心に刻まれていた、あの場所へ
「また来てください。今度は月の花がたくさん咲くころにぜひ。桃源郷のようになりますから……」
と、大内沢の人に言われてから、あっというまに年が経ってしまった。たしかそのときは月に入っていて、堂平(どうだいら)に数枚の棚田があるというので訪ねたのだった。
「落合」バス停で降りて山の上のほうの上ノ山集落へ上がってから棚田へと向かった。途中で道に迷い、二本木峠のほうへ向かったことが懐かしい。田植えにはまだ少し時期が早かったが、棚田には水が張ってあった。棚田から大内沢のほうへ向かう。そこは「花桃の郷」という名所らしく、毎年3月末ごろにはいろんな花が咲き乱れて桃源郷のようになるところなのだそうだ。
大内沢の上ノ貝戸(うえのかいと)地区の傾斜地に民家が40軒ほど。耕作放棄地が大部を占めていたが、2000年に国の中山間地域事業の補助金などで、放棄地に村民が花桃を植えはじめ、現在は8000本ほどを数えるという。以前訪れたときには花はもう散って、緑一色に囲まれた集落だったが、村を一望できる小さな山上の展望台からみた風景は、心に刻まれた。花はなくとも、いいところだった。
帰りに寄居駅方面へ歩いて、「かやの湯」という鄙(ひな)びた鉱泉宿でひと風呂浴びたのも懐かしい。残念ながら「かやの湯」は2018年末に廃業したという話だ。
「花桃の郷」の手前に桃源郷あり
結局、8年後も「落合」で下りた。「落合」の先までバスに乗ろうと思ったのだが、休日は運行停止。これは新型コロナのせいのようだ。前回と同じ道をたどるのはやめて、上ノ山には行かずに大内沢川沿いの県道を歩くことにした。バスのなかからはときどき山桜がみえたが、遠くにまとまった桜がみえてきた。
近づくと、ここは「虎山の千本桜」という桜の名所だった。入り口に案内の人がいたので聞いてみると、
「千本桜でしたが、今は桜の木が増えたので二千本桜と言ってます」
ソメイヨシノや河津桜などが植えられているらしいが、山になぜこんなに多くの桜を植えるのかわからない。
じつはここはかつて採石場だったところで、閉鎖した跡に桜を植えているということだった。石を採掘した跡はかなり荒廃した風景だったに違いない。桜などを植えれば、少しはみられるような景観になる、ということで植えているのだろうと察した。
採石場の砂利は1964年の東京オリンピックのときの工事で使われたそうだ。ちょっと下世話な話だが、随分と儲けたのではないか、という話を地元の人に聞いた。桜の名所にもいろんな“わけ”があるということだ。
名所の先に「二本木峠」と記した大きな標識がみえてきた。県道を離れ、峠のほうへ上がる。まもなく道が二手に分かれ、棚田のほうへと向かう坂道を上がっていった。
視界が開けると、県道の反対側にある集落がみえてきた。たぶん居用(いよう)の集落だろう。ぽつんぽつんと山の斜面に家が立ち、山桜も同じように点在して咲いている。美しい景色だ。大内沢の花桃をみる前に、すでに桃源郷がはじまっていると感じた。
その先に行くと、以前来たときの棚田が健在だった。もう少したったら水を張り、田植えがはじまるのだろう。棚田のそばに濃いピンクの花が咲いていた。これが花桃か桜なのかと思ったが、どうも違う気がする。棚田の上のほうへ行くと畑で作業をしていた人がいたので聞いてみた。
「それはツツジだよ。ほらそこにも咲いているやつだ。寒いところだから色が濃いのかもしれんな」
西側にある皇鈴山(みすずやま)とその中腹にある堂平の集落。斜面には放棄されたのか、それともまだ耕しているのか、段々畑。畑の奥には山々が連なる。穏やかな山村の風景が広がっていた。
堂平の集落を抜けて北側の白石の集落に入った。隣り合っているほど近くにお寺が二つ。寺の先で居用のほうをみると、今度は本物の花桃と桜、山腹の上のほうには畑と民家が小さくみえた。ここもまた桃源郷に思えた。
住民が誇る「花桃の郷」
「よく言われるんですよ、いいところですねって。ほら、これをみてください。100m上からドローンで撮った村の写真です」
話を聞いたのは眞下(ましも)春男さん(71歳)。それは額縁に入った集落の写真だった。2018年に「豊かな村づくり全国事業」で表彰された記念に撮影されたもので、なだらかな山の斜面にくねくねと曲がった道が通り、その道沿いに家が寄り添うように立つ。花桃が空いている場所に咲いている。
「ここで生まれ育ったのでなんですが、この写真をみると、いいところだなあって思いますね」
くねくねした道を上がったり下がったりして村内を歩く。御嶽大神、諏訪神社や稲荷神社を巡って村の中心部にある大通領(だいつうりょう)神社にも行ってみた。
神社から下りてくると、庭にある椅子に腰掛け、あたりをじいっと眺めているおじいさんがいた。住んでいる人たちも今だけの花桃の風景をみておきたいのだろう。
大内山の展望台に上がってみた。花桃を植える前は杉と檜の小高い山だったのを、木を伐採し階段をつけて山頂に展望台をつくったという。その展望台はこの花桃の郷だけをみるための展望台。集落の南側の斜面と家並み、花桃や白っぽい花は山桜だろうか。集落の最奥には登谷山(とやさん)が聳(そび)えていた。
後ろ髪をひかれるような心地で展望台をあとにし、集落から県道のほうへ下りていった。無人販売所があり、みかんや切り花がいくつか並べられていた。そばに年配のおじさんが座っている。展望台のある大内山のほうを一心にみつめている。ここにも今だけの風景をみておきたい人がいた。
背中越しに声をかけると、花桃ではなく、ミカンをつくっているそうだ。
「5月になったらほとんど花は散って、緑一色の世界になるんですよ。今だけです、この景色は」
と、うれしそうに語る。でもおじさんは、今だけを脳裏に焼き付けるためか、こちらを一度も振り返らなかった。
桃源郷、大内沢[埼玉県東秩父村]
【行き方】
JR八高線・東武東上線小川町駅からイーグルバス「白石車庫」または「寄居駅」行き約20分の「落合」下車。
【雑記帳】
大内沢から寄居町方面に少し行くと鉱泉宿「かやの湯」があったが、2018年末に閉業。が、キャンプ場として復活する話がある。鉱泉も復活の可能性大か。
文・写真=清野 明
『散歩の達人』2022年6月号より