東京都奥多摩には、遺構がしっかりと残存する廃線があります。その名は小河内線。奥多摩湖となる小河内ダム建設のために敷設された貨物線で、青梅線の終点氷川(現・奥多摩)駅からダム建設現場の水根まで6.7kmの路線でした。小河内線は途中に交換設備のない単線非電化で、東京都が運行する専用線でした。都が国鉄からC11形蒸気機関車と乗務員を借り受けて運行し、専用貨車も製造され、ダム建設資材のセメント輸送に活躍したのです。

奥多摩むかし道沿いにチラチラと姿を見せる遺構

道路と小河内線の高低差は数十メートルあるようで、右手の崖を仰ぎ見ると小留浦(ことずら)地域の橋梁群が数カ所に渡って見えてきます。見えるといっても斜面の木々の合間から、白亜のRC(鉄筋コンクリート)桁がチラッと望める感じで、全景は判別できません。こんなところに小河内線があったの?と、斜面の奥にチラっと存在するRC桁を見つけたときは、宝探しをしている気分になります。

近くに行きたくても崖や高低差の障壁があって行けない、けれども遺構が目と鼻の先にあって、自然と同化しする素敵な姿で佇んでおり、それが木々の合間からチラッと覗ける。なんとももどかしいが、見て触れたいのにできない距離感が、なんとなくチラリズムっぽいです。

奥多摩むかし道からチラ見できる遺構。小留浦(ことずら)の橋梁群。最初に見つけたこれが第一橋梁なのかどうかは、いまいち分からなかった。
奥多摩むかし道からチラ見できる遺構。小留浦(ことずら)の橋梁群。最初に見つけたこれが第一橋梁なのかどうかは、いまいち分からなかった。
小留浦(ことずら)の橋梁群その2。道路が稜線に沿って左へカーブするたび、山肌にRC桁が見えてくる。
小留浦(ことずら)の橋梁群その2。道路が稜線に沿って左へカーブするたび、山肌にRC桁が見えてくる。
小留浦(ことずら)橋梁群その3。ここはかなり木々が茂っている。ここをC11が走っていたのか。
小留浦(ことずら)橋梁群その3。ここはかなり木々が茂っている。ここをC11が走っていたのか。

果敢に崖を駆け上がってはぁはぁする猛者はいると思いますが、私はこの離れた距離感から遺構を愛でるのが好きなんです。人それぞれですね(笑)。なおこの先の小河内線遺構は、こうした離れた位置から望むところばかりとなります。安全のために無理は禁物です。

むかし道を歩き、第五小留浦橋梁をチラ見した先は、一旦離れていきます。山肌が迫り出す地形のため、むかし道は檜村の集落へ回り込んでいるからです。しばしのお別れは心寂しいですが、地形には逆らえません。潔くルートに従って歩きます。

むかし道は森の中を行きます。右手の斜面のどこかに小河内線があるはずなのですが、ちょっと分かりません。高低差はかなりあると思われます。次のトイレが現れたので小休止。トイレはここが最後です。ここには不動の上滝という滝があり、その上の方に第三境橋梁があるそうですが、背伸びして滝のほうを見上げても橋梁が確認できませんでした。ここは6月に訪れたので、もしかしたら落葉後の冬場だと分かるかもしれませんね。

集落の上に聳えるガーダー橋に見惚れる

奥多摩むかし道を歩いていくと、境集落に出ました。東京の名湧水に選ばれた「境の清泉」がある町です。山肌に家々が集まる典型的な集落ですが、ふと右手の家々の屋根のさらに奥のほうに目が行きました。

境集落ののどかな一本道を歩いていると突如前方に見える第四境橋梁。思わず目を奪われる。
境集落ののどかな一本道を歩いていると突如前方に見える第四境橋梁。思わず目を奪われる。

ガーダー橋! クリーム色をしたデッキガーダーが3スパン、山の稜線からニョキッと姿を出している。一部はツタが絡まり、徐々に緑へ侵食されていく姿。それが家々のはるか上に聳えているから、遺跡のような神々しささえ感じてしまいます。第四境橋梁。小河内線の代表的な遺構のひとつです。しばし見惚れていると、杖を片手にゆっくりあるくお爺さんが話しかけてきました。

第四境橋梁の威容。蔦が絡まり巨大な遺跡の雰囲気を感じる。ここをC11が走っていた。
第四境橋梁の威容。蔦が絡まり巨大な遺跡の雰囲気を感じる。ここをC11が走っていた。

「ここは一帯の集落の中心地だったんだ。汽車の跡、写真撮ってるのか。昔は蒸気機関車だったから煙が凄かったんだ。」

こう、もうもうとな。お爺さんは両手を上に回しながら煙を表現して、しばし世間話をします。「いいカメラ持ってるな。」

小河内線は休止線となるまでC11形蒸気機関車が牽引していました。お爺さんの話を聞きながら、家々の上をC11が煙を上げて走り去っていく光景が想像できます。小河内線は交換設備が無かったから、貨物列車が行ったら戻ってくるまでしばらく時間はあっとことでしょう。なので、ひっきりなしに上下の貨物列車が橋梁を通過していたとは思えません。静かな時が多く、ときおり汽笛とシュッシュッとC11の重々しい音が山あいの集落にこだまし、もうもうと煙が出ていた……。蔦の絡まった第四境橋梁から、そういう光景が浮かびます。もしも現役路線であったら、この橋梁も有名な撮影ポイントとなったことでしょう。

