奥深いコロッケパンの味
千住寿町にある『ミサキベーカリー』の人気メニューは、なんといってもコロッケパンだ。じゃがいもをふかすところから始める完全手作りのコロッケは、じゃがいもの甘みがしっかり味わえて、少し残ったつぶの食感も口に楽しい。パンはふわっとしていてほんのり甘みがあり、かぶりついたときの味、食感のコントラストが絶妙だ。
キャベツなどの野菜は挟まれず、コロッケにソースがかけられているだけ。パンとコロッケ、その2つのおいしさをしっかりと楽しめる。シンプルにして、実は奥深いパンなのだ。
このコロッケパンが食べられる『ミサキベーカリー』ができたのは、1958年のこと。店を開いた三崎功さんは、戦後、食糧難の頃に配給で食べたパンの香りが忘れられず、小さい頃からパン職人に憧れていた。そして中学を卒業後すると、すぐに新橋のベーカリーで修業をして、20歳のときに『ミサキベーカリー』を今の場所で開いた。
しかし当時、千住寿町の周辺は商店などほとんどなく、人通りもまばら。すぐ西側にある千住柳町には遊郭があったこともあり、「こんなところで商売は無理だ」と、周囲から言われていたそうだ。現在も北千住駅の周囲は栄えているが、日光街道を渡って千住寿町などに来ると、急に静かになる。素人考えながら、商売に向いていないという人の気持は分かる。
ちなみに繁華街から離れた千住柳町になぜ遊郭があったかというと、もともと現在の駅近くにあったのだが、鉄道が開通したため「風紀上の理由」で柳町に移転させられたのだという。
おいしさが評判を呼び……
さて、そんな千住寿町で始められた『ミサキベーカリー』だが、当初はなかなかうまくいかなかったそうだ。しかし、コツコツと続けていくうち、パンのおいしさが評判を呼び、売上は徐々に伸びていった。
功さんはとにかく、おいしいパンを作るためにいろいろな工夫をしていたそうだ。夕食を食べながらも、「このおかずをパンに挟んだら、おいしいんじゃないか?」と考えていたという。そんな中から生まれたのが、ちくわパンだ。
ちくわパンというと、だいたいは穴にツナを詰めちくわをパンで挟み、マヨネーズ、チーズで焼き上げたものだ。北海道のベーカリー『どんぐり』が80年代の中頃に考案したものがベースだ。
しかし、『ミサキベーカリー』のちくわは、なんとフライ。それをパンに挟み、ソースをかけて仕上げている。食べてみると衣のザクッとした食感とちくわの柔らかさ、さらにちくわの甘みとソースのスパイシーさが絶妙に合う。功さんのおいしいパンを作りたいという思いが生み出した傑作だ。
豊富なパンのバリエーション
おいしさのこだわりは、他の食材にも。『ミサキベーカリー』では、マヨネーズ、ピーナツバター、カレーのフィリング、カスタードクリームなど、自家製のものが多い。パンに合うものを、という細かな気遣いは、おいしさにしっかりあらわれている。
そのこだわりの姿勢は2代目の成之さんや、現在のスタッフにも受け継がれている。オリジナルのパンがとても多いのだ。チェダーチーズ、カマンベールチーズ、ゴーダチーズをブイヨンと白ワインで煮込み、ベーコンとほうれんそうを足してパンで包んだチーズフォンデュや、お好み焼きを模したお好み焼きパンなど。どれもおいしいうえに、わくわくさせてくれる。
また、フランスパンなど、ハード系のパンにもひと工夫。地域や店の特性を考えて、バリッとした生地ではなく、加水多めで柔らかめの生地にしているのだ。その効果もあってか、ハード系のパンも人気となっている。とにかく、いろいろと気が利いているのだ。
こんなところじゃ無理、といわれた『ミサキベーカリー』が長く愛される店になったのには、ちゃんとした理由があるのだ。おいしければ、そこに人がいれば、ベーカリーは必ず繁盛する。どれも間違いのない『ミサキベーカリー』のパンを食べて、強くそう思った。
取材・撮影・文=本橋隆司