お寺ってちょっと入りにくい?
そもそも仏教自体が、お釈迦様が悩める人々を救うところから始まっているとあって、檀信徒(だんしんと)に限らず広く人生相談を受け付けているお寺は数多くあります。また、写経や坐禅、ヨガや音楽イベント、落語会を開催したりと、直接ゆかりがない人もウェルカム!というお寺も増えているそう。お寺は死後の世界専門ではなく、生きる人の力になってくれる場所として活動するお寺もたくさんあるんですよね。
とはいうものの、それでもやっぱりなんか行きづらいっていうのが正直なところだったりもします。近所にはお寺がちらほらあるけど、檀家じゃないから入るのは気がひけちゃいます。お寺って、お葬式や法事をする以外に用事がない。行ったとしても観光地の大きいお寺くらいで、日常的に足を運ぶ場所ではないよなあ……。お寺とはそんな付き合い方の人が多いんじゃないかな? と思うんです。
そして私(みうらじゅんさん好きが高じて仏教ファンに)もその一人。たまに坐禅会などに行ってみたりはするものの、家から遠かったりしてなかなか日常の習慣にはならず。こっそり近所のお寺に入って、本堂やお庭を回ってそそくさと出る、みたいなつきあい方をしてきました。もっと、本屋さんや雑貨屋さんに立ち寄るように、気軽にお寺に入りたい。そしてお坊さんとお話したいんだ!
と、お寺に足も向けずに勝手に嘆いていたところ、そんな不満を覆すようなお寺があるという話を耳にしました。
お坊さん手作りのスイーツをいただける神谷町・光明寺
神谷町にある浄土真宗のお寺、光明寺(こうみょうじ)です。
「誰そ彼(たそがれ)」と言う音楽イベントや、朝お寺に集まった人たちが掃除やお話をする「テンプルモーニング 」を始めたお寺としてメディアで取り上げられているので、名前を耳にしたことのある方もいるのでは。
檀信徒ではない人も気軽に足を運べる取り組みをさまざま用意しているお寺です。
その中でもずっと気になっていたのが、4〜10月の金曜日に、スイーツ好きのお坊さんが手作りのお菓子とお茶でおもてなししてくれるという試み。僧侶の方とお話ができて、そのうえなんとお代はいらないそうなのです。そんな素晴らしいことがあっていいのでしょうか。これは行くしかない……!
と思いながらも、常連さんが多くて入りづらかったりするのかなあとか、家から近くはないしなぁ……などと思っている間に、コロナウイルスの影響でしばらくお休みになってしまいました。
行きたい気持ちが封印されたままだったんですが、ついに今年(2022)の6月おもてなしが再開されたとの情報が。これはいよいよ時来たれり、と意を決して、ちょっとドキドキしながら行ってまいりました!
駅の出口からあっという間にたどり着きました。閉ざされた大仰な門はなく、公園のようにすーっと入っていける雰囲気です。優しい青もみじやいちょうの緑、お地蔵さんのような表情の石像に迎えられ、進みます。
法事等のない平日昼間、本堂前のスペースが開放され、誰でも自由に腰掛け休むことができます。ソファやベンチがゆったりと置かれ、右手には本堂が。ご本尊の阿弥陀如来像に見守られた、大きな木陰のような空間です。
伺ったのはお昼過ぎでした。近隣で働く人たちが思い思いにくつろいでいます。カフェどころか、もはやまるで自宅のリビングのようです。持ってきたお弁当を食べたり、本を開いたり。猛暑の中でも、涼しい風が通り抜けていきます。その光景を見ているうちに、自然と緊張はほどけていきます。初めて行く場所であっても、公園だったらあまり緊張しませんよね。それにかなり似た気持ちで、いつの間にかリラックスしている自分に気づきます。来るまであんなに緊張していたのに。
その奥に立つのが、神谷町オープンテラスの店長を務める、僧侶の木原祐健(きはら・ゆうけん)さん。例のスイーツを出してくださるお坊さんです。
おどおどしながら「あの〜今日はカフェやってらっしゃる日ですよね? お願いしてもよろしいでしょうか……」と声をお掛けしました。ここでふたたび湧き上がる緊張感。笑顔で応対する木原さん。
緊張して、どんな言葉を掛けていただいたのか頭から飛んでしまいましたが、その笑顔だけは記憶に残っています。
席の多くは自然とテラスの外に向くように設置されていて、他の人を強く意識せずに、でもなんとなくその存在を横目で感じながら過ごせます。ひとりであって、ひとりでない感じ。
