『まちあわせ』(1990年)

顔圧のインパクトが、待ち合わせに最適

小川町駅を出るとすぐに遭遇する「顔」は、近くから見上げるとなかなかの迫力。夜中に見たら怖いと思う。
小川町駅を出るとすぐに遭遇する「顔」は、近くから見上げるとなかなかの迫力。夜中に見たら怖いと思う。

調べてみると、それは昭和5年(1920)に創業した洋装店。巨大な顔は初代店主の似顔絵を看板にしたものだという。残念ながら2年ほど前に閉店して、いまはシャッターが下ろされている。錆びたシャッターの上には白のペンキで大きく「顔のYシャツ」と書いてある。強烈なインパクトのある顔の看板は、そのまま店名に使われている。

『まちあわせ』は、TBSの深夜番組『いかすバンド天国』で“イカ天キング”となりブレイクした「たま」が、1990年に発売したシングル『夕暮れ時のさびしさに』B面の曲だった。2年後にはベストアルバムのタイトルにもなっている。

その歌詞にある待合せ場所がここ、神保町「顔のYシャツ」の前だった。看板の顔は作詞者のパーカッション・石川浩司とよく似ている。本人も親近感を感じて歌詞に入れたのだろうか?

付近の建物と比べてみると、その古さがわかる。なんか傾いてもいるような……。
付近の建物と比べてみると、その古さがわかる。なんか傾いてもいるような……。

この曲がでてきた1990年はバブル景気の最盛期。大学生も分割払いで購入した高価なDCブランドで着飾っていた。貧乏臭い感じは全否定された。ファッションは豪華絢爛ながら意外と画一的で、世間は現代のように多様性を認めてはくれない。

そんな時代の街角で、ランニングシャツと半パン姿の坊主頭はかなり違和感がある。しかも、夜中の2時過ぎ。見たら怖いから遠回りしていたと思う。たぶん。

また、確証はないのだが、イカ天出演当時の石川は高円寺付近に住み、北千住や江古田のライブハウスを中心に活動していたという。ライブハウスへ通うにも新宿線は使わない。この頃の都営地下鉄はいまよりも利用者が少なく“場末”といった感もあり、そりゃ「不便だ」って連呼したくもなる。

『ロマンスの神様』(1993年)

バブル世代の血が騒ぐ神保町のご当地ソング!?

小川町の交差点を左に曲がると、すぐに神保町。だが、そこに昔のにぎわいはなかった。
小川町の交差点を左に曲がると、すぐに神保町。だが、そこに昔のにぎわいはなかった。

地下鉄の出口に目立つ顔の看板。たしかに、待合せには最適な場所ではあるのだが……ここで、ふと気がついた。看板がある場所は地下鉄・小川町駅前だ。地図を見て確認してみると住所も小川町になっている。

歌詞は「神保町」なんだけど。顔のYシャツがある本郷通りから100メートルほど行った小川町交差点を左折すれば、すぐ神保町ではあるのだが。単純に勘違いしていたのだろうか、それとも、

「小川町の顔のYシャツってどこ?」

「うーん、だいたい神保町のあたり」

「そか、神保町の顔のYシャツね。分かった」

ってな感じか? 小川町の地味さに比べて、1990年の神保町には存在感があった。周辺の町々を「だいたい」でそのエリアに含めてしまうほどに。

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80年頃から冬になるとテレビや雑誌はスキーの話題一色、週末のゲレンデはどこも湘南の海岸みたいに人であふれる状況だった。1987年に映画『私をスキーに連れてって』がヒットして、スキーブームにはさらに拍車がかかる。バブル景気の頃だけに、各メーカーの新作スキーやウェアが発売されると、誰もが丸井でキャッシングした札束を握りしめて、神保町のスポーツ用品店に押しかけた。

90年代には歩道にも新作ウェアやスキー板が並ぶ光景が見られたのだが。
90年代には歩道にも新作ウェアやスキー板が並ぶ光景が見られたのだが。

靖国通り沿いのスポーツ用品店の店先にはスキー板やブーツ、ウェアが歩道にはみ出るようにして並べられていた。大勢の若者たちが店々を徘徊しながら、スキー雑誌で見た商品を血眼で探す。スキーウェアはサイズや色が様々の少量生産、買い遅れるとすぐに目的の品がSOLD-OUTになってしまう。それだけにみんな気が焦る。

そして、あの頃の靖国通りの歩道では、広瀬香美の『ロマンスの神様』をよく聴いた。しばらく後には『ゲレンデがとけるほど恋したい』だろうか。どちらもスポーツ用品チェーン店「アルペン」のCMソングだった。

御茶ノ水方面から神保町スポーツ店街の入口にある駿河台下交差点近くにあった「アルペン神田店」の店先から、いつもこの曲が流れていた。神保町のご当地ソングともいえるか? テレビやラジオでこの曲を聴くと、そろそろ今年のウェアを買いに行かなきゃ。と、そんな気分になったものだ。

しかし、いま通りを歩いても歌は聴こえない。アルペン神田店は2016年に閉店し、現在は他のスポーツ品店になっている。その店先にはサッカー日本代表のサムライブルーのユニフォームが並ぶ。ちょうどカタールでのワールドカップが開催されていた頃(2022年12月)、人々の関心はスキー場の雪山よりも暑い砂漠の国に向けられていた。

