創業32年。下北沢のカレー文化を牽引する老舗
ここ10年ほどで、すっかりカレー文化が根付いた下北沢。道を歩けばたくさんの個性豊かなカレー店を見かけるが、なかでも一番の老舗が2022年で創業32年目になる『茄子おやじ』だ。
『茄子おやじ』を25年守り続けた先代の店主から、およそ6年前に店を受け継いだのが2代目店主の西村さん。もともとカレー好きだった西村さんは、吉祥寺の老舗カレー店『まめ蔵』出身の先代が作るカレーが大好きだったという。当時、西村さん自身も「いつか自分のカレー店を開きたい」という思いがあったため、自分が一番好きなカレー店の『茄子おやじ』で修業することに。
それから数年後、先代店主から「店を畳むつもりだから、継がないか?」と声をかけられた。「そのときは自分の店を持ちたいという気持ちもあるけど、純粋に下北沢からこの店がなくなるのは嫌だと思ったんです」と話す西村さんは、二つ返事で後を継ぐことに。
店内は木製のカウンターと床以外、店を受け継ぐタイミングで西村さんがすべて大胆にリニューアルし、雰囲気はガラリと変化。ただ店を守るだけではなく、自分の色を足すことで“新生茄子おやじ”を完成させた。
さらに新しくなった『茄子おやじ』には、音楽活動を行う西村さんのアイディアでレコード用のターンテーブルも設置された。そのため店内には、幅広いジャンルのレコードからスタッフが気分で選んだり、その日訪れたお客さんの年代に合わせて選んだりと、さまざまな音楽が流れている。もちろん、お客さんのリクエストにも快く応えてくれるので、店には音楽好きも自然と集まってくるように。
先代の核を守りながらも大きく変化を遂げた、唯一無二のスパイスカレー
当時、下北沢のカレー店の代表ともいえる老舗を受け継ぐのは、西村さんにとって大きなプレッシャーだった。しかし、先代からの「決して今までの味をコピーしなくていいから、自分がおいしいと思うカレーを作ればいいんじゃない?」という言葉に救われたという。その言葉を胸に、先代から教わった核となる味わいは守りつつ自分なりの“おいしいカレー”を追求した。
その結果生まれたカレーは、毎日8~10時間炒めた寸胴1杯分の玉ねぎと、13~15種類のスパイスをベースに作られる。スパイスは、夏はあえて汗をかけるように辛めのスパイスを足し、冬は香りの良いスパイスを使うなど、季節に合わせて調合を変えている。西村さんの作るアイディアや工夫の詰まったカレーは“老舗の味わいを変化させる”という大きな壁をなんなくクリアし、多くの人々に愛される味わいとなった。
また、カレーの食後にぴったりなのが、店舗を持たないマイクロコーヒーロースター『+COFFEE(プラスコーヒー)』が『茄子おやじ』のために焙煎したオリジナルのブレンドコーヒー。ジャズアーティストのジョン・コルトレーンから名前をとった「Coltrane」は、古き良き喫茶店をイメージした深めの焙煎。カレー、そして音楽にマッチした味わいが心を安らげてくれる。
チキン、ビーフ、野菜が共演する夢のスペシャルカレー!
『茄子おやじ』のカレーは、基本的にルーは1種類、具材は「ちきん」「びーふ」「やさい」の3種類だ。しかし、この3種類を“全部のせ”し、さらにゆで卵もトッピングされたスペシャカレーが存在する。その贅沢さゆえに人気だそうで、筆者もいただいてみることにした。
まずはルーを一口食べると、玉ねぎとスパイスの深いコクがやってきた。旨味と甘みの奥底に、スパイスの辛みもじわりと感じられる。ほろりとやわらかいチキンは、チキンのために調合されたスパイスが肉の旨味をぐっと引き立てている。肉々しい旨味のビーフと喧嘩しないのは、ルーのおかげだろうか。両者ともうまくカレーの中で共演しているから不思議だ。
また、野菜も大きなナスやブロッコリー、トマトなど盛りだくさんでうれしい。ナスは噛むたびにジュワッっと甘みがあふれ出し、そのジューシーさとあまりの存在感に驚いてしまう。カレーの辛味をまろやかにするゆで卵は、中盤に食べると味わいの変化を楽しめる。こんなに満足感があるのに、1300円という価格もうれしい。
また、食後のデザートに人気なのが、昔ながらの瓶に入ったはちみつがけヨーグルト。カレーを食べて汗をかいたあとに、後味をさっぱりまろやかにしてくれる。甘酸っぱいヨーグルトと、とろりと濃厚なはちみつの相性は言うまでもない。豪華なデザートもいいけれど、シンプルはやはり最強だと思わせてくれる一品だ。
取材中にも、店には西村さんが作るカレーを求めて次々とお客さんがやってきた。音楽に包まれた空間でゆったりとカレーを楽しむ『茄子おやじ』の日常は、カレーと音楽を愛する人々が集まる、下北沢の街にふさわしい光景だ。
取材・文=稲垣恵美 撮影=久保田隆元