2022年10月 「小田急百貨店新宿店本館」
坂倉準三によるモダニズム建築
新宿駅西口の「小田急百貨店新宿店」が、建て替えのため本館を2022年10月2日で営業を終了した。解体後、2029年に、都庁よりも高い48階建てのビルに生まれ変わる予定だ。新宿店は一旦閉店し、10月4日から隣の『ハルク』内で営業を続行している。
現在の新宿店本館は1967年に完成、モダニズム建築家の坂倉準三氏のデザインによるもので、JR、小田急線とも直結し、55年にわたって新宿西口のランドマークとなった。9階に屋上庭園があるが、レストラン街の14階まで売り場が占め、開業当時は画期的な巨大デパートだった。
駅と直結しているため、地下の食料品売り場ではよく弁当を買ったものだ。今半から崎陽軒まで充実したラインアップだった。
最後は移転セールを開催。「小田急百貨店新宿店は閉店しません」と書かれたポスターが目をひいていた。渋谷の大再開発に続く、新宿駅西口の再開発、もはや昭和の面影はなくなってしまうのだろうか?
2022年11月 神楽坂・飯田橋「名画座 ギンレイホール」
現存する数少ない名画座の一つだった
映画ファンにはおなじみ、飯田橋駅前の「名画座ギンレイホール」が、11月27日をもって閉館した。1974年の開業以来、48年間映画ファンに愛されたが、入居ビルの建て替えに伴っての閉館である。デビュー前の森田芳光監督がアルバイトをしていたことでも知られ、現存する数少ない名画座の一つであった。
最後の上映は洋画『マリー・ミー』と『君を想い、バスに乗る』の2本立てで、一般1500円という通常営業で幕を閉じた。
移転再開に向けて取り組んでいるが、現時点では移転場所、時期などは未定である。
今や動画配信サービスが主流になりつつある時代の中、もはや名画座も、池袋、高田馬場、目黒、大森、下高井戸など数えるほどしか残っていない。時代の流れとは言え、青春時代に名画座で映画の素晴らしさを教えてもらった世代にはさみしい限りである。
2022年12月 「渋谷TOEI 1・2」
東映の直営劇場第1号
渋谷で70年近くの歴史を持ち、東映の直営第1号の映画館「渋谷TOEI」が、12月4日に閉館した。
1953年、宮益坂下の明治通り角にオープン。閉館時は、ビックカメラの入るビルの7階と9階にあったが、かつては大きな映画館だった。若かりし頃ここで、『仁義なき戦い』『トラック野郎』『新幹線大爆破』『柳生一族の陰謀』『宇宙からのメッセージ』『日本の首領』など日本映画史に残る名画をたくさん観てきた。映画が終わると、2階にある喫茶「バトー」で、菅原文太になりきってコーヒーを飲んだものだ
コロナの影響もあり、来場者が伸び悩んで運営が難しくなっての閉館らしい。最終日は、『鉄道員(ぽっぽや)』と『バトルロワイアル』を上映して有終の美を飾ったが、東映の直営館も渋谷の街から消滅してしまった。
問題は、渋谷の街から映画館がどんどん減っていることである。単館系では、シネマライズをはじめ、2021年は「アップリンク渋谷」が閉館した。またシネコンも、新宿は来春4つめのシネコンができ、池袋も近年2つのシネコンが誕生しているのに対し、渋谷はTOHOシネマズの6スクリーンのみである。
もはや渋谷に「映画の街」のイメージはなくなっている。新宿や池袋に大きく水をあけられた今、渋谷の今後の再開発の中に打開策はあるのだろうか?
2023年1月 「渋谷 東急百貨店本店」
渋谷を代表するデパートだった
「渋谷 東急百貨店本店」が、1月31日営業を終了した。
1967年、渋谷の地にオープン。以来55年にわたり、多くの利用客に親しまれてきた、渋谷を代表するデパートだった。開店当時、まだ大きなビルもにぎわいも少なかった頃、ひときわ目につく巨大なデパートに驚嘆したものである。
渋谷の奥まった場所にありながら、東急本店まで続く通りも、道玄坂やセンター街に負けないにぎやかな通りに変貌した。また、屋上庭園へ向かう展望エレベーターも当時としては斬新なものであった。
最後は、クリアランスセールとして「グランドファイナルセール」を実施。閉店後、跡地は、地上36階建ての複合施設に生まれ変わる予定だ。
また、隣接する『Bunkamura』も、大規模改修工事を行い、オーチャードホールを除き、シアターコクーン、ル・シネマ、ザ・ミュージアムは4月から長期休業となる。
渋谷では、東急東横店が現在解体中、マルイも休業しているため、デパートは西武だけになってしまった。JR渋谷駅も含め、渋谷の急激な変化についてゆけない昨今である。
2023年1月 銀座「三愛ドリームセンター」
銀座のランドマークとして親しまれた
銀座のど真ん中、4丁目交差点で60年親しまれた、ガラス張りの円筒形ビル「三愛ドリームセンター」が老朽化のため営業を終了し解体される。3月9日から解体が始まり、新しいビルに生まれ変わる。
1963年にリコーが建て、地上9階、地下3階。当初は三菱電機のショールームが入り、ビル上部の三菱マークが象徴的だった。和光の時計台、森永や不二家のネオンサインと並んで長らく銀座のランドマークとして親しまれた。
「渋谷 東急百貨店本店」が各メディアで報じられるなど華々しく閉店したのに比べ、こちらはひっそりと1月いっぱいで幕を閉じていた。長いこと銀座、いや東京の代表的な建造物だっただけに、人知れず消えてゆくのはあまりにさみしく悲しい。