ちくわフリッターはお母さんの味
『マルフクベーカリー』があるのは、板橋区の志村。志村は坂の多いエリアなのだが、店があるのは坂上にあたる志村銀座通り。今は人通りも少ないが、かつては映画館が2館もあったほどにぎわっていたという。
マルフクベーカリーのちくわを使ったパンは、ちくわのフリッター260円だ。カレー風味のちくわ天ぷらを千切りキャベツと一緒にパンに挟み、マヨネーズで味つけしたもので『どんぐり』のちくわパンとは、ちょっと違う。
しかし『マルフクベーカリー』がこれを出し始めたのは45年ほど前。現店主の3代目阿部憲和さん(49歳)が幼稚園に通っていた頃、母の房子さんがお弁当に入れていたちくわの天ぷらをもとに作ったのだという。『どんぐり』がちくわパンを出し始めたのは1983年と38年前なので、ちくわについては『マルフク』のほうが先なのだ。
食べてみると、まずはほんのりカレー風味のちくわが間違いのないうまさ。そこにマヨネーズのまろやかさと千切りキャベツのシャキッとした爽やかさが加わり、うまさをより広げている。見て分かるようにボリュームもあって、満足度はかなり高い。人気ナンバーワンというのも納得だ。
近辺では一番、栄えていた志村坂上
さて、『マルフクベーカリー』ができたのは、ちくわフリッターよりもはるか前、1948年のこと。初代は戦前に中野や麻布の洋菓子店で働いていたのだが、戦争の激化で福島にいったん疎開。戦後、東京に戻って池袋で太鼓焼き(今川焼き)の屋台を始め、その後に志村に移って現在の店を始めた。
当時の志村はまだのどかで、近くの中山道沿いは人も多かったが、それ以外は畑や田んぼばかり。特に坂下方面、現在の小豆沢は移動に不便なこともあり、住む人も少なかったようだ。
一方で坂上は都電が走っていたり、その後に都営三田線が開通するなど交通の便もよく、戦後は人口が増加。前述のように映画館の他、スーパーマーケットの西友が2軒もできるなど、かなりのにぎわいを見せていた。『マルフク』も多くの職人を雇い、かなり忙しかったという。
3代目の憲和さんが店に入ったのは、高校を卒業してすぐのこと。学校の購買にパンを売りに行くなど忙しさは続いていたが、やがてコンビニエンスストアの台頭もあり、じょじょに落ち込み始めた。また、坂下エリアが開発されたことも大きいようだ。家が建てられるのに合わせさまざまな店もできたため、きつい坂をのぼって坂上方面まで来る必要がなくなった。それらもあって、坂上はだんだん人通りが減っていったのだ。
しかし、それでも『マルフク』は踏ん張る。購買以外にもイベントなどでの出張販売を続けていたところちくわフリッターが注目され、テレビ番組で取り上げられ始めたのだ。
さらに阿部さんは新商品を開発する。今ではちくわフリッターに次ぐ人気となっている納豆ドーナツだ。納豆を生地で包んで揚げたもので、納豆の強い風味と油感がとても合う。海苔の風味がいい仕事をしているのだが、これは包んだときに納豆のネバネバで、揚げたときにくっつけた生地が剥がれるのを防ぐため。要するに接着剤代わりの役割も果たしているのだとか。
ほかに目新しいものでは、ラスクがある。ガーリックにトマト、アーモンドにフルーツと、種類はそのほか全部で15種類。これなら食べ飽きることはない。パン生地も、小麦粉や配合を少しずつ変えているという。おいしさとは、そのときにより変わる。常においしいパンを提供できるよう、試行錯誤をしているのだ。
お客さんに喜んでもらうために
一時は寂しさを見せていた志村だが、最近は新しいマンションが建ち、若い世帯の住民が増えている。それもあり『マルフク』では出張販売よりも、店での販売に力を入れていくつもりだという。
「商売も大事ですが、まずはお客さんにパンで喜んでもらうことを、考えていきたいですね」(憲和さん)
今まで以上の地域密着を目指すという憲和さん。坂の上の街では、これまで以上においしいパンが食べられそうである。
取材・文・撮影=本橋隆司(東京ソバット団)