しっとりキメ細かい生地の食パン

野方駅周辺は複数の通りで商店街が形成され、いつも多くの人で賑わっている。『山田屋ベーカリー』があるのは、その商店街のひとつ、野方本町通りを抜けた先、野方駅から歩いて10分ほどのところにある。

本町通りの終点。店はこの前方、環七にかかる橋を渡った先にある。
本町通りの終点。店はこの前方、環七にかかる橋を渡った先にある。

本町通りとなっている道は、江戸時代後期にはすでにあった旧道。現在は新青梅街道から始まり、早稲田通りの野方警察署前まで続いている。バスが通っているが一方通行で狭く、人通りもそれほど多くない。そんな旧道にある『山田屋ベーカリー』は、一見、パン屋には見えない。しかし、ここのパンがすこぶる、うまいのだ。

こういう店、昔はよくありましたよね。
こういう店、昔はよくありましたよね。

特に人気なのが食パン260円だ。生地はしっとりしていてきめ細かく、ほんのりと甘い。柔らかく優しい味わいは、昨今、流行っている主張の強いパンとは対極。食べていると、なんだかすごく幸せな気分になれる。

頬ずりしたくなるほどのしっとりさ!
頬ずりしたくなるほどのしっとりさ!
なんの変哲もないバタートーストがえらくうまい。
なんの変哲もないバタートーストがえらくうまい。

スタートは戦前のなんでも屋さん

この『山田屋ベーカリー』は、70年ほど前、現店主の須能進一さんの父が、菓子店として始めた。昔よくあった、菓子やパンがメインだけど、簡単な食料やタバコ、雑誌などを売っていた店だった。この佇まいはその名残なのだ。

店内はさまざまな食料品が並ぶ。パンの割合はそう多くない。
店内はさまざまな食料品が並ぶ。パンの割合はそう多くない。

当時の通りは商店街が形成されていて店も多く、売っていないものはないほど充実していたそうだ。今はバス通りになっていて歩きにくいが、当時は人通りも多く、さぞ賑わっていたのだろう。

駄菓子も売っている。これも以前の店の名残り。
駄菓子も売っている。これも以前の店の名残り。

その頃の『山田屋ベーカリー』はパンも売っていたが、よそから卸しての販売。それを切り替えたのは1984年頃。当時はスーパーやコンビニエンスストアが増えつつある頃で、パンの販売店は苦戦していた。そんな店の状況もあり、須能さんは修行に出て技術を学ぶと、自家製のパンを売るベーカリーとして再出発した。

須能進一さん。今は1人で店をやっている。
須能進一さん。今は1人で店をやっている。

現在の『山田屋ベーカリー』の味は、当時、修行した松戸のお店のもの。そこのパンに惚れ込んだ須能さんは「これでやっていこう」と、配合を教えてもらった。当時のパンにはなかった、しっとり感と甘さ。今も続く『山田屋ベーカリー』のパンの特徴だ。

あんパンにカレーパンと、定番が並ぶ棚。
あんパンにカレーパンと、定番が並ぶ棚。

『山田屋ベーカリー』のパンはどれも定番のものばかりだが、これは店を始めた当時から、37年間、変わっていない。配合、製法もそうだという。

右から時計回りにピーナツコッペパン190円、カレーパン130円、カスタードクリームパン120円。
右から時計回りにピーナツコッペパン190円、カレーパン130円、カスタードクリームパン120円。

しかしパン生地もそうだが、こだわるところはしっかりこだわっていて、あんこ、カスタードクリーム、ピーナツバターは自家製。どれもおいしいのだが、特にピーナツバターはふわっと軽く、しっとりした生地には抜群に合う。ピーナツコッペパン190円は一番の人気メニューとのことだが、それも納得のおいしさだ。

甘さ控えめでフワフワのピーナツバター。
甘さ控えめでフワフワのピーナツバター。

同じパンを毎日、作り続ける

再出発した当時は、焼き立てパンがまだ一般になじんでいなかったこともあって苦戦したようだが、口コミでおいしさが広まり、お客さんがじょじょに増えていったという。店での販売だけでなく役所や学校にも卸していて、パートさんを雇うなど、かなり忙しかったようだ。

パン焼き窯。作業場はそれほど広くない。
パン焼き窯。作業場はそれほど広くない。

今は須能さんが1人でやっているが、のんびりとやっているわけではない。パン作りに加え、飲食店や個人のお客さんへの配達を閉店後にやっているというからすごい。メニューこそ懐かしいラインナップだが、『山田屋ベーカリー』は今もフル回転で動いている現役バリバリのベーカリーなのだ。

最近は高級食パンの店があちこちにできているが、それでも『山田屋ベーカリー』の食パンは、常連さんが変わらず買いに来る。「そういうお客さんのためにやっていかないと」と、須能さんは続けた。73歳の今も、朝から夜まで働き、休みは日曜日のみ。さぞ大変ではないかと聞くと、須能さんは「そういうもんだと思っていますから。お客さんが待っているって思ったら、疲れていても動けるもんなんですよ」という答えが返ってきた。とことん、真面目なのだ。

37年間、店もパンも変わっていないが、それでも「毎日、同じパンを作るのは難しいですよ」と、須能さんは言う。通りの様子はずいぶんと変わったが、そこにポツンと残った店では、今日も職人が毎日、真剣にパンを焼き、変わらぬおいしさを提供し続けていたのである。

住所:東京都中野区野方3-4-14/営業時間:10:15~19:30/定休日:日/アクセス:西武鉄道新宿線野方駅から徒歩10分

取材・文・撮影=本橋隆司(東京ソバット団)