衝撃の一杯に出合い、和食やイタリアンで磨いた腕をラーメンにかける
店主の黒木直人さんは、もともとイタリアンの料理人を目指していた。18歳で服部栄養専門学校を卒業し、いざイタリアへと思った時、魚屋の父に「イタリアに行って、日本料理を作れって言われて作れるの?」と聞かれた。
なるほどと、最初は日本料理店で働くことにした黒木さん。5年修業し、結局、都内のイタリア料理店に勤める。その後、大手外食企業に転職し、多くの飲食店の立ち上げに携わった。
総料理長を務めていた38歳の時、湯島の名店『らーめん天神下 大喜』で衝撃の出合いをする。「それまでラーメンには興味なかったんです。それが大喜さんの特製鶏そばを食べて感動して、翌日、会社にラーメン屋をやりたいから辞めさせてくださいって言ったんです」。
大喜の武川店主も和食の職人から転身した方。職人の仕事が施され調和のとれたラーメンに、同じ職人として通じるものがあった。1年後に会社を辞め、2011年6月20日、秋葉原でラーメン店を開業する。
最初は塩と味噌のラーメンから始まり、開業2年目には高級食材の鴨をふんだんに使った上質な醤油ラーメンを打ち出す。
週替わりの限定麺を出すようになったのもこの年からだ。ラーメンに使われることがなかった食材が黒木さんの手によって、素晴らしい一杯に変わっていく。「生産者さんの想いは、直接会わないと伝わらないから」と、使う前に必ず生産地に足を運んできた。
5回目のリニューアルは“きれいすぎない一杯”
開業から11年、何度もメニューをリニューアルしてきた。和食やイタリアンなど「これまでの料理人としての知識や技術で作ってきたラーメン」が、ラーメンを知ることでどんどん変わっていったという黒木さん。
「最初はラーメンを全然知らなくて、作っていくうちにいろんな気づきを得て、ラーメンってこういうものなんだってだんだんわかってきたんですね」。
2022年7月、5回目のリニューアルでメニューが一新。早速、新しい塩そばを作っていただくと、丁寧にラーメンを作る所作に目が釘付け。
今回のメニュー替えのテーマは“きれいすぎない一杯”。「最近、きれいなラーメンが多いじゃないですか。そうじゃなくてラーメンっぽい昔ながらのラーメンという、僕の好きな味の要素も少し入れました。食べてラーメンって思えるような一杯を作りたいと思ったんです」。
もちろん全部を変えたわけではない。今まで創り上げたものも残しつつ、新しく気づきを得た部分を盛り込んだ。
饗(きょう)された塩そばは、細かな手が加えられていた。スープは岩手鴨を増やし、まろやかな甘みのある味わいに。トッピングのチャーシューは通常で3種類。ガリシア栗豚の豚バラ焼豚と鶏胸肉、もう1つは国産豚の稀少なしきんぼ(モモ肉)を小麦の藁で焼き燻製にしたもの。1週間かけて戻して味付けする太メンマはやさしい和出汁の味わい。限定でおなじみのローストトマトは、レギュラー初トッピングだ。
自家製の手揉み麺には、2017年頃から鴨そばの細麺や限定麺などに使われていた、岩手の小麦“もち姫”をブレンド。お好みで細麺にも変更してもよし。
卓上には胡椒が置かれていた。白胡椒に生姜などをブレンドし、今まで『くろ㐂』では使ったことがなかったニンニクが入っているのがポイントだ。「塩そばに合うように作ったんです。これをかけるとラーメンっぽいでしょ」。スープにかけていただくと、よりラーメンらしい旨味とキレが増す。
上質で本物、ワクワクするような楽しさあふれるハレの日のラーメン
大盛りをなくした分、もう少し麺を食べたい人のための具や味のある追加の麺“和え玉”がメニュー入りした。低加水細麺に丹波黒どりそぼろ、九条ねぎの千切り・ソースなどを絡めて食べる、具だくさんの和え玉だ。そのまま食べても、ラーメンのスープに漬けても、スープの中に入れてもいい。
醤油そば、胡椒そば、韮つけそばと順次、新メニューも加わる。「胡椒そばは、学生時代に食べた品川の『天華』さんの胡椒そばを思い出して、今の『くろ㐂』だったらどういうのができるか。そう考えて作りました」。名物の焼売も板前時代、築地『やじ満』で食べた思い出の味をくろ㐂流に作り上げたものだ。
今回のリニューアルでは、お客様にワクワクしてもらいたいと、楽しいラーメン作りも意識した。「自分で作って自分で食べたいと思うラーメンです」と黒木さん。楽しんで料理を作っているのが、後ろ姿でも伝わってくる。
いま、ラーメンでハレの日が過ごせる時代、もう一歩先を表現できるのもラーメンのいいところと黒木さん。「ラーメンって面白いですよ。正解もないし、終わりもないし、全然尽きない。いろんな気づきが毎回あります。ずっとラーメン、死ぬまでラーメンを作りたい」。
何度リニューアルしても揺るがない上質で本物のラーメン。一杯一杯にこめられた想いごと、おいしく楽しく味わってほしい。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=大熊美智代