発展を続ける立石で
立石駅の南口を出ると、目の前にあるのが仲見世商店街。人気もつ焼き店の『宇ち多”』をはじめ、多くの店があり、その昭和的な雰囲気がたびたび話題になる、立石の名物だ。
その商店街を抜けると、奥戸街道にぶつかる。奥戸街道は車の往来も多いが、道沿いや接続する通りに商店が多く、人も多く行き来している。そこを右に折れてしばらく歩き、生活の匂いが少し漂い始めるところに、『マルキパン』はある。
今回、お話をうかがったのは、2代目の荒井憲一さん74歳。荒井さんによると、父親である初代が立石で店を始めたのが昭和6年。もともと芝浦にいたのだが、結婚を機に親戚のいる立石に移ったのだという。
大正時代、立石にはセルロイド工場があり、玩具工場の街として発展を始めていた。そこに、関東大震災で焼け出された墨田区の人々が移り住み、人口が増加。さらに昭和初期には戦争特需が起き、工場も人も増えて、けっこうな賑わいを見せていた。
さらに太平洋戦争の空襲で、またも焼け出された人々が荒川を渡って移住。戦後は復興特需となり、さらなる発展を遂げた。横浜生まれの憲一さんが立石に来たのは、昭和46年、24歳のとき。結婚して婿に入り、店を継いだのだ。
愛され続けた定番のおいしさ
当時は高度経済成長期ということもあり、立石はそうとうにぎわっていた。駅前の商店街は夕方になると人でごった返し、歩く先が見えないほどであったという。その頃の人々は忙しく働き、家庭でも3食、ちゃんと作る時間が惜しいほど。手軽に食べられ、しっかり栄養も取れるパンは重宝され、店は繁盛したという。
その後、平成元年に『マルキパン』は『ら・マルキ』という荒井さんの娘が営むケーキ専門店を奥戸街道にオープン。『ら・マルキ』は駅前に『Rumi Labo』というケーキ店を出し、『マルキパン』では3代目が入った。3世代90年続いた『マルキパン』は、今も着実にその営みを続けている。
『マルキパン』のラインナップを見ると、あんパン、クリームパン、カレーパンなどの定番から、玉子サンドや野菜サラダなど、昔ながらのパンが多く揃えられている。珍しいのは蒸しパン(こちらでは黒パン)。今ではなかなか見られないが、『マルキパン』では戦後からずっと作り続けている。ほかのメニューも、長い間、ずっと変わっていないという。
そんなパンの中で人気なのが、昔も今も変わらず野菜サラダドッグ160円だという。辛子を塗られたドッグパンに挟まれた、マヨネーズ和えのキャベツきゅうりにんじん。ジャクっとした食感、野菜の青い風味とまろやかなマヨの味が合わさり、とてつもなくうまい。
また、砂糖をふんだんにまぶしたツイストドーナツ100円も人気。サクッと揚がった生地の香ばしさと、ストレートな砂糖の甘さが潔くて、とてもいい。小難しくない、心に直接、訴えてくるおいしさだ。
おいしいものは今も昔も変わらない
立石では今、駅北口で2028年の完成を目指し、再開発工事が行われている。地上35階建てのビルを建てて区役所機能の一部を入れ、商業施設なども入る予定だという。古い下町として親しまれてきた立石が、大きく変わろうとしているのだ。
街が変われば、人が変わる。人が変われば、好まれるものも変わる。しかし『マルキパン』のおいしさは、昔から今までどそうだったように、これからも変わらず愛され続けるだろう。うまいものはなんであろうと、昔も今もうまいのだ。
最後に荒井さんにこれまでの50年について聞くと「いつも変化はありましたよ。いつだってそうです。まだまだこれからですよ」という、頼もしい答えが返ってきた。パンに加えてケーキでの展開。90年続いてきた『マルキパン』は、まだまだ伸びていきそうだ。
取材・文・撮影=本橋隆司(東京ソバット団)