蘭奢待とは

蘭奢待を字面で見ると中々仰々しく、らんじゃたいという音の響きも日本語らしくない少し異質な装いと感じるやもしれぬ。

じゃがその様な印象とは異なり、その正体は香木である。香木と申すのは、書いて文字の通り「良き香りの木」のことじゃ。現世の香水に使われておる白檀などは皆も聞いたことがあるのではないか?

此度紹介する蘭奢待は香木の中でも『天下第一の名香』と呼ばれる代物である。

その香りは“古めきしずか”と称され、誠に良き香りがするらしい。

らしい……? と思った者がおるかも知れぬが、儂は噂に聞くだけで蘭奢待の香りに触れたことはないのじゃ。それもそのはず。先に申した様に天下人のみが手にすることができる特別な香木故に、儂には手の届かぬものであった。

では改め天下の名木蘭奢待について、先ずは歴史から語って参ろうではないか。

蘭奢待の歴史

蘭奢待は東大寺正倉院に収められており、聖武天皇がお持ちになられた宝物であったと伝わっておる。東大寺に収められていることから「東大寺」と呼称したいのじゃが、燃して香りを楽しむ香木に建物の名をつけるのは火事を連想し不吉であることから蘭奢待と呼ばれる様になった。

何故この名かと申せば、実は“蘭奢待”の三文字の中には“東大寺”の文字がそれぞれ隠れておるのじゃ! 趣ある名の付け方であろう! 蘭奢待はこの様な理由でつけられた雅称であり、誠の名は黄熟香である!

じゃが実は蘭奢待はいつ日ノ本に入って来たか不詳であって、現世においては1350年ごろに見られる記録が最古とされてはおるのじゃが、それよりはかなり古くに伝わってきたのであろうとされる。

因みに現世の研究で、蘭奢待の産地はラオスからベトナム辺りであると推定されておるぞ!現世の技術はおもしろきものじゃな。

この蘭奢待は朝廷の公儀などに用いられる他、功をたてた者への褒美として与えられた逸話がいくつか残っておる。中でも有名なのが、源頼政の鵺(ぬえ)退治の逸話じゃ!

病魔に憑(つ)かれた近衛天皇の側役を担った源頼政様が、御所に現れた鵺を熟練なる弓と刀の腕にて見事退治、褒美として名刀・獅子王丸と共に蘭奢待を下賜されたのじゃ。この時に拝領した蘭奢待は後に尾張徳川家に伝わり、現世においては名古屋にある徳川美術館に所蔵されておる。

なんと皆も見ることができるぞ!

天下人の証

して時代が進んで室町時代には蘭奢待が天下人の証として扱われる様になる。三代将軍足利義満様が切り取って以来、籤引(くじびき)将軍こと六代義教様や、戦国時代の幕開けとなった八代義政様が切り取りを許されている。

然りながら、室町将軍がすなわち切り取りを許されるわけでは決してなく、義政様を最後に幕府からは切り取るものが出ておらぬ。

では義政様のつぎに切り取ったのは誰であろうか。

そう!我らが御大将、織田信長様である!

信長公記にある「昔、東山殿(義政様)が切り取って以来、代々の将軍の中にもこれを所望した人が何人もいたが、何分も特別のことであるから許可されなかった」の一文からも格別も名誉であることがわかるであろう。「我が国でこれ以上の名誉、面目をほどこしたことは他にあっただろうか」と続くことからも見てとることができる。

信長様が蘭奢待を切り取ったのは1574年。足利義昭様を将軍に奉じて室町幕府を再興した他、応仁の乱にて荒れ果てた京の都を修繕し朝廷にも莫大なる支援を続けたこと、そして前年には浅井朝倉を滅ぼして畿内を平定し太平をもたらしたことを以って切り取りが許されたのであろう!

朝廷からの勅使・飛鳥井雅教により許しの綸旨が伝えられると、信長様は柴田勝家様、丹羽長秀様、佐久間信盛様ら織田家の宿老を集め、この錚々(そうそう)たる面々を特使として東大寺へ派遣される。

ご自身は多聞山城に入りて蘭奢待を運ばせ、多聞山城の御成の間にて一寸八分を切り取られた。

これを切り取ることは名誉であることはもちろんのこと、朝廷より蘭奢待の切り取りを許されることにより、信長様の天下人としての威光は朝廷に認められたとして更に広まっていくこととなるのじゃ。

蘭奢待の言い伝え?

天下人の名誉とされた蘭奢待であるが、徳川殿の開いた江戸幕府では名誉なこととされず切り取りが行われなかった。

徳川殿は関ヶ原の戦いに勝利したのちに東大寺正倉院の調査を行い蘭奢待の確認までは家臣に行わせた。然りながら敢えて切り取らなかったのじゃ。

これは、蘭奢待を切り取ると不幸が訪れるという言い伝えを嫌ったと言われておる。

実際、先に紹介した足利義教様は嘉吉の変によって斃れ、義政様は応仁の乱により長きにわたる戦国時代の引き金となってしもうた。そして信長様も本能寺の戦いにて筆頭家臣に裏切られ非業の死を遂げられており、この言い伝えは決して偽りとは言い切れぬものであった。

ものの吉兆を重要視した我らの時代、徳川殿の判断は妥当であったと言えるのではなかろうか。

この様な背景があって260年を数える江戸幕府においては切り取られることのなかった蘭奢待であるが、近代になって明治天皇が切り取ったことで再び日の目を見ることとなった。

実際に火を付け聞香し、微かながら清く高らかな香りであったと記録が残っておる!

香木は時間が経つにつれ香りが弱まるもの。

然りながら蘭奢待はおよそ千年の時をへてもなお香りを保ち続けていたわけじゃ!

天下第一の名香はやはり、そう呼ばれし由縁があったわけじゃ!

終いに

此度の戦国がたりはいかがであったか!

題目であった蘭奢待、耳になじみがない者も多いと思う。

じゃが此度紹介した信長様による蘭奢待の切り取りは信長様の天下布武において室町幕府再興や天正改元、石山本願寺の一掃らと並びその象徴となる非常に重要な出来事であったわけじゃ。

大河ドラマ『どうする家康』では触れられる事がなかったが故に改めて皆に紹介して参りたいなあと思うた次第である!! 先にも紹介致したが、蘭奢待は名古屋にある徳川美術館にて見る事ができるで気になるものは一度足を運ぶと良いぞ!

そして、名古屋城におる我らにも会いに参るとよしじゃ!

此度の戦国がたりはこれにて終い、

また会おう、さらばじゃ!!

写真・文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)