人生おしまいやぞ

初めて万引きという言葉を知ったのは私が幼稚園児の頃だ。親から「絶対に万引きはするなよ」と言われ、「万引きって何?」と聞き返した私は言葉の意味を知って愕然とした。

この世にはなんて酷いことをする奴がいるのだろう。もし自分が万引きをしてしまったなら、一生罪悪感に苛(さいな)まれて生きていくことになるに違いない。そんなの耐えられない。幼心にそう確信した。

初めて万引きを目撃したのは小学5年生の時だ。近所のおもちゃ屋で友達とハイパーヨーヨーで遊んでいたら、突如不穏な気配を感じた。辺りを見渡すと店の角で同級生のシンちゃんが店主のおじさんに詰められていた。「お前はそれでええんか! 泥棒になったら人生おしまいやぞ!」と叱責されたシンちゃんは、顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。何か見てはいけないものを見てしまったような、嫌な感じが数日間胸に残った。

しかし中学生くらいにもなると道徳的な潔癖さもだんだん薄れてくる。友人の中には日常的に万引きをしている奴もいた。そいつとコンビニで買い物をして店を出ると、服の袖からレジを通していないライターや消しゴムなどを取り出し自慢げに見せられてドン引きした。とは言え、それでそいつに対し正義感をぶつけたり、縁を切ったりしたわけではなかった。

ただ、他人の万引きを見過ごすのと自分が万引きをするのとは全く別の話だ。ある土曜日の午後、部活終わりの友人4〜5人で集まっていたら、なんとなく場の流れで『マルナカ』という近所のスーパーに行くことになった。しかし皆学校帰りで誰ひとりお金を持っていないのではないかと危惧していたら、やはり万引き常習犯の友人がパックの総菜を学校指定のリュックにポンポンと放り込んでいる。彼が万引きをするのは勝手だが、目の前でそれをやられるのはストレスだった。自分の気持ちに正直になるなら、「やめとけよ」と諫(いさ)めるべきだろう。しかし万引きをする彼を止めるどころか、「これもお願い」と次々に総菜を手渡している友人たちの前で、自分だけが苦言を呈すのは何か突飛な行動のように感じられ、私は何も言えずただ傍観していた。

それで終わればまだよかったが、事態はエスカレートし、気づけば他の友人たちも総菜を各々カバンやポケットに入れ始めている。ひとりの時は万引きなどしないくせに、集団の熱に浮かされ、さも日常的な行動かのように物を盗む友人たちに激しい嫌悪感を覚えた。

やがて友人の1人がニヤニヤしながら寿司のパックを私に手渡してきた。「これ、服の中に入れといて」。「いや、あんま腹減ってないから俺はええわ。あとスーパーの寿司あんま好きちゃうし」と私は答えた。腹が減っていないというのは若干噓だったが、スーパーの寿司が好きではないというのは本当だ。回転寿司はおいしく感じるのに、大して質の変わらないであろうスーパーの寿司になぜあんなに魅(ひ)かれないのか。常日頃から不思議に思っていた。まあ、スーパーの寿司に対する私の思いなど友人にとってどうでもよかっただろう。実際のところ私もスーパーの寿司どうこうの問題ではなく、万引きすることが嫌なだけだった。その辺の建前は見抜かれていたようで、「お前根性ないなあ」とがっかりした視線を向けられた。後から集まってきた他の友人たちにも「お前バリキモいな。ええから早よ服に入れろや」「ノリ悪っ! ダサっ!」などと口々に理不尽なことを言われたが、私は黙って耐えた。スーパーを出た後、戦利品を物色する彼らの横でも、「腹減ってないから俺はええわ」で貫き通したのである。

ヒップホップの黎明期は、盗んだレコードでサンプリングをするのがクールだったらしい。そんな話を聞くと少年期の万引きなど大した事ではないのかなという気にもなるが、やはりあの日、万引きする流れに決して屈しなかったのは自分にとっては大きな決断だった。本当は抵抗があるくせに場の空気を読んで一緒に悪事を働くのは今振り返っても絶対にダサい。

飲酒や喫煙などはノリに流されて拒めなかった私だが、万引きだけは、あの時やらなくて本当によかったと思う。

『散歩の達人』の連載をまとめた単行本『ここに来るまで忘れてた。』発売中。※写真と本文は関係ありません。
『散歩の達人』の連載をまとめた単行本『ここに来るまで忘れてた。』発売中。※写真と本文は関係ありません。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子 撮影協力=法乗院 深川ゑんま堂
『散歩の達人』2022年7月号より