初登場!キミは源公に気づけるか?

柴又帝釈天の寺男にして、寅さんの弟分·源吉、通称・源、源公、源ちゃんは、およそストーリーに大きく絡むことはない脇役中の脇役だ。しかしその実、熟練の指圧のように物語の要所要所をしっかり押さえている。

まずは『男はつらいよ』記念すべき第1作から。冒頭、20年振りに柴又に帰った寅さんを最初に目に止めるのは、誰あろう源公だ。

「ここは柴又題経寺っとくらあ。チョイチョイチョイサ、チョイサッサ」

寅さんがまといを振りながら山門をくぐり終えた時、その存在に源公がハッと気づく。

アフロもヒゲもない若々しい源公だ。晩年の印象とは大きく違うので観ている側はわかりにくいが、それだけにこの物語と蛾次郎さんの年輪を感じずにはいられない。

ちなみに寅さん発見の順番は、源公のあと、御前様、おばちゃんと続く。恩人家族を差し置いて、レギュラー陣トップでの登場を飾ったワケだ。

以降も寅さん帰郷の出迎え、旅立ちの見送りに際しなにかと顔を出す源公。ものの始まりがイチならば、寅さんの始まりは源公なのだ。

柴又帝釈天の山門。ここをくぐった先で寅さんと源公が再会するところから長い物語は始まる。以降、この門は源公の定位置に。
柴又帝釈天の山門。ここをくぐった先で寅さんと源公が再会するところから長い物語は始まる。以降、この門は源公の定位置に。

「時々、殺意を感じる」(御前様談)

始まりがあれば終わりもある。源公の保護者にして天敵(?)の御前様の最後を彩るのも源公だ。

シリーズ中盤以降に定番となる“さくら御前様門前トーク”の第45作編、縁側でさくらと語らいながら、源公にカミソリで頭を当たらせている時のひとコマ。

「ーーこの男ときたら下手くそだし、手は汚いし、おまけに時々、殺意を感じる。私はいつかこの男に殺されるでしょう。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経~」

そんな御前様の諧謔に役を忘れて大笑いする倍賞千恵子さん。それをよそに、御前様の背後では源公が茶目っ気たっぷりに悪態ジェスチャーを繰り広げる。

この一連のやり取りが、御前様ひいては名優・笠智衆のラストシーンとなった。最後まで気にかけていた源公がその相手となっただけに、これ以上のはなむけはないだろう。源公、最後の最後に御前様の恩に報いたか?

寅の似顔絵を鐘に貼って、そこにゴーンとやったり(第10作)、鐘の中に立たされて御前様にゴーンとされたり(第23作)、源公エピソード満載の帝釈天鐘楼。
寅の似顔絵を鐘に貼って、そこにゴーンとやったり(第10作)、鐘の中に立たされて御前様にゴーンとされたり(第23作)、源公エピソード満載の帝釈天鐘楼。

悩む満男に寄り添う優しさ

源公との関係の深さで言うと、ダントツで寅さん、次いで御前様といったところだが、何気に満男との関係も見逃せない。

その代表例がこのシーン。

江戸川土手に並んで腰かけている源公と満男。源公は満男が装着している頭の良くなるグッズ“エジソンバンド”が気になってしょうがない。

「それ、効く?」

「効く効く」

「ちょっと貸してくれへんかな?」

ただそれだけのシーンだが、会話なんざあどうでもいい。問題はなんでこの2人が江戸川土手で並んで座ってんの?ってことだ。

少し推察してみる。この時期、満男は浪人中。そして佐賀に行ってしまった泉ちゃんが心配でたまらない。そんなこんなで思い悩む満男に、源公はさりげなく寄り添ってあげているのではないか。本人が意識してやっているかどうかはさておき、その天然の優しさがなんとも愛くるしい。

そもそも、まだまだうぶな満男によこしまな情報をこっそり吹き込んだのは、源公およびその一味ではないかとにらんでいる。「満男、ビデオ観るか?裏ビデオ」(第39作)の前科もあるし……。

ともあれ一人っ子の満男にとっては、ちょいと素行の悪い近所のアニキみたいな源公。実は満男の成長に少なからぬ影響を与えていたのかも……。

「向こう側がまたにぎやかに……」

登場時間としては決して長くない源公。それでも、シリーズ冒頭での寅さんとの出会い、シリーズ終盤での御前様ラストシーン、折々に見せる満男との交流、といった注目シーンにポッと顔を出しているのは、きっと源公がこの長い話に、そしてその登場人物たちに愛された証だろう。

同時に怪優・佐藤蛾次郎もまた愛されていた。

訃報の翌々日、仕事帰りの千代田線、我孫子行きの直通列車、ふだん乗り換える日比谷駅を通り過ぎ、何かに導かれるように筆者の足は金町·柴又へ向いた。

今季一番の寒さの帝釈天参道、顔見知りの店主たちと言葉を交わす。

「残念だよねえ」

「向こう側がまたにぎやかになっちゃったね」

みな異口同音に言う。

参道の商店街組合が急いで用意したのだろうか。店々の軒先には和傘と買い物籠を携えた源公の写真に「蛾次郎さん ありがとう」と書かれた手製のポスターが……。参拝客の何人かは足を止めて悼むように見つめていた。