11月の晩秋。いやぁこれは絵になる。小河内線を巡りながら何度も言うが、この路線が現役であったら撮影地になっていただろう。C11の汽笛と音が聞こえてきた……。
11月の晩秋。いやぁこれは絵になる。小河内線を巡りながら何度も言うが、この路線が現役であったら撮影地になっていただろう。C11の汽笛と音が聞こえてきた……。
斜面を上がる小道から第四境橋梁へ近づく。コンクリート橋脚は苔が生え長年の垢が染み付いていた。
斜面を上がる小道から第四境橋梁へ近づく。コンクリート橋脚は苔が生え長年の垢が染み付いていた。

終点の水根まではむかし道と青梅街道沿いから遺構を望む 

小河内線は第四境橋梁のあと白髭トンネルへ潜り、終点の水根まで西進します。ですが、奥多摩むかし道との高低差はいよいよ大きくなり、遺構を見上げるのも首がしんどくなってきます。オーバーハングの岩壁が社殿に覆いかぶさろうとする白髭神社の横を抜けると、白髭トンネルのポータルと橋詰橋梁のRC桁が、木々の合間からチラ見できました。

白髭神社脇のむかし道を歩いているとチラ見できる白髭トンネルと橋詰橋梁。
白髭神社脇のむかし道を歩いているとチラ見できる白髭トンネルと橋詰橋梁。

この先はむかし道が離れていくので、青梅街道へ合流。目線の先には白髭橋梁が青梅街道の遥か上に聳えています。これはどうにも近づけそうにないなと、諦めの境地に至るほどの高さにあって、RC桁は少々黒ずんでいます。山肌から露出しているからと思われます。

青梅街道の真上に聳える白髭橋梁。高さは20数メートルといったところか。かなりの高さを走っていた。
青梅街道の真上に聳える白髭橋梁。高さは20数メートルといったところか。かなりの高さを走っていた。
道路から仰ぎ見る白髭橋梁。かなりな高さからして小河内線建設時も大変であったことだろう。
道路から仰ぎ見る白髭橋梁。かなりな高さからして小河内線建設時も大変であったことだろう。
一転して晩秋の白髭橋梁。初夏もよいけれど秋の終わりもモノトーンで味わい深い。
一転して晩秋の白髭橋梁。初夏もよいけれど秋の終わりもモノトーンで味わい深い。

青梅街道に沿って歩きますが、さすがに交通量が多いので、遺構に見惚れて周りを疎かにしないよう気をつけます。終点の水根まで、青梅街道の右手には小河内線が寄り添い、ときおりチラチラと橋梁の姿を見せていきます。

桃ヶ沢バス停からみた第一桃ヶ沢トンネルと桃ヶ沢橋梁。写真上のほうにトンネルが口を開けている。
桃ヶ沢バス停からみた第一桃ヶ沢トンネルと桃ヶ沢橋梁。写真上のほうにトンネルが口を開けている。

最後のハイライトは小河内ダムが望める地点。第一水根橋梁と、青梅街道を交差している第二水根橋梁です。遺構を間近に見られるのはこの辺りですが、青梅街道には歩道がないので注意します。目の前の遺構に気を取られることのないように。

中山トンネルから出て第一水根橋梁を見る。青梅街道に隣接しているから観察しやすい。
中山トンネルから出て第一水根橋梁を見る。青梅街道に隣接しているから観察しやすい。

第二水根橋梁はプレートガーダー構造で、あろうことか橋梁の途中から木が生えていました。きっとこのまま成長していくのでしょうね。小河内線は奥多摩工業の管理となった今も休止線で、現状維持のまま時が過ぎています。終点の水根駅は貨物設備も撤去されて久しく、だだっ広い敷地があるのみでした。

青梅街道に架かる第二水根橋梁。この橋梁を渡ると水根駅があった。
青梅街道に架かる第二水根橋梁。この橋梁を渡ると水根駅があった。
水根トンネルと第二水根橋梁。青梅街道から観察できる。木が生えているのがお分かりいただけるだろうか。
水根トンネルと第二水根橋梁。青梅街道から観察できる。木が生えているのがお分かりいただけるだろうか。
潜った先で振り返ると……木が生えている。このまま成長してほしい。
潜った先で振り返ると……木が生えている。このまま成長してほしい。
二度と鉄道が走らないということを証明するかのように橋梁上で木が育つ。もう半世紀以上も列車が走っていないのである。小河内線に観光列車が走るところを見たかったが、遺構として遺されている姿もグッとくるものがある。
二度と鉄道が走らないということを証明するかのように橋梁上で木が育つ。もう半世紀以上も列車が走っていないのである。小河内線に観光列車が走るところを見たかったが、遺構として遺されている姿もグッとくるものがある。

小河内線は東京で唯一といってもいいほど、ほぼ完璧に遺構を残しています。一部の場所は崖崩れなどがあって脆くなってきているようですが、大部分の遺構は自然の中へと同化していってます。冬になれば落葉した木々の合間からRC桁やトンネルが望めるので、ちょうどいい季節かもしれませんね。

取材・文・撮影=吉永陽一