見学会の翌月、高輪築堤を空撮しました。築堤部分の解体作業が進行し、以前空撮した時よりもかなり変化が起きていました。以前、「高さ170cmの“行灯殺しのガード”」の巻末で、2020年12月11日に空撮した写真を掲載していますが、その時よりもかなり解体が進行していました。
約800mに渡って高輪築堤が並ぶ姿は壮観でしたが、現在はあちらこちらで築堤が削られ、史跡となった第7橋梁はいったん土で埋まっています。ここは工事用建設車両の駐車スペース等になり、開発終了後に土から掘り起こし、史跡として整備する予定です。この史跡化によって、建設される高層ビルは当初計画案よりも若干東側へずれる設計変更をしています。<資料:都市再生特別地区(品川駅北周辺地区)都市計画(素案)の概要https://www.chisou.go.jp/tiiki/kokusentoc/tokyoken/tokyotoshisaisei/dai19/siryou8.pdf>
築堤の詳細は前号までのレポでお伝えしましたので、今号では写真のキャプションをメインにお伝えしましょう。空撮は品川駅周辺から始まり、駅北側の5街区6街区予定地、高輪ゲートウェイ駅周辺、高輪ゲートウェイ駅北側の順で実施しました。

高輪築堤は品川駅の真下まで続いていると思われます。明治期の迅速測図と現在の地形図を照らし合わせると、明治初期の品川駅は京急がJR線をオーバークロスする辺りにありました。そして第8橋梁が現在の品川駅北側部分辺りに存在している(いた)はずです。

橋梁がそのまま埋まっているとしたら、第7橋梁と同じような姿かと推測できますが、何せ駅のすぐ近くなものだから、大正時代以降の開発で解体されていないとは断言できません。ちなみに迅速測図によると、第5、第6橋梁が現在の田町駅前後にあったそうです。田町駅前後も海上築堤であったから、壊さずに埋めていたとしたら、いまなお山手・京浜東北線の線路の土台になっている可能性がありますね。約150年間現役の築堤とも言える……。あくまで、私の推測ですが。
さて今回、空撮は全体像を掴む広角系レンズと、詳細をクローズアップする望遠レンズの2本を使って撮影しました。ところで空撮業務のひとつに遺跡調査を記録する撮影があり、私も何度か手伝ったことがあります。最近もまだフィルムを使用しており、4×5大型カメラを手持ちで撮影するから、すっかりデジカメに慣れた身には緊張しましたね。
話が脱線しましたが、高輪築堤を空撮していると遺跡発掘の業務を思い出します。ここもJR東日本か港区などが記録撮影しているはずですが、私は依頼業務ではなくライフワークとして定期的に空撮しており、今後も経過を報告していきたいと考えています。それでは、纏めて空撮の成果を紹介します(写真端へサインを入れているのはご了承下さい)。




以上が、10月空撮の高輪築堤の模様です。当初より計画された1〜4街区のエリアは大部分の築堤が無くなってしまいますが、一部を現地保存、信号機土台跡は移築保存、佐賀県でも撤去された石垣を佐賀市内に移築保存されます。また品川駅に近い5街区・6街区は街づくりが検討段階のため、土中の築堤も今後どうなるか検討されていくことになります。先に述べたように第8橋梁もあると推測でき、1人の鉄道ファンとしては、築堤がそのまま保存されると嬉しいです。
取材・文・撮影=吉永陽一