取材したのはW杯開催直前、日本人の視線は雪山よりも灼熱の砂漠に向いていた。
取材したのはW杯開催直前、日本人の視線は雪山よりも灼熱の砂漠に向いていた。

靖国通りをさらに歩いてみる。店先でスキー用品はあまり見かけない。それよりもスノボ、あるいは、冬でもゴルフ用品のほうが幅を効かせている店もある。ひと昔前には考えられなかった眺めだ。

また、通りにある店の数も少なくなり、人通りも減った。商品を物色して徘徊するような者は見かけない。まあ、いまはネットショッピングもあるし、ここまで来て必死に商品を探しまわる必要はないのだろう。

ゲレンデが溶けそうな熱気が通りにはあふれていた。そんな90年代がいまは懐かしい。

いまはスキーよりもスノボの時代。それも90年代のスキーブームと比べたら、かなり静かで大人しい。
いまはスキーよりもスノボの時代。それも90年代のスキーブームと比べたら、かなり静かで大人しい。

『檸檬』(1978年)

中央線快速は赤くないのだが……

駿河台交差点を折れて明大通りに入り、御茶ノ水駅に向かって歩く。御茶ノ水駅はいま工事現場の様相を呈している。ホームに面した神田川は人工地盤で蓋をされ、ここに大きな駅舎が築かれる予定とか。2012年から始まってまだ終わらない。約10年をかけた大工事だという。

昭和2年(1927)に架橋された聖橋は、戦前から残る東京名所のひとつ。『檸檬』の他にも、数々の歌詞に登場してくる。
昭和2年(1927)に架橋された聖橋は、戦前から残る東京名所のひとつ。『檸檬』の他にも、数々の歌詞に登場してくる。

神田川は御茶ノ水駅付近で深い渓谷みたいになっている。かつては駅ホームがまるで崖の上にあるように見えたものだ。いま聖橋の上に立ち、市ヶ谷方面を向くと工事現場の眺めだが。秋葉原方向は人工地盤の敷設工事はされておらず、まだ神田川を眺めることができる。

『檸檬』はこの聖橋からの情景を歌ったものだ。米津玄師の『Lemon』ではなく、こちらは1978年に発売されたさだまさしのシングルレコードに収録された曲である。

梶井基次郎の小説『檸檬』から着想を得て書かれた歌詞だといわれる。しかし、小説のほうではちゃんと金を払ってレモンを買っているけど、この歌に登場する女性は檸檬を盗んでいた。彼女は湯島聖堂の石段に腰掛けながら齧る。その様子を眺める男の二人称で歌詞は書かれている。

男はその女性のことが好きっぽいのだが、しかし、気軽に万引きするような女だ。つき合うことができても、奔放な性格に振りまわされるだろう。

ここでは平日の昼間から、鉄道マニアらしき人々を多く見かけた。撮影スポットなのだろうか?
ここでは平日の昼間から、鉄道マニアらしき人々を多く見かけた。撮影スポットなのだろうか?

まあ、それはいい。この後、ふたりは聖橋の上に行って、彼女はそこから食べかけのレモンを神田川に投げ捨てる。落ちてゆくレモンと快速電車の「赤い色」がそれとすれ違った……と、歌詞には書かれている。けど、中央線の快速電車は「赤」ではなくオレンジ色だよなぁ。

聖橋の上に立って御茶ノ水駅のホームを眺める。歌詞が書かれた時代とは違って、いまは電車もオレンジの全面塗装車両ではなく銀色に輝くステンレス製になっている。車両横に路線のラインカラーが引かれているけど、それを見てもやっぱり「赤」じゃない。どう見てもオレンジ色だ。

「オレンジ」の四文字では長過ぎる。「赤」のほうが歌詞には収まりよかったのか? 知らんけど。

地下鉄丸ノ内線も、谷底地形の御茶ノ水駅付近では地上に出てくる。
地下鉄丸ノ内線も、谷底地形の御茶ノ水駅付近では地上に出てくる。

前のほうを見ると、そちらからも電車が走って来る。地下鉄・丸ノ内線の電車だ。丸ノ内線は御茶ノ水付近で地上に出て神田川橋梁を渡る。聖橋はその絶好のビューポイントでもある。丸ノ内線はいまも真っ赤な全面塗装の車両が走っている。誰が見ても疑いようのない赤色だ。周辺の水面や緑の草地に、車両の赤色が鮮やかに映えて印象的。目を引かれてしまう。

「中央線の快速電車と丸ノ内線を間違えていたとか?」

そんな想像が浮かぶ。勘違いか、間違いを知りながらあえてそうした確信犯か。どっちなのだろうか、と。

なにしろ、昭和の時代に書かれた歌詞だ。長い時が過ぎれば、そこから眺める風景や印象も違ってくる。また、人の心も。小川町を神保町にするとか、オレンジ色の電車を赤色としてしまう。それも意外と、当時では普通で的を射た感じだったのかも。

あれ!? 私も昔は中央線快速を「赤い電車」とか普通に言っていたような気がしてきた。あの時代を知る者でも、そういった感覚はすぐに忘れてしまうのだよなぁ。

聖橋の上から御茶ノ水駅を眺める。歌詞が書かれた頃の雰囲気とは、色々と違ってそうだが……。
聖橋の上から御茶ノ水駅を眺める。歌詞が書かれた頃の雰囲気とは、色々と違ってそうだが……。

取材・文=青山 誠