帝釈天参道の店々に掲げられた佐藤蛾次郎さん哀悼のポスター。写真は映画からの引用ではなく数年前の「寅さんサミット」時のものだとか。「ありがとう」の言葉に蛾次郎さんの人柄が偲ばれる。
帝釈天参道の店々に掲げられた佐藤蛾次郎さん哀悼のポスター。写真は映画からの引用ではなく数年前の「寅さんサミット」時のものだとか。「ありがとう」の言葉に蛾次郎さんの人柄が偲ばれる。

源公が愛されたのはスクリーンの中だけじゃなく……

『葛飾柴又寅さん記念館』に設けられた佐藤蛾次郎さんの追悼コーナー。弔問の記帳、蛾次郎さんへのメッセージノートが置かれている。
『葛飾柴又寅さん記念館』に設けられた佐藤蛾次郎さんの追悼コーナー。弔問の記帳、蛾次郎さんへのメッセージノートが置かれている。

6日後の12月17日には、取材で何度も足を運んだ『葛飾柴又寅さん記念館』に佐藤蛾次郎さん追悼コーナーが設けられた。入り口付近に置かれた長テーブルの上に記帳用・メッセージ用それぞれのノート、周囲には数々の思い出の写真……。

献花台を探していると、館のスタッフが声をかけてくれた。

「置いてないんですよ。花は似合わないでしょ」

なるほど、それも1つの優しさだ。哀悼も過剰にならないところがこの映画らしい。

弔問客のメッセージに目をやってみる。

「まだ『アニキー』の声が聞こえてきそうです」

「向こうで寅さんと会えましたか?」

など、たくさんのメッセージの中でも朗らかな文が目立つ。どこか気さくに源公としゃべっているみたいで、読んでいる筆者の頬もつい緩む。

この日この場に来てあらためて思った。源公が愛されていたのはスクリーンの中だけじゃなかったんだ。

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筆者が大好きな源公がらみのシーンに、こんな場面がある。

ーー葛飾区役所に設置された「あなたの声を聞かせて下さい」と書かれた投書箱。その投入口に向かって源公が「わあ」と自分の声を吹き込む(第37作)。

見過ごしがちなシーンだけど、シュールでバカバカしく、何度観てもフツフツ笑いが込み上げてくる。

もし今、目の前に、源公に蛾次郎さんに届く投書箱があったら、さて、どんな言葉を預けようか……。

文・撮影=瀬戸信保 イラスト=オギリマサホ

およそ人は何か社会の役に立っている。実社会でも、フィクションの世界……たとえば「男はつらいよ」シリーズのなかでも。が、この人は果たしてそうだろうか? そう、帝釈天の寺男・源公(演:佐藤蛾次郎)だ。正直言って、源公の存在価値をまともに考えたことがない。いや、それ以前に存在価値があるのだろうか、コイツには!誰か教えてくれ~い。と言っても誰もやりそうにないので、当稿で探求してみたい。イラスト=オギリマサホ
全世界的に巣ごもりが奨励される昨今ですが、みなさまいかがおすごしでしょう? いい加減飽きた? 狭い家に何人も一緒じゃ息が詰まる? コロナ離婚寸前?…って、お父さんもおかあさんもお嬢ちゃんもリフレッシュが必要てなもんでしょう。なら家で映画でもってことになるわけですが、家族みんなで楽しめるのはなかなかありません。そんな時、頼りになるのはやっぱり寅さん! 日本一『男はつらいよ』を見た男=瀬戸信保氏がシリーズ50作を再検証し、さんたつ的に正しくマニアックな寅さんの見方、歩き方を数回にわけてご指南する短期集中連載です。イラスト=オギリマサホ
のっけから私事で恐縮だが、筆者と寅さんの甥っ子・満男(吉岡秀隆)は同世代である。そのせいか、つい満男を物差しに『男はつらいよ』の時代背景を見てしまう傾向がある。「満男が○歳くらいだから、○年頃の作品だな~」とか。「このくらいの歳の時はこんなことしてたな~」とか。当然、彼の思春期も恋愛もほぼ同時進行だ。それだけに満男の自称“ぶざまな恋愛”は他人事には思えない。他人の恋路にあれこれ口を挟むなんざ野暮なヤツだとお思いでしょうが、甚だお節介ながら満男の恋愛を斬らせていただきます。浅野内匠頭じゃないけど、もうバッサリと!イラスト=オギリマサホ 
『男はつらいよ』シリーズには、ほんのチョイ役で日本を代表する喜劇人が多数登場する。そのなかでもイッセー尾形と笹野高史は2大怪優だ。およそ本筋とは関係ないけれど、ひょっこり現れては観る者の笑いのツボを突いて消えてゆく。今回はそんな笑いの刺客たちが演じる“見逃しがちだけど見逃せない”シーンの魅力をご案内~。(所々、敬称略でごめんなさい)イラスト=オギリマサホ(第42作、ホモの笹野高史が満男にキスを迫るシーン)