水した。

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お墓は車で一時間ほど行った別の町のお寺の方にあるという。元をたどれば本家はそっちにあって、おじいちゃんの代で釧路に来たとのことだった。伯母さんたちは自分たちの車に乗るので、私はまたおばあちゃんとおじいちゃんの車に乗った。揺られながら、街をぼんやりと観察する。

「ガス陸橋の方を通るの」

と聞こえたので、なんだろうと思っていると、巨大な球状の建造物が橋の脇にいくつも立てられているのが見えた。ガスの容れ物をこんなに近くで見たのは初めてだ。空港から来たときも思ったが、この街は工場が多い。大きな煙突から吐き出される煙が、霧のなかに溶けていくのが遠くに見えた。街から離れていって草原にさしかかるとき、また鶴がいないかと目をこらしたが、今度は見つけることができなかった。

早く目覚めただけあって、眠りが浅かったのかもしれない。山道にさしかかったところまでは覚えているのに、いつの間にか眠ってしまっていて、着いたよ、の声に起こされた。

立派なお寺だった。勝手がわからないままみんなの後をついていくと、納骨堂らしき場所に着いた。お盆の時期なので、お参りにきたのであろう他の家族たちが何組も歩いていた。思わずきょろきょろしてしまう。うちのお墓はこっちだよ、と伯母さんに呼び止められて、はっとした。

母のお骨もその中にあるのだった。おばあちゃんが扉を開けると、小さな仏壇があらわれた。手持ち無沙汰でいると、伯母さんに肩を叩かれ、切り花の準備をしに水場へ向かうことになった。お坊さんとすれ違う。順番にお経を上げて回っているようだった。気がそぞろになって、花にあたって跳ねた水で服を濡らしてしまった。

花を供えたり、ろうそくに火をともしたりして、すっかり準備が整ったころに、伯父さんがお坊さんを呼んできてくれた。勝手がわからないけれど、とにかくみんなと同じように頭を下げ、手を合わせる。静かに、ゆっくりと、お経が唱えられはじめた。時折、チーンとおりんが鳴った。

東京にいたときから、きっとこの瞬間、私は泣いてしまうだろうと思っていた。生け花を切っているときは気持ちがそわそわしていたのに、いざ手を合わせると、妙に気分は凪いだ。場に飲まれてしまったのかもしれない。お経は長くも感じられたし、短かったような気もした。手を合わせている間に心のうちで、なにかお母さんに語りかけるべきだったと、顔を上げてから気がついた。私たちは車へ戻った。来た道をまた一時間以上かけて戻る。今度は眠らずに済んだ。私は泣かなかったのだ。

文=貝塚円花
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません。