グッモー! 井上順です。

井の頭線神泉駅の近くにある明治40年創業の老舗『平野屋酒店』は、僕の小中学校時代の同級生、平野良治(りょうじ)君の店だ。平野君は四代目。

彼の息子で五代目店主の明良(あきら)君が、店内に『Beer Stand Hiranoya』という立ち飲みスペースを開設したところ、珍しいクラフトビールを気軽に飲める店として話題を集めているという。

現在の『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』。
現在の『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』。

渋谷で100年以上も酒屋を続けているってすごいこと。

『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』を訪ね、時代の荒波を乗り越えながら家業を守ってきた彼らの話をたっぷり聞いてきた。

日露戦争後の明治40年、雑木林の広がる渋谷で『平野屋酒店』創業

『平野屋酒店』を始めたのは、平野君のお祖父さん。

日露戦争から帰ってきたお祖父さんが、現在と同じ場所で所帯をもち、1907年(明治40)に酒屋を始めたそうだ。

『平野屋酒店』は、今で言う「裏渋谷通り」にある。道玄坂上交番の横から入る細い道。実は江戸時代より昔からあったといわれる古道で、調布の滝坂まで通じていることから「滝坂道(たきさかみち)」と以前は呼ばれていた。

今は洒落た飲食店が並ぶ通りだが、明治の創業当時は周辺一帯ほとんど雑木林で、夜は真っ暗になるから提灯を持っていないと歩けないほどだったという。

酒屋として開業した『平野屋酒店』だが、大正時代の半ばくらいまでは燃料の販売も行っていたそうだ。その頃、お酒は庶民にとってはまだ高価なもので、そうそう売れるものではなかったのだ。

その時代の燃料といえば「炭」。長い木炭を仕入れて、店の裏で切って販売していた。さらに、切るときに出る炭の粉末につなぎを入れて成型し、炭団(たどん)や練炭を作っていたという。当時、炭団や練炭は家庭の火鉢やこたつなどの燃料として欠かせないもので、よく売れたそうだ。

『平野屋酒店』の二代目店主は平野君のお父さん。

平野君と僕は、小学校に入ってから4年生まで同じクラスだった。

当時の『平野屋酒店』は木造の店舗兼住宅で、裏にお酒を保管しておく倉庫があった。これが子供にとっては絶好の遊び場。鬼ごっこしたり、かくれんぼしたり。僕もしょっちゅう遊びに行っていた。

1970年頃、木造だった頃の『平野屋酒店』。写真提供=『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』
1970年頃、木造だった頃の『平野屋酒店』。写真提供=『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』

しかし、平野君が15歳のときにお父さんが亡くなり、当時大学を出たばかりだったお兄さん(長男)があとを継いで三代目店主となった。

ビルに建て替えコンビニ店に改装も、「バブル崩壊」で……

平野君は4人兄弟の末っ子だから、店を継ぐなんて夢にも思わなかったそうだ。大学を卒業後はサラリーマンになり、定年まで勤めるつもりでいた。

ところが、平野君が42歳のときに三代目のお兄さんが亡くなり、事情が変わった。

お母さんは76歳で元気だったものの、「もう酒屋は閉めようか」という話になった。

次男三男は「もう歳だから体力的に継ぐのは無理だ」と言う。平野君も大手保険会社で責任ある仕事を任されてやりがいを感じていたし、何より安定感のあるサラリーマンを続けたいと思っていた。

でも、当時の『平野屋酒店』はお得意さんも多く、けっこう繁盛していた。

「酒屋の商売のおかげで僕は大学も出られたわけだから、そんな店をなくしたくない。僕が何とかしなければ!」と決断した平野君。

会社を辞めて、『平野屋酒店』の四代目店主となった。

店を継ぐと決めた以上、平野君は必死で頑張った。

1989年(平成元)、木造の店舗兼住宅から6階建てのビルに建て替えた。機械、設備、電気のエンジニアでもある平野君が、高校時代の同級生の一級建築士と協力して設計した。

酒屋だけではこれから経営は難しくなるだろうと考えて、生鮮食品以外の飲食料品や日用品も幅広く扱う店にした。お酒も買える「コンビニ」だ。その頃は近所にコンビニはなかったから、便利な酒屋として大繁盛した。

ところが、1991年(平成3)に「バブル崩壊」。

その影響で貸ビルの賃料が安くなったため、チェーンのコンビニが近隣にどんどん進出してきた。

個人店がチェーン店と競争しても勝てない。厳しい経営状況が続いた。

「コンビニはやめて、酒屋も僕の代で終わりにしようと思っていた」と平野君は言う。

息子の明良君も店を継ぐつもりはなく、大学卒業後は商社に就職していた。

店内には日本酒やウイスキーも揃う。
店内には日本酒やウイスキーも揃う。

転機は「リーマンショック」。クラフトビールの角打ち酒屋に進化!

ところが、2008年に「リーマンショック」が起きた。

その影響で、明良君は勤めていた会社を早期退職することになってしまった。

不況だからハローワークへ行っても仕事が見つからない。あるとき、参加した独立起業セミナーで「家業のことを考えてみては?」とアドバイスを受けて、明良君は一念発起。だが、そこから新しい店の構想がまとまるまで2~3年かかったそうだ。

時代は変わる。酒類販売免許の規制緩和が進んで、お酒はスーパーやコンビニ、ディスカウント・ストアなどでも安く買うことができるようになっていった。

「今まで通りお酒を仕入れて並べるだけで売れる時代ではない。何かに特化して、ニッチなことをやってみようと考えました」と明良君。

まず、もともと好きだったビールを中心にしようと決めた。ビアバーやPUBなどでアルバイトをしてバーテン修業。家業のほうも、お酒の配達など平野君と一緒にまわりながら仕事を覚えたそうだ。

明良君が考えたのは、店でビールを買ってその場で飲める「ビアスタンド」。

酒屋で買ったお酒を店内で飲む「角打ち」というスタイルは昔からあったけれど、普通は日本酒。だが、ここではとにかくビールだ。それも大手のビール会社のものではなく、小規模な醸造所がつくる個性的な「クラフトビール」を世界中から集めるというところが新しい。

店の改装を経て、2013年11月、ついに『Beer Stand Hiranoya』がオープンした。

ベルギービールの老舗「ブラッセルズ」で働いていた縁から、品揃えはベルギービールがメイン。ビールの歴史が古いドイツ、イギリス、チェコ、フランス、スペインなどのビールも加え、ヨーロッパのビールを100種類以上揃えてスタートした。

そして間もなく、IPA(インディアペールエール)を中心としたアメリカのクラフトビールの爆発的ブームが起きた。あれよあれよという間に人気が出てきて、売れ筋を置いているうちにアメリカのクラフトビールがどんどん増えていった。

その頃はクラフトビールを扱う店があまりなかったので、毎週のように雑誌やWebの取材が来たそうだ。

インターネットの時代には、そういう情報があっという間に広がるんだね。『平野屋酒店』は「クラフトビールが飲める酒屋」として海外の人たちからも知られるようになった。

明良君は英語も話せるので、コロナ前は海外からの旅行客も大勢やってきてにぎわっていた。海外のビール醸造所の社長さんなどが、わざわざ店を訪ねて来てくれることもたびたびあったという。

同級生同士、平野君とも話が弾む。
同級生同士、平野君とも話が弾む。

「コロナ禍」にも負けず、店舗を3倍の広さに拡張してリニューアルオープン!

しかし、突然の「コロナ禍」。思うように営業できない状況が続いた。海外からのお客様がまったく来られないという寂しい時期もあった。

それでも、2021年3月、『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』の新しい挑戦が始まった。今までの店舗の隣の店舗スペースに空きが出たため、そちらに移転してリニューアルオープンしたのだ。店の広さは今までの3倍ほどになった。

世界各地のクラフトビールで埋め尽くされている冷蔵庫。
世界各地のクラフトビールで埋め尽くされている冷蔵庫。

店に入ると左側一面に大きな冷蔵庫があり、クラフトビールがぎっしり!

ベルギー、アメリカ、カナダを中心に世界各国のクラフトビールが100種類以上並んでいる。日本のクラフトビールもたくさんある。

「会社員時代の二十代の頃に、英語を勉強したくてワーキングホリデーでカナダのバンクーバーに1年滞在したんです。思い入れもあるので、珍しいバンクーバーのビールをたくさん仕入れています」と明良君。

時代とともにビールのトレンドも変化しているので、品揃えもどんどん変わっているという。新作や話題のビールも積極的に仕入れている。

冷蔵庫から選んだビールをカウンターに持って行き、その場で代金を支払うキャッシュオン形式。

珍しいビールが多くて選ぶのも大変そうだが、迷ったら店主の明良君に気軽に話しかけてみて。好みを伝えれば、おすすめをアドバイスしてくれる。

もちろん樽生ビールもオーダーできる。樽が空くごとに違う銘柄に替わっていくから、毎日飲みに来ても飽きないね(笑)。

フードも、チーズやオリーブ、ソーセージのほか、缶詰の惣菜やスナック類など、ビールに合う手軽なおつまみが用意されている。

角打ちスペースもかなり広くなった。立ち飲み用の丸テーブルのほか、バーカウンターには椅子もある。

ヨーロッパのクラシックなビアバーやPUBを思わせるウッディな内装で、女性ひとりでも気軽に入れそうな落ち着いた雰囲気だ。

『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』で平野君(左)と明良君(右)と。
『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』で平野君(左)と明良君(右)と。

近年、渋谷はビアバーがどんどん増えているし、クラフトビールが飲める店も多くなって、競争が激しくなってきた。

コロナ禍を経て、最近は海外からのお客様も少しずつ戻ってきてはいるが、まだまだ以前ほどではない。

「店に来てもらうためにはどうしたらいいのか、常に考えている」と明良君。

店を盛り上げるためのイベントもいろいろと開催している。

第2土曜日は「HRC(Hiranoya Running Club)」というランニングのイベント。

みんなで一緒に走っていい汗かいたあとのビールはまた格別だろうね。

そして月1回のDJイベント「平野屋出前DJ」も好評だ。

ミュージックチャージなしで、時間ごとに入れ代わるDJにはなんとリクエストし放題!旬のクラフトビールを片手に、自分好みの曲を聴けるなんて最高だね。

「店が広くなって50~60人くらい入れるようになったから、にぎやかでいいんだよ」と嬉しそうに語る平野君。

新しい発想で店を盛り上げようとする明良君を見守りつつ、一緒に楽しんでいるところが素晴らしい。

渋谷の街でチャレンジを続ける『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』。

次はどんな展開が待っているのか、楽しみにしている。

さて、仕事が終わったら今日も『平野屋酒店』で冷たいクラフトビールを一杯、浴ビールか(笑)。

皆さんもいかが?

『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』の前で。
『平野屋酒店/Beer Stand Hiranoya』の前で。
住所:東京都渋谷区神泉町11-10 
/営業時間:17:30~23:00(酒店は14:00~)/定休日:日・祝・第3土/アクセス:京王電鉄井の頭線神泉駅から徒歩3分

撮影=丹治 環 構成=丹治亮子