目黒・権之助坂の途中にある店は、チェーン店の1号店
『中国ラーメン揚州商人』は、現在1都3県に37店舗を展開しているチェーン店だ。その1号店である目黒本店が権之助坂の途中にオープンしたのは1990年のこと。
創業者である現会長の祖父は上海や南京に近い中国・揚州の出身。大正9年(1920)に日本に来た祖父は、北千住で中華そば店を開き、父が店を継いだ。創業者は幼い頃から祖父や父が作る中華料理を食べて育ったのだ。その味が『揚州商人』の原点でもある。
『揚州商人』を立ち上げる以前、創業者は千葉県で豚骨ラーメンの店を複数運営していた。すると訪れたのが、ラーメンブーム。本場九州のとんこつラーメンチェーンが関東にも出店したことから、豚骨よりも幼い頃から慣れ親しんできた中国ラーメンで勝負しよう。そう考えて始まったのが『揚州商人』なのだ。そのため、店構えを見ると中華料理店かと思うが、メニューの主役はラーメンだ。
『揚州商人』では、焼きそばを含めてほとんどの麺料理で、3種類の麺から好みのものを選ぶことができる。オープン当初からある昔ながらの製法で作る細麺の柳麺(りゅうめん)、20周年を記念して生まれたコシが強く弾力のある幅広の刀切麺(とうせつめん)、そしてその2つの中間として、コシともちもち感の絶妙なバランスを狙うのに2年の開発期間を要したという中太の揚州麺(ようしゅうめん)だ。
いちばん人気は酸っぱさと辛さがクセになるスーラータンメン
常時30種類以上もあるというラーメンの中でも、いちばん人気があるのがスーラータンメンだ。今回は揚州麺で作ってもらった。中国では酸辣湯(スーラータン)は家庭の味で、そのスープに麺を入れた酸辣湯麺は日本でのオリジナルということは、中国料理好きにはよく知られた話だろう。『揚州商人』のスーラータンメンは創業からしばらく後に、賄いから生まれたメニューだ。もともとは創業者の祖父母がよく作ってくれたもの。カタカナでスーラータンメンと表記するのは、創業者の祖母がそう呼んでいたことに由来している。
酸っぱくて辛いのが癖になるスーラータンメンだが、とろみのあるスープに、玉子、豚肉、椎茸、竹の子、白髪ネギが入っていて香りもいい。中太でもっちりした食感の揚州麺にスープがよく絡み、細切りにした具材が舌の上から滑るように喉を通っていく。
創業当時からあるワンタンメンも含めて、創業者の祖父母の味をそのまま引き継ぐメニューもあるが、独自に開発した味も多い。中華料理の定番の1つ、青菜炒めをラーメンにのせた青菜そば、タンタン麺にカレーの風味を加えたカレータンタン麺など中華料理をベースにメニューはバラエティ豊かだ。
『揚州商人』にはラー油を使ったメニューが複数あるが、あたたかいタンタン麺と夏の人気商品でもある冷しタンタン麺でも別のラー油が使われているなど、材料のこだわりは細やか。
店舗が多いとどの店でも同じ味とするのは難しそうだ。しかし、『揚州商人』では社内資格を設定しているほか、店舗で調理する様子を撮影した動画によって一人ひとりのスキル向上を図るなど、働く人のキャリア向上を兼ね備えた品質管理にも余念がない。もちろん料理長が店舗を回って頻繁にチェックも行っている。目黒店で店長を務める星さんは入社から19年目。ラーメン店で女性店長は珍しいが、働きやすい職場で「『揚州商人』が好き」なのだそう。
こだわりの内装やエンターテイメント性のある仕掛けも楽しめる
店舗は揚州の街角を思い起こす店構え。現地らしい趣にしたいという創業者の意向が反映された。店内には中国で買ってきた人形など、現地を思わせる装飾が施され、流れるBGMも中国語の歌謡曲だ。
最初は、現地で撮ってきた写真をもとにイメージ画を描いて「これを作って欲しい」と外部の建設会社に依頼。同じころ「中国ではこんな柱はない」「柱がないと建物が壊れます」というやりとりもあったのだとか。
中国に関する豆知識を書いた手作りのチラシや、揚州商人新聞とする読み物を自由に手に取って読めるようにしているなど、エンターテインメント性があるのも楽しい。全店共通のグルメ会員になるとお得なサービスやプレゼントもある。
現在は創業者の子息が“4代目”として、曽祖父・祖父が広めてきた中国料理をルーツに、父が作り上げた『揚州商人』の味を進化させながら100店舗を目指して邁進している。1都3県にある『揚州商人』の他の店舗がお気に入りという人も、目黒本店を訪れてみてはどうだろうか。
取材・撮影・文=野崎さおり