満席の店内で待つこと数分。運ばれてきたラーメンをひとくち食べて私は確信した。今まで気づいてなかったが、私は家系ラーメンが全く好きではなかった。いや、むしろ食べ物の中でトップクラスに嫌いかもしれない。
これまでも半年に一度くらいは家系ラーメンを食べ、そのたび「う〜ん、やっぱ違うの食べれば良かった」と決まって後悔の念を抱いたものだが、それは単に自分のコンディションが合致しなかっただけで、家系ラーメンを一番旨いと感じるときもあるだろうと考えていた。だが、この日、私は確かにたどり着いた。自分が家系ラーメンを好きではないという真実に。一度苦手だと認識してしまうと麺をすするのも苦痛に感じるようになった。店を出て「俺は今後一生家系ラーメンを食べない」と友人へ一方的に宣言した。一度の食事としては失敗だったが、今後の人生における貴重な学びを得たのだと自分を強引に納得させた。
数週間後、友人がDJをするということで三軒茶屋へ遊びに行くことになった。男女で価格差がついているようなチャラめのイベントで、客の多くも出会いを目的としてやって来るようだ。私も友人の関係者ヅラをしていればモテるかもしれない、とそんな思惑もあったのだが、前日あたりからいつになく体調が悪くなり、もはや出会いがどうこうなどの状態ではなかった。それでも以前から約束していた手前、行かないわけにはいかない。小さなバーの店内では案の定DJそっちのけでナンパが繰り広げられており、気圧された私は友人のサポートをするフリをしながら酒を飲んで無理やりテンションを上げようとして、体調はさらに悪化した。その後もだらだらと居続け、深夜3時まで飲んだ末に友人宅に転がり込んだ。
翌日、異常な寒気(さむけ)と倦怠感を感じ目が覚めた。体温計で測ると38度ある。最悪だ。昼をとうに過ぎても布団をかぶり横になっていたが、このままでは埒(らち)があかないと帰宅を決意した。
38度でふらふらと
駅に向かう途中、意外と腹が減っていることに気づいた。そういえば昨夜からほとんど何も食べていない。体調が悪い時はうどんかお粥あたりを食べるものだと相場が決まっているが、ここはあえて自分の好きなものでも食べて栄養をつけ、そのあと家に帰ってゆっくり寝るのが得策な気がした。
今の気分にジャストフィットする食べ物は何だろうか。絶対に選択ミスはしたくない。そうやって考え出すと、ちょっと良さげな店を見かけても「いや、他にもっといい店があるはずだ」となり即決できない。「ここに入るくらいならさっきの店の方がマシだった」などと無駄にハードルが上がって、ふらふら歩き続ける羽目になる。気づけばもう1時間くらい三軒茶屋駅周辺を徘徊していた。38度もあるのに自分はいったい何をやっているんだろう。
さあ、データ収集の時間は終わった。駅周辺の店はほとんど把握した。あとは決断するだけだ、と気になった店を思い返した結果、一番ひかれたのは序盤に見かけた「ふじ田(仮名)」というラーメン店だった。いかにも意識の高そうな本格派といった風情の看板と店構え。きっと食材も体にいいものを使っているに違いない。
他にもいくつかラーメン店を目にしたが、「ふじ田」より良さそうな店はなかった。それなら最初からさっさと「ふじ田」に入っておけば良かったのだが、歩き回った数十分があったからこそ、「ふじ田」がベストの選択だと確信できたのだ。私は数百メートル歩いて引き返し店に入った。午後3時を過ぎても店内は客でにぎわっていた。
券売機で一番スタンダードな「ラーメン」を購入。着席し店内を見渡すと、桐のような材質のカウンターに職人然とした店員のたたずまい。これは当たりだろう。期待に胸を膨らませながら待つこと10分、「はい、ラーメン一丁」と店員が私の眼前に熱々のラーメンを置いた。
ワシワシとした太麺に油が張った濃厚スープ。その上には海苔とほうれん草が載っている。どう見ても家系ラーメンだった。信じられない。店頭にあった写真では澄んだスープの醤油ラーメンに見えたのに。ていうか、家系ラーメンの店なら「◯◯家」みたいなわかりやすい名前にしてくれないか。つい先日、「もう一生食わない」と誓ったばかりの家系ラーメンをなんで体調最悪の日に食わなくてはならないのか。あまりの間抜けさに絶望しかけたが、「いや、この店のストイックな雰囲気なら他の家系とは一線を画しているのではないか」と思い直した。安易に家系を見限ろうとした私を、神様的な存在が「本物の家系はこんなもんじゃないよ」と導いてくださったのかもしれないではないか。
麺を口に運んでみた。スタンダードな家系ラーメンだった。いや、もしかしたら高品質な家系かもしれないが、私には違いがわからなかった。家系ラーメンが嫌いなのだから当然だ。普段だって食べたくないのに、こんな高熱を抱えたときに摂取していい油の量ではない。そのまま席を立って別の店に行こうかと思ったが、ストイックそうな店員の前でそんな挑発的な行為をする勇気はない。私は麺を無理やり腹に入れ店を後にした。体調はますます悪化していた。こんな時はやっぱりうどんかお粥に限る。こうして私はまた新たな学びを得たのである。
文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年3月号より