この距離感の心地よさに身を浸していると、木原さんがお茶とお菓子を持ってきてくださいました。
この日のお菓子は、オープンテラス名物のわらびもち。光明寺のシンボルである境内の梅を煮て作った甘酸っぱい甘露煮も添えられています。
とろっと&もちっとした食感に梅のキリッとした甘酸っぱさが絡み、味わうほどにますます肩の力が抜けていきます。
キーンと冷えたほうじ茶を飲んではぁ〜と一息。テラスから見える景色の左手には、代々のお墓がのんびりと広がっています。そして目の前にはそびえ立つ東京タワー。
右手には、建設中の高層ビル。ふたたびテラスのそばに視線を戻すと、ひらひらと蝶々が舞っていました。優しい風が吹いて、みんなそれぞれのペースでくつろいでいて……。あれ、なんだか涙が……?
この日私はとても元気だったはずなのに、なにか温かい不思議な気持ちに満たされて、気づくとちょっと本気(マジ)泣きしそうになっていたのでした。やばい、と涙ごとお茶を飲み干します。自分でもこの気持ちがなんなのかわからないまま、本堂にお参りして手を合わせ、帰路につきました。
するとなぜか、その日は慌ただしい夕方もゆったりと過ごせたんです。仕事も家事もモリモリ溜まっているというのに! その不思議な気持ちが数日経っても続いています。その余韻が消えぬまま、木原さんにもう一度お会いしてみようとふたたび訪ねてみました。
ここに足を運ぶことに、すでに意味がある
- 木原さん
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ありがたいことに、「癒された」とか「穏やかになった」とおっしゃる方が多いと感じています。お寺の場の力もあるでしょうし、その方がお家を出て、お仕事やご家庭のことを整えてここに来る、ということから始まることもあるでしょうし。ここに足をお運びいただいて、時間を過ごしたという一連の時間の流れで、いろんなことを思い出したり、何かに気づいていくのかなとよく思います。僕はたまたまこの場にいて、その変化に立ち会ってるだけなんじゃないかと。
- 木原さん
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じゃあちょっと参考資料としてこちらを見ながらお話しましょう。これは2006年くらいの写真で、髪があって、まだお坊さんになる前の私です。作務衣を着てここにいますと、お坊さんだと思って色々お話してくださる方が多かったんですよね。
お墓を見ながらだったり、病院の手術の前に来た方もいれば、人生に迷っていて、という方も。そういうもろもろの悩みや人生の話を聞く中で、お寺に来る方に対してお役に立つことはできないものかと思ったわけなんです。
自分になにかできるという確固たるものがあるわけではないけれど、自分がここにいることになにかの意味があるのかなと思いながら。そういうことが繰り返され、生きていく中で思うようにならないことにあたったときに、仏教はそれをどのように解決してくれるのか学びたいと思うようになりました。周りのお坊さんに相談したところ、そういうことであればお坊さんになりながら学べばいいのではないか、という話をいただいて、僧侶になることを前提に学びを始めました。
——お越しになる方の役に立つこと、そのためにも仏教について学ぶこと、その答えが僧侶になることだったと。僧侶になるということはすごく高い階段のように思えますが、とてもナチュラルにこの道を選ばれたんですね。
悩みに寄り添う場所としてのお寺の存在
- 木原さん
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できないことを認められない、まったくその通りだと思います。
大事なことだから失敗できないと思いやすいでしょうし、だからこそ余計に動きにくくなってしまうこともあるかもしれません。失敗に対してどうしても臆病になってしまうところってあるかもしれませんし、それって生きていればやむを得ないことではあるけども……。
お伝えするとしたら、安心して間違っていいんじゃないかな、ってことでしょうか。そもそも間違いとか正解とかって、短期的にわかるものでもないじゃないですか。20年前にこうだと決めた道が、今ではずいぶん違っていたりもしますしね。これが絶対正しいからってそうなるような世界ではもはやありませんし。悩みを持っている方にお話できることとしましては、かならず見守っているから大丈夫だよ、ということでしょうかね。
