1988~1994年、スライダーズの思い出

88年1月7日、レッド・ウォーリアーズが1000円ぽっきりで日本武道館をやったとき、同じ事務所という縁から、ハリーとギターの”蘭丸”こと土屋公平によるJOY–POPSで弾き語りの前座があった。これが初めてスライダーズのふたりを観たライブになった。同じ年にスライダーズは『夜のヒットスタジオ』に出演。別スタジオという特別扱いで「Boys Jump The Midnight」を披露。歌謡曲がメインの歌番組でスライダーズは完全に浮いていた。

89年2月18日、高二の終わりに武道館でスライダーズの単独ライブを観た。ベースの”ジェームス”こと市川洋二。ドラムの”ズズ”こと鈴木将雄のリズム隊あってこそのスライダーズと実感した。7枚目オリジナルアルバム『SCREW DRIVER』が中心。アンコールなし。振り返るとスライダーズのクリエイティブのピークはここだった。

90年11月4日、早稲田祭。1時間ほどのステージ。MCは「あーどうもこんばんはーストリート・スライダーズです」のみ。ハリーがインタビューで無口なのは有名。バンドサウンドにレゲエが導入されていたがマンネリ感は否めなかった。だからというわけではないだろうがスライダーズはこの後長い冬眠期間に入る。インタビューではハリーが「友人が亡くなったこと」を言葉少なに語っていたが、詳細は今もって不明だ。

94年、スライダーズ再活動。ツアータイトルは「不滅」。歓喜して4月8日の埼玉会館に駆け付けた。保存しておいたセトリを見る。

①チャンドラー  ②Angel Duster  ③のら犬にさえなれない  ④ 聖者のラプソディー  ⑤Dancin’ Doll  ⑥WHERE DO I GO  ⑦陽炎の道  ⑧Back To Back  ⑨BABY BLUE  ⑩BADな女 ⑪ So Heavy  ⑫WAVE95’ ⑬IT❜S ALRIGHT BABY  ⑭TOKYO JUNK ⑮PANOTAMA 

アンコールは 、⑯Rock On ⑰Bun Bun ⑱いい天気

ファンならわかるけど悪くない。この後ぐらいか、中居正広の深夜番組にハリーが出演した。「替えはきかない」「家族みたいなもんだからさ」「4年半寝てた」などと発言していた。

『ロッキング・オン・ジャパン』は表紙で彼らの復活を祝福し、単行本まで出したが、売り上げがパッとしないと緩やかに誌面からフェードアウトしていった。

休業期間が命取り 解散へのカウントダウン

必要だったはずの休養期間が大きな痛手になったのか。アメリカやイギリスなら「伝説」を発酵させるのに充分な歳月になるが、日本では長い空白期間は命取りになる。忙しいこの国ではタイムラグは浦島太郎化を意味する。ましてや90年代半ばの日本の音楽シーンは歴史的に見ても新しいものが次々と生まれていた。

ブランク明けも最初のうちは物珍しさがあるが、いるのが当たり前になると希少価値がなくなり、伝説は剥ぎ取られ、現実に晒される。後はどれだけ古くからの固定客を掴んで離さないかが持続可能の鍵になる(いま、小沢健二が同じ状況ですね)。

あるとき、池袋WAVEでのトークイベントに足を運んだら、告知が行き渡っていなかったせいか、お客さんはまばらだった。セールスとライブ動員の落ち込みによるメンバー不仲から、しばらくしてスライダーズは解散を選択する。

2000年10月29日、場所はもちろん武道館。僕にとって久しぶりのスライダーズのライブだった(アルバムが出ているのでセトリを書き連ねる必要はないだろう)。即完から追加で出たバックステージ席から蘭丸の背中を見ながら「ギターってこんなに艶がある音色だったか」と惚れ惚れした。

『ロッキング・オン・ジャパン』の解散インタビューで蘭丸は、「小山田くんにリミックスを頼みたかったができなかった」「ハリーとジェームスとズズ、そして自分に分裂した」などと赤裸々に語っていた。そして、「デビューした頃がいちばん楽しかった」と。スライダーズという家族は瓦解した。20年に及ぶ活動のラストを締め括ったのは「のら犬にさえなれない」だった。

あれから22年。ハリーのソロ活動は精力的だったが、スライダーズと比べると華々しいものではなかったし、ビジュアルは次第に燻くすんでいった。蘭丸はKinKi Kidsの番組でバックバンドとしてギターを弾いているのを見かけた。

再評価の気運は思うように高まらなかった。米津玄師や星野源が受け入れられている現状を見ると、いまの若者にとってスライダーズのような古典とも呼べるロックンロールバンドは、戦前のモノクロ映画のように古めかしく感じるかもしれない。しかし、往時のスライダーズの音楽が現在の豊潤に見える日本の音楽シーンのミッシングリンクになったことは疑いようがない。後世による正当な評価を待ちたい。

2018年、JOY–POPSがフジロックに登場。驚いた。全国ツアー。20年にもツアーが組まれたがコロナにより軒並み中止。そして一昨年5月、ハリーは肺がんを公表した。

海の向こうの本家ストーンズは数多の危機を乗り越え、ミックとキースは今年で80になるがバンドを存続させている。スライダーズはこの国のローリング・ストーンズになろうとしたがなれなかった。のら犬にさえなれなかったのだろうか。けれども日本のローリング・ストーンズが再び始動する日を僕は待っている。

スライダーズの解散記念Tシャツ。デビューアルバムの写真をあしらっている(筆者私物)
スライダーズの解散記念Tシャツ。デビューアルバムの写真をあしらっている(筆者私物)

文・写真=樋口毅宏 イラスト=サカモトトシカズ
『散歩の達人』2022年11月号より