小津安二郎が愛した店

大正元年(1912)創業。とんかつの原型「コートレット(カツレツ)」といえば、ロースが常識だった頃、たまたま肉屋が持ってきたヒレ肉をとんかつに仕上げたところ評判を呼び、看板料理になった。以来100年以上、その味を守っている。

上野松坂屋の脇の屋台から始まり、昭和3年(1928)に現在の場所に店を構えた。現存している建物は、昭和25年(1950)の建築だ。モルタル木造2階建ての、いかにも「昭和の料理屋」といった控えめな佇まい。店内は1階がカウンター9席のみ、2階が8畳と2畳の座敷席。

映画監督の小津安二郎が愛した店としても知られ、映画にも「蓬莱屋」を思わせる台詞やシーンがたびたび登場する。2階の8畳間を模したセットを大船の撮影所に作り、そこで登場人物が実際に蓬莱屋のカツを食べているシーンを撮影したほど。遺作となった「秋刀魚の味」のワンシーンだ。佐田啓二演じる平山幸一が同僚の三浦に妹の縁談話をするという映画の中でも重要なシーン。ヒレカツをつまみに瓶ビールを飲み、台詞にも小さく「うまいな」という一言が入っている。そのため小津映画ファンも多く訪れ、座敷の写真を撮っていくという。ここでは、小津映画に敬意を込めて、畳に座ったままのローアングル(低い位置)で、標準レンズで写真を撮りたい。

そんな昔ながらの手法を守りヒレカツ一筋。小津映画の美意識も守ってきた店だが、雰囲気は意外なほど若々しい。当代の店主は、中国出身の山岡燕芳(えんほう)さんだ。まだ保育園に入る前の子供を抱えるお母さんでもある。もともとはアルバイトとして「蓬莱屋」で働いていたが、その働きぶりから先代店主の山岡吉孝さんに見込まれ、子供のいなかった吉孝さん夫妻の養女になった。先代夫妻は福建省の両親にも会いに行ってくれたこともあり、その熱意から養女になることを決意したそう。平成17年のことだ。並大抵の決心ではないと思うが、その時は「店を継いで欲しい」とは一言も言われなかったそう。燕芳さんの幸せを一番に思い、ほかの道を選んでも応援すると言ってくれたのだ。

店を継いだのは10年ほど前。先代店主が70歳を超え、体調も悪いことから引退を考えた。なによりも「蓬莱屋」を愛していた燕芳さんは、迷うことなく店を続けることを決意。今は育児に忙しいそうだが、そのうち燕芳さんが笑顔で立働く姿が見られるはずだ。

「二度揚げ」でサクサクとした軽い食感に

料理長も中国出身の方だそうで、ここからは調理人の山岡良有(よしとも)さんにお話を伺った。毎日仕入れる豚肉の量は100kg、その時、最良の国産豚を、銘柄を変えずに仕入れるため4つの業者と契約している。塩、コショウで下味をつけたヒレ肉に小麦粉をはたき、たっぷりの卵にしばらく漬け込む。パン粉は細かめの生パン粉を、さらに手で軽く擦り合わせて細かくしてからつけている。揚げ油はラードと牛脂(ヘッド)を絶妙なバランスでミックス。まず220℃くらいの高温の油で熱して表面を固め、肉汁を中に閉じ込める。そのあとは170℃前後の中温の油で、じっくり中まで火を通していく。

この「二度揚げ」という調理法は蓬莱屋のオリジナル。ヒレカツは、ひとくちサイズにカットされたカツに味噌汁、お新香、ご飯がついて3300円。衣は薄く茶褐色で、サクサクとした軽い食感だ。肉から剥がれ落ちることはなく、しっかりとついている。衣の中からはジューシーな肉の旨みが溢れ出し、隅々まで柔らかい。お好みでマスタードやソースをつけて。味噌汁はお椀ではなく、磁器の蕎麦猪口(そばちょこ)に入っている。木のお椀より保温性が良いので、最後まで冷めないようにとの気遣いからだそう。なるほど、手で持ってみるとその温もりが伝わる。固めに炊かれたご飯の量も丁度いい。胃にもたれることなく、上品で軽い食感だ。

老舗ゆえ、高齢のお客さんも多いのでは?と山岡さんに聞くと「高齢のお客様からは『今日は外出するときに入れ歯を忘れちゃった。だから蓬莱屋に来たんだよね』という話を聞きました」と笑う。つまり、それほど柔らかい。ほのぼのとした会話が目に浮かぶような、ずっと続いて欲しい名店だ。

取材・文・撮影=新井鏡子

住所:東京都台東区上野3-28-5/営業時間:11:30〜14:00LO(土・日・祝は11:30〜14:00LO・17:00〜19:30LO)/定休日:水/アクセス:JR山手線・京浜東北線御徒町駅から徒歩1分