- 木原さん
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それは言えると思いますよ。こういうお寺のつくりからも安心していただけるというのはあるんじゃないかと思っています。オウム真理教の事件があった頃、信者の方の『お寺は風景に過ぎなかった』という言葉がありましたけども、本当に助けを求める方にとってお寺が閉鎖的に思われてしまうというのは、忸怩(じくじ)たるものがありますね。
——だからこそ、光明寺さんのようにお寺に入っていい理由が用意されているということが本当に大きいんですよね。お茶をいただきに来ているのだから入っていいんだ、と。別に悩んでないと来ちゃいけないわけでもなく、なにかを抱えてなくても来ていいし、悩んだら行くんだ、って自分なりの儀式のようにしてお越しになる方も多いかもしれませんね。
それって、単にお寺が開放されているから、お菓子をいただけるからじゃなくて、木原さんが見守ってくださるからなのかなと思いました。偉そうなお坊さんがドーンっていらっしゃるんだとしたら、この空間やお菓子があってもみなさんそういう気持ちにはなれないと思うんです。空に浮かんでいる雲や一本の木のように木原さんが立っていらっしゃる、それがまさに仏様に見守られている感じを生んでいるんじゃないかと思います。
私たちと同じ社会で暮らすお坊さん
- 木原さん
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お坊さんってさまざまで、お役所に勤めて土日はご法事をおつとめしたり、お坊さん専業でない方のほうが多いと思います。サラリーマンの方もいれば、野球選手や俳優の方も。学校の先生をされている方や、著作や講演会をされている方もいます。
お寺のお坊さんの日常としては、お経を読んだりお寺のお掃除をしたりするだけでなく、事務作業をすることも、お寺の新聞やブログで発信することもあります。学ぶことも、地域の中で色々な方と出会っていくことも全部含めて、大切なお坊さんの仕事と言えます。
- 木原さん
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本当にありがたいことにいろんなことをさせてもらってまして、日々のお仕事のほかにもお菓子を作らせていただくイベントに出ることもたまにありますし、書き物などのお仕事もあったりします。どこまでが仕事かというとすごく曖昧なところがございますね。
- 木原さん
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そこは遊びでありたいですねえ(笑)。僕の場合は決まったお休みもありますし、普段はお寺とは別の場所に住んで、みなさんと変わらない感じで過ごしています。いいカフェがあれば行ってみようとか、いい本はないかなとか、そういう感じで逍遥(しょうよう)しています。
- 木原さん
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散歩しますよ。夏の時期ですと、近くにある『SOWA』っていうアイスクリーム屋さんがおいしいですね。港区で一番古いのかな、1950年代からやっいてるアイスクリーム屋さんで、お土産やお中元にもよく使われています。
すごくフレーバーも多いですし、僕も個人的に好きでよく買いに行っています。昼休みにここに持って来て召し上がる方も多いですよ。
- 木原さん
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今までたくさんご縁をいただいた方がいますが、浅草・緑泉寺の青江覚峰さんに会われてはいかがですか。「料理僧」として活動されている方で、このわらびもちのレシピの指導もしてくださった方です。
——木原さんのお知り合いのお寺なんですね。ぜひ伺ってみたいです!
木原祐健さんプロフィール
1978年神奈川県生まれ。お寺を人々の憩いの場にしたいとの思いから光明寺仏教青年会が企画した、通称“お寺カフェ”「神谷町オープンテラス」に設立時より参加、2009年に得度。来訪者の接遇や傾聴活動などを担当。著書に『神谷町オープンテラスの おもてなしお寺スイーツ12ヵ月』(河出書房新社)など。コロナ禍以降はオンラインでも傾聴活動を行う。