お坊さんになりたかった狐
このお話には諸説ありますが、今回はその中のひとつをご紹介します。
元和4年(1618)、江戸にある浄土宗の寺・傳通院の高僧(徳を積んだ僧侶)が京都から帰る途中で、澤蔵司(たくぞうす)と名乗る若い僧侶と出会い、道中を共にしました。
その道々で、澤蔵司は高僧に「檀林(仏教寺院の僧侶を養成する学寮)で学びたい」と申し出ます。
その真摯な気持ちと所作から才能を感じた高僧は、澤蔵司が檀林へ入ることを許可。念願かなって、彼は仏教を学べることになりました。
澤蔵司は日々真面目に修行に取り組み、非凡な才能をあらわしていきました。
しかしある日、寝ている最中に尻尾が出ているのを、同僚の修行僧にみつかってしまいます。なんと、澤蔵司の正体は狐(稲荷神)だったのです。
その夜、傳通院の住職と学寮主の夢に現れた澤蔵司は、自分を修行僧として受け入れてくれたこと、仏教を学ばせてもらったことへの礼を述べた上で、「これからは私は神に戻り、この寺を守ろう。だからここに稲荷大明神を祀ってほしい」と言い残して檀林を去りました。
そしてこの地に『慈眼院 澤蔵司稲荷』が建立されたのです。
フィールドワーク①慈眼院 澤蔵司稲荷へ
文京区小石川にある『慈眼院 澤蔵司稲荷』は、元和6年(1620)に徳川家ゆかりの『小石川傳通院』の別当寺(神仏習合が行われていた時代、神社を管理するために置かれていた寺のこと)として境内に祀られるようになりました。
傳通院は関東十八檀林として浄土宗学問を学ぶ場として全国から多くの修行僧が集まっており、澤蔵司もそのうちの一人だったとされています。
敷地内には多くの稲荷像が置かれています。
ここにある稲荷像は全てが澤蔵司稲荷に奉納されたものではなく、再開発などで社を失い、行き場をなくした稲荷像も納められているそうです。
しっかりと形の残ったものから角が丸くなったものもあり、長い歴史を感じることができます。
あちこちに沢山の稲荷像があり、どこかに澤蔵司が紛れているような気持ちになります。
参道右手の石段を下ると、樹齢数百年の木に囲まれた朱塗りの鳥居の先に祠が現れます。
ここには「おあな」と呼ばれる霊場があり、古来から霊狐の住む場所として大切に祀られてきました。
「おあな」の周りは樹齢数百年の木々に囲まれています。
東京大空襲の際には傳通院方面から燃え移ってきた火災をこの木々が食い止め、それによって境内にある建物の一部と隣接する住宅が守られたそうです。
また、この空間は江戸後期に江戸とその近郊の名所を紹介した地誌『江戸名所図絵』の『無量山境内大絵図』にも描かれており、現在もなお「鎮守の杜」に相応しく、都心とは思えない静謐な空気が漂う場所となっています。
周辺には他にも、澤蔵司関連の歴史を感じさせる場所があります。
澤蔵司稲荷を出て善光寺坂を上がった場所にある大きなムクノキは、古くから地元住民に澤蔵司の魂が宿る木として大切にされてきました。
2013年には文京区天然記念物の第一号に指定され、毎年6月上旬には地元町会による「ムクノキ祭」が澤蔵司稲荷の境内にて開催されています。
フィールドワーク②澤蔵司行きつけの『稲荷蕎麦 萬盛』で箱蕎麦を食べる
澤蔵司稲荷を出てから春日通りを目指して歩いていくと、傳通院前交差点にあるレンガ作りの壁が特徴の建物が現れます。
左端に店名が書かれたのれんが目印の『稲荷蕎麦 萬盛』が、修行僧時代の澤蔵司の行きつけの蕎麦屋です。
女将さんに話を聞いたところ『稲荷蕎麦 萬盛』では、澤蔵司が稲荷神として澤蔵司稲荷に祀られるようになってから約400年が経つ現在まで、営業日には必ず初茹で(初釜)の蕎麦をおさめた朱塗りの箱を澤蔵司稲荷に奉納しているそうです。
400年という長い年月が経っても続く信仰心に驚くと同時に、この地で稲荷神としてずっと大切にされている澤蔵司を想い、あたたかな気持ちになります。
初茹でではありませんが、澤蔵司稲荷に奉納している蕎麦と同じ稲荷箱そば800円(税込)をいただきました。
蕎麦は二八に近い配合で作られていて、細くてするするとした軽やかな食感。量は多めですが、重くなくさらっと食べられます。
しっかりとだしの香る蕎麦つゆも、昔から受け継いできたレシピから変えていないそうです。
添えられた揚げは甘辛く煮てあって味がしみており、時々蕎麦と一緒にいただくとまた違った風味が楽しめます。
箸袋には澤蔵司をモチーフにした狐の尻尾が描かれ、ショップカードにも木の葉が舞っています。
「澤蔵司さんが来た日はお店がとても繁盛して、閉店後にお代を確かめると木の葉が混ざっていたとお店では言い伝えられています」と笑顔で話す女将さん。
今でも民話好きや歴史好きのお客さんがやってきては、丁寧に包んだ木の葉をお会計の時に手渡されることもあるそう。もちろんそれはお客さんの粋な冗談なのですが、澤蔵司を身近に感じる素敵なエピソードだと思いました。
調査を終えて
調べている時にはわからなかったことですが、実際に澤蔵司ゆかりの地を訪れて話を聞いていくと、澤蔵司が稲荷神として地域の人にとても愛されていることがわかりました。
民話・伝承であるとはいえ「狐が修行僧に化けて仏教を学んでいた」というのは現代人には信じることが難しい話。でも、取材を通して話を聞くうちに、それが事実か否かはあまり重要ではないのだと感じました。
帰りに駅まで向かう途中、澤蔵司稲荷の静かな杜の中を思い出しながら歩いていると、やっぱりあの場所の稲荷像のどれかに澤蔵司が紛れていたような、そんな気がしたのでした。
取材・文・撮影=望月柚花