朝倉義景を頼って身を寄せた福井
美濃を追われた明智光秀は、朝倉義景(よしかげ)を頼って越前にやってきた。そして称念寺(福井県坂井市)の門前で10年を過ごす。門前は交通の要衝として栄え、時宗(じしゅう)という宗派のネットワークにより、各地の情報や都の文化が集まっていた。「源氏の血を引く光秀にとっては、新田義貞公の墓所があることも、大きかったと思います」と称念寺の高尾察誠(さつじょう)住職。
「最近の研究で、光秀は医学の知識に長けていたということがわかってきました。一乗谷(いちじょうだに)は医学の最先端都市だったようで、光秀は朝倉氏秘伝の薬についても知っていて、医学を通して朝倉氏と密接に関わっていたと思われます」と話すのは、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館の学芸員・石川美咲(みさき)さん。
光秀はその後、足利義昭に従い、また朝倉氏滅亡後には、戦後処理のために一乗谷を訪れている。
朝倉氏の城下町だった一乗谷は、織田信長の軍に火を放たれたあと、土の中に埋もれ、そのまま残った。発掘された住居の区画や立体復原された町並み、そして広大な当主の館跡など、ここを歩けば往時の繁栄した様子が実感を伴って伝わってくる。光秀が駆け抜けた戦国乱世に思いを馳せるのに、このうえない場所といえそうだ。
一乗谷朝倉氏遺跡
光秀も歩いたに違いない
国の特別史跡をはじめ、遺跡内の主要な4庭園は国の特別名勝、遺跡出土品2343点は国の重要文化財に指定され、戦国時代を代表する広大な遺跡。まずは資料館で遺跡の概要を学んで、復原町並と朝倉館跡がある中心部へ向かおう。
復原町並 福井県福井市城戸ノ内町28-37/営業時間:資料館 9:00~17:00
復原町並 9:00~17:00/定休日:資料館 不定休
復原町並 無休/アクセス:資料館 JR北陸本線福井駅から一乗谷朝倉特急バス16分朝倉資料館前下車すぐ。またはJR越美北線一乗谷駅から徒歩5分
復原町並 JR北陸本線福井駅から一乗谷朝倉特急バス23分の復原町並下車すぐ(4~11月の土・日曜・祝日は資料館と復原町並などを結ぶ無料シャトルバスあり)
明智神社
光秀ゆかりの伝説が残る
一時期、光秀が住んでいたと伝わる福井市東大味町(ひがしおおみちょう)は、光秀が柴田勝家らに安堵状を発給させたことで戦禍から逃れることができたといわれる。こうしたことから住民は彼を慕い、この神社を守り続けている。
一乗谷レストラント
丁寧に作られた郷土料理が味わえる
平面復原地区の向かいにあるレストラン。旬の食材を使った手作りにこだわり、一乗谷で食べられていた伝承料理をはじめ、福井の郷土料理なども提供。福井県産のそば粉を使った手打ちそばやソースカツ丼も人気。
松岡軒 本店
福井銘菓・羽二重餅発祥の店
羽二重の織物を作っていたが、明治30年(1897)に2代目が和菓子店を創業。「何か先代のものを残したい」と明治38年(1905)に考案したのが羽二重餅で、その後県内に広がり、福井を代表する銘菓となった。
~ひと足延ばしてゆかりの地へ~
称念寺
光秀が門前に10年間暮らした
福井県の史跡に指定された新田義貞公墓所があり、門前で光秀が暮らした時宗の寺。光秀は門前で寺子屋を開いていたとか、牢人医師をしていたという説も。その暮らしぶりを伝え聞いた松尾芭蕉が句を残し、境内に句碑がある。
取材・文・撮影=若井憲
『旅の手帖』2020年